穴 5 -完-
「お前が先を行け」そう促され進んでいくと中はひんやりと涼しく、真っ暗だがほの赤く空間が蠢いているようだった。それはまるで心臓そのもののようだった。この空間自体が生命をもって脈を打ち生きているようだった。首筋に落ちてきた水滴に驚いて声を上げた。エレベエーターが閉まると闇の世界が広がった。男がペンライトをつけて足元を照らした。
「不気味な所だな」
「俺もここだけは好きになれん」そう言ってゆっくりと歩き始めた。
足音だけが響く空間。とにかく音がよく響いた。そこはかなり広いようだった。こんな空間誰が何のために?歩いていくにつれそのような思いは何の意味も成さなくなっていった。男が照らすペンライトの光だけを頼りに歩いていった。その先に小さな光が見えてきた。近づいていくとその光は卓上ライトで机を照らしていた。
「遅かったじゃないかクライシス」机の前に立っている人物が言った。
「皮肉はやめろレイ」クライシスはそれ以上レイに言わせないように遮った。
「名前を言え」机に座っている人物は俯いていてメガネが照らされて光っていた。
「竹内聡太」その人物はリストを指でなぞっていき名前を見つけたようで帳簿を閉じた。
「君にはその穴に入ってもらう」そう言って指さしたところには人が一人入れる程の穴が空いていた。
「その穴に入れば最後。垂直に落ちていき地面に落下して体がバラバラに砕かれてもう一生息をすることはない。ひゃっひゃ」
「やめろレイ」クライシスが再び遮った。「その穴の中はもう一つの世界が広がっている。その世界はお前がいた世界と全く違う世界だ。そこでお前は山下陽介として生きてもらう。竹内聡太はもういなくなり山下陽介が生まれる。そこでどう生きるかは私たちがすべて手配してある。職業も家族もな。この穴の先にいる案内人に言いつけてあるから心配するな」穴の中を覗くと吸い込まれていきそうだった。入るところを想像すると恐ろしかった。地下深くにいるが崖の淵に立ってそこから眺め下ろしているようだった。風が出てきて吹き付けられ立っているのがやっとだった。この崖から落ちたら間違いなく命を落とすだろう。切り立った崖の淵からパラパラと流れ落ちていく足元の砂つぶを見つめた。するとカラスが飛んできて目の前の崖の間に生えた枯れ木に止まった。カラスはじっとこっちを見つめている。獲物を捉えたような鋭い目だった。
「早く落ちろよ」カラスがそう言うと、その顔が徐々に歪んでいき醜悪なものの姿を成していった。その醜悪なものの姿は自分自身だった。引きつり醜く笑っていた。心臓から血が滴り手のひらに生ぬるさを感じた。「お前も早くこいよ」そう言ってカラスはものすごい速度で上空に飛び立っていった。
目の前には丸い穴。大きく息を吸い込み自分の運命を受け入れ一歩足を踏み出した。 ー完ー