ぼくとユカイなオカルト部の先輩たち
2020年8月11日~2022年9月4日にかけてTwitterで投稿した作品です。
「蛙」をお題にして書いた話の続きに肝試しの話を追加しました。
蛙
先ほどの水泳の時間は散々だった。いまだに湿ったままの頭をかいてため息を一つ吐く。
測定会は再来週にまで迫っているというのに、二十五メートルも満足に泳げなくては姉たちに報告もできない。息継ぎのタイミングがつかめず、最初の息が続くまでしか進めないクロールも、手の動きと足の動きがバラバラなせいで進めない平泳ぎもどちらも苦手だ。運良く折り返し地点に手がついても、毎回ターンが出来ずプールの底に足がつく。先生に何度怒鳴られても泳ぎが上達するわけはないし、どんなに真面目に練習したって出来ないものは仕方ない。さらにもう一つため息を吐いた。先輩方に呼び出されている部室へとのろのろ足を進めた。髪からしたたり落ちた水が廊下に跡を残す。部室の扉は長い年月の間で、立て付けが悪くなり簡単には開かないし、中でしゃべっている声が漏れ聞こえてくる。
「聞いてくれよ。昨日さー蛙の夢見た」
「うわあ花みゃこ君すごいね蛙の夢って吉夢らしいよ」
「え、まじ? あれ吉夢なの。夢だけどなんかすごいリアルでぬとぬとでねちゃあってしてたんだけど」
「金運とかあるらしいよ。よかったじゃん花みゃこ君金持ち金持ち」
「まじかい、やったね」
花先輩と葉菜先輩が、その場のノリとテンションだけの会話をしている。力を込めてようやく開いた扉は大きな音をたてた。
「あんれま、ヒロ君髪濡れてんね雨でも降ったの? 夕立?」
「違いますよ五限目プールだったんです」
「ちゃんと乾かさないと風邪ひくぞ。ほーらこれ使えよ、ヒロ」
心配してるフリの花先輩から掛けられた声と同時に勢いよくタオルが投げつけられた。風を含んだタオルは勢いを殺してふんわりと顔を覆って視界を奪う。タオルを投げつけられたけれど、一応お礼を言っておく。おざなりに言ったお礼なのにわざわざ席から立って、かき混ぜるように頭をふかれた。動物でも相手にしているようだ。
「なんだってそんなに不機嫌な顔してんの?」
「別に。不機嫌な顔なんてしてませんよ。元からです」
「ヒロが案外几帳面なのは、おれら知ってんだから。なにかない限り、髪濡れたまんまで部室まで来ないでしょ」
「あ、わぁかった。ヒロ君泳げないからイラだってんでしょう」
急に投げ込まれた思わぬ指摘に抵抗していた手を止めてしまった。
「ヒロが図星つかれて固まった」
「わぁい図星。葉菜、図星大好き」
頭にかかっていたタオルを乱暴に外すと、葉菜先輩は人の神経を丁寧になめして丹念に逆なでするような笑顔を浮かべている。
「平泳ぎはねぇ、ヒロ君、蛙さんの足で泳ぐんだよ」
次いで花先輩は、にやにやとチェシャ猫のような笑みを浮かべている。
「クロールはね、いち、に、さん、パッのリズムで息継ぎすると上達するんじゃねーかな」
頑張ってね。と語尾にハートマークでもつけていそうな文句を、ぴったりそろったサラウンドで言われた。その後、負けるものかとひたすら練習した。
* * *
「――だから、そういう時は、名前をムテキにしてさ」
「そんなことで死ななくなるのかよ?」
相変わらず先輩方は意味のわからない話をしていた。先輩方を横目にカバンをロッカーにしまおうとすると、葉菜先輩が椅子の後ろ脚でバランスをとった状態で声を掛けてきた。
「ねえねえ、本来いるべき場所に人がいないのと、本来人がいない場所に人がいるの。ヒロ君は、どっちが怖い?」
挨拶もそこそこに、にやにやと笑みを浮かべて葉菜先輩が問いかけてきた。花先輩はつぶれた蛙のように机の上に広がっていて、こちらに手だけひらひらと振ってよこした。葉菜先輩はその長くしなやかな指を二本突きつけてくる。
「ちなみに前者が人でにぎわっている学校とか駅に誰もいない場合で、後者が誰もいないだろう墓地とか廃病院に誰かいる場合ね」
補足してきた説明もろくなものではない。いつものように意味のない問いを投げつけては、こちらが悩む様子を眺めるのが好きなのだろう。
「そんなことないよ。ヒロ君がなんて答えるのかが単純に気になっただけ」
「おれはちなみに、いるだろう場所に誰もいない方が怖いな。本当だったら人でにぎわっているはずの場所に誰もいなくて、静かなんじゃん、なんかそっちの方が怖くね?」
「えー? いないはずの場所に誰かいる方が怖くない? だって、人がいないはずの場所に人がいるんだよ? 自分だけだと思って鼻歌歌ってたところに人がいたら怖いでしょ」
「今のそういう話じゃなかっただ、ろ?!」
突然、聞く人をどことなく不安にさせるような音楽が鳴りだした。その音に花先輩は大げさに肩を震わせて、音の発信源を振り向いた。音の出どころである葉菜先輩は何事もなく携帯を取り出した。
「あ、友達からお電話来てるわ。ちょーっと今の考えておいて」
確認するや否やスリッパの音をぱたぱたと響かせて部室を出ていった。残されたのはぼくと異様にビビって青い顔をしている花先輩だった。ぶるぅべりぃ……まじむりぃとつぶやいている。
「……ヒロ、お前さっきのメロディに聞き覚えは無いか」
「え? 聞いたこと無いですけど、なんかのBGMですか」
「いいや、知らないんだったらいいよ。いいか、絶対に葉菜のおすすめのDVDは見るなよ。葉菜が何言おうと見るなよ」
「花先輩それフリですか」
「はぁ? ちっげーし! フリじゃないし! ヒロが大丈夫なら別にいいけど、先輩として忠告はしたからな!」
たらいまーと気の抜ける声とともに戻ってきた葉菜先輩は楽しそうに笑っている。ねえねえ、ヒロ君はどっちが怖いと思う?
「ぼくは、」
葉菜先輩は、ぼくの答えににんまりと笑った。
夏の肝試し
①強制閉じ込めイベント発生
▶︎「ぼくは、──いるはずの場所にいない方が怖いです」
太陽が死に往く最後の朱の光を残して消えていった。辺りはどんどんと薄暗くなっていき、反比例するかのように、打ち捨てられ寂れた病院の姿がぼんやりと浮かび上がってきた。
「さーて皆の衆! 準備はいいか!?」
「「「「ひゃっほーい!」」」」
先輩方の異様なテンションについていけない。そもそも、葉菜先輩は自分で聞いたのに、なんで自分も答えているんだろう。
この先輩たちの考えることは十中八九ろくなことにならないというのは入部してからの短い付き合いでも骨身に染み込んでるというのに、馬鹿正直に集合場所についたぼくが悪いのだろうか。
「わがままだなぁ。ヒロ君がいない方が怖いっていうから、あまり怖くない廃病院の案件にしたんじゃん」
文句言わないでよねーなんて口を尖らせている葉菜先輩の気がしれない。この人ほんと一体全体どういう神経しているんだ。部活での恒例の夏の肝試し大会。候補は幾つかあったけれども、葉菜先輩の質問に返したぼくの答えで決まったらしい。なんでそんな重要なこと決めさせるんですか。先に言ってくださいよ。葉菜先輩と花先輩のコンビが足取り軽く建物の中に入っていくので、中屋先輩の後についていく。中屋先輩は顔を合わせること自体は少ないけれど、日頃からかわれているハナ先輩たちより安心できる。
外の明かりが差し込んで、前に出来ていたはずの影がふっと消えた。入ってきた扉がいつの間にか閉じている。慌てて駆け寄り、取手を引いたが全く動かない。
「開かない……閉じ込められた……?」
「開けたら閉めるて、ほらマナーだからさ」
「よくあるよくある」
「最近のトレンドはそんな感じだな」
「なんで先輩たちそんなに余裕なんですか?」
押しても引いても叩いてもびくともしない扉に対して、先輩たちはほとんど動じた様子がない。
「大丈夫大丈夫。何があってもとりあえずヒロ君だけは無事におうちに帰すよ」
キメ顔ウィンクつきでなかったら、もっと頼りがいのある言葉だったのにな。げんなりと落とした肩を叩かれた。
「えー? おれは心配してくれねーの??」
「いざとなったら物理に頼る筆頭は自力でなんとかするでしょに」
「そうだそうだ、花都は大丈夫かもしれないが、俺はひよわだから大変だぞ」
「そういう中屋君だってよく窓からダイナミックお邪魔しましたするじゃん」
「俺は特殊な訓練を受けているので可能だが、よいこは決してまねするなよ」
閉じ込められたという状況に関わらず、いつもの空気のままの先輩たちに、無理に怖がりすぎる必要もないかと、ため息をついた。
「」
落とした視線の先に何か黒いものが落ちていて、思わずひょいと拾い上げた。心なしか冷たい気がする。
「怖くない怖くない。焦っていても仕方ないから、とりあえず進もうか」
そう言って葉菜先輩はどこからか取り出したペンライトで照らして建物の中へと進みだした。
慌てて手の中のものをポケットに入れて、間違っても置いていかれてしまわないように、駆け足でついて行った。
②姿なき声
肩で風を切る勢いの葉菜先輩を先頭に廃病院を進んでいるけれど、足どりに迷っている様子は見えない。不思議に思い尋ねると、この病院の見取り図が頭に入っているのだという。
「探索に地図は大事だからね」
手帳のページを破り、手書きの見取り図を渡してくれた。
コの字型というにはやや長い気もする2画目の廊下を、渡された懐中電灯やペンライトで照らしながら進む。待合室に置かれたパンフレットはすっかりしなびている。古びたエレベーターの隙間はぽっかりと暗い。外からは3階建くらいに見えたが上まで上がっていくのだろうか。
吸い寄せられるように壁から目が離せなくなる。
黒く見えるその跡は、もしかして、もしかしなくても血、では…………
「おっと、ヒロ君SAN値がピンチ? 」
「大丈夫だろ。あれはケチャップだケチャップ」
「もし仮に血だとしてもあの量なら適切な処置を施されていれば後遺症ないレベルだ」
「ほーら落ちつけ落ちつけ」
「ぺったんこぺったんこ」
「それ、ぺったんぺったん」
…………先輩たちが畳みかけてくるものだから、何を考えていたのか忘れてしまった。
「大丈夫……です。それより早くここから出るためにも先に進みましょう」
ひとつ息を吐いて、手を握り直した。
それよりも、
「さっきから、なんかうるさくないですか」
「え°」
花先輩が発音しづらい声を上げた。
「遠い所でずっとラジオが鳴ってるみたいにザワザワと聞こえて、て!、?」
変な音が聞こえていないかを先輩達に尋ねた途端、音量調節のつまみをくるりと回したように一気に大きくなった。頭の中で好き勝手に響く声に驚いて立ち止まれば、更に声が大きくなる。抑えるように耳に当てた手をすり抜けて濁流となる。
「……が病……から………って中屋く………れてきたんだけど、」
うずくまって押さえている耳に、手が添えれられてやんわりと温かさを感じる。
「大きい声でなくとも、聞こえている。伝えたいことがあるなら、少しずつ教えてくれ」
街の雑踏くらいにまで音が小さくなっていく。
あまり波長を合わせすぎるのもよくないが、少々力を貸してくれ。──彼らの声は何を訴えている?
③分断された後
▶「──処置室はだめ、黒いのがって、」
「処置室? 地図だとたしか目の前、花都!」
「あいよ!」
中屋先輩の鋭い声に花先輩が短く返して、持っていた木刀を振り抜いた。同時に、けたたましい音とともに引き戸が部屋の内側から吹き飛んできた。明かりのない日の落ちた建物の中でも、やけにはっきりと分かる黒い影は、もやもやと形が定まっておらず輪郭がぶれている。かろうじて頭と腕と足がある人のような形をしたモノがふらふらとだが確実にこちらに向かってくる。
「これが例の"黒いの"かな」
葉菜先輩が黒いバケモノの前に一歩出る。
「よっしゃ"ここは私が食い止めるから先に行ってて!"」
「は、葉菜先輩何を言ってるんですか」
「分かった! "絶対生きて帰ってこいよ!"」
「先に行ってる。"無事に帰ってきたらマカロン食べに行こうな"」
「やった! 任せろー」
「花先輩に中屋先輩も早く逃げないと、うわ?!」
花先輩に勢いよく担ぎ上げられ、葉菜先輩を残して走り出した。こちらに背を向けている葉菜先輩は振り向かないまま後ろ手に、手を振っている。その反対側の手に分厚い本らしき姿が見えたがすぐに視界から消えた。階段を駆け上がっていく靴音はリズミカルにさえ聞こえる。中屋先輩が若干遅れて後に続いてきた。
「どうして葉菜先輩を置いていったんですか!?」
「大丈夫だ。あいつは俺らがいない方が切り抜けられるんだと」
「なんでも、乙女の秘密らしいぜ」
こんな異常事態に慣れているらしい先輩たちは本当に頭がおかしい。
距離を置いたことで、花先輩の背からおろしてもらったけれど、なんだか、視線を感じる。一挙手一投足、見張られているような嫌な視線に、恥も外聞もなく中屋先輩の腕にしがみつかせてもらっているのだけれど、視線は先ほどから強くなる一方だ。視線に質量があるなら、すでに針千本のような有様だろう。
こんな廃墟の病院をわざわざ夜中に散策するような奇特な人間がこの頭のおかしい先輩たちの他にいてたまるかと思うと、ぼくが感じている視線の相手は人間ではないということになってしまうので断言したくない。じゃあ感じている視線がぼくの勘違いかというと、もう片手で数える以上の勘違いを唱えていることからそろそろ使えなくなってきている。
「後輩、大丈夫か」
「中屋先輩、ぼくはヒロと呼んでもらえたらと思うんですが」
「ああ。それで後輩、聞きたいことがあるんだが」
この先輩、ぼくの名前を覚える気ないな。
「掴まれている腕が震えているから、新手のマッサージ器のように感じていたんだが」
「えー面白そう。じゃあおれの方につく?」
「花先輩は両手空いてないと嫌っていうから、中屋先輩にお願いしたんじゃないですか」
普段から棒を振り回してるヤバい人って認識はあったけれど、探索に木刀を装備してくるのは確実にヤバい人だ。待ち合わせ場所に現れた時、口元にバンダナを巻いてるし、声をかけられるまでヤンキーかと思った。
「んじゃ、手ぇ出して」
花先輩に言われた通りに出した手の上に転がったのは個包装されたあめだった。
それ苦手でも食べてみ、多分良くなると思う。
④黒い石
▶あめを食べない
「苦手な味でも、たまに食べてみると意外とイケる時ってない?」
やけに勧めてくる先輩に、ひとまず食べてみようかと袋の口を切ったけれど、指が震えていたせいでころりとあめ玉が地面に転がってしまった。汚れがついて黒くなったあめ玉がやけに大きな音をさせた気がして血の気が引いた。
「あ、すみません花先輩、わざとじゃないんですせっかくもらったのに落としちゃってすみません」
急いで謝ったけれど、花先輩は気にする様子もなくポケットに手を入れたり上着をガサガサさせている。
「ごめん、持ってるあめちゃん、さっきのでラスイチだったや」
なんだか余計に悪いことをした気になって落としてしまったあめ玉について尋ねると、「塩あめ」とだけ返ってきた。熱中症が危ぶまれる時期ではないのに、どうして花先輩は塩あめなんか持っていたのだろう。先ほどまで感じていた視線は少なくなっていた。
パタパタと軽い足音が近づいてくる。何事かと身構えれば、いつも部室でお菓子をつまんでいるのと変わらぬ能天気な顔をした葉菜先輩だった。
「終わったよーみんなおつかれ!」
「よー葉菜遅かったな」
「葉菜先輩! あんなバケモノにひとりで大丈夫でしたか?! 怪我とか──ないみたいですね……?」
「まーね、なんてったってひとりじゃないし」
鼻を高くして得意げにピースをキメる葉菜先輩は、ぱっと見た限りでは新しく怪我してるわけではないらしい。……なんだか心配して損した気さえしてきた。
「心配してくれてありがとね。それよりさ、こんなの見つけたんだ」
と何か黒っぽい物をハンカチから取り出した。
「さっきの黒いのをなんとかした後に見つけたからとりあえず、持ってきたよ」
「お、戦利品ドロップ?」
「黒い石ころか? 見た感じ、加工されているようだな」
花先輩はなぜか楽しげにし、中屋先輩は掲げられたハンカチに顔を寄せている。黒い、石。そういえば、バケモノに追いかけられて忘れてしまったけれど、先輩の言っているのはこれだろうか。先ほど拾い上げた物をポケットから取り出した。
「あ。」
なんか変な声をさせた先輩に向かって拾い上げた石を見せた。
「先輩もしかしてこれも、ってなんでそんな変な顔してるんですか」
さ◯まドロップスを見ないで口に入れたらハッカ味だった時のような表情をしている。
「いや、大丈夫。気にしないでいいよヒロ君。いい子だから花みゃこ君に渡してごらん」
ヘイパスと言ってくる花先輩の軍手をはめた左手に石を手渡せば、
バシッ
と音が鳴って弾かれたように花先輩が石から手を離した。
「いった!!!! 馬鹿ほんと馬鹿!!」と何かを理不尽に怒って手を押さえている。
「花先輩すみません」
「違う、ヒロのせいじゃないのは分かってるんだけど、軍手越しでこれ?? もうとりあえず馬鹿!!」
「今のは一体……」
「静電気だな」
「静電気」
なんだか騒ぎだした花先輩を横目に、冷静に判断する中屋先輩の言葉をくり返した。中屋先輩のあまり光を映さない黒々とした目には妙な説得力がある。
「軍手は静電気が溜まりやすいから、今のは自然現象だ」
バシッ
先ほどの静電気と同じ音がしたので振り返ると、今度は葉菜先輩が右手をひらひらさせていた。
「あたた……ダメですわこれ。中屋君ちょっとやってみて」
葉菜先輩に指名された中屋先輩が顔をしかめる。
「結果が見えてることをやるのは俺の主義に反するんだが」
「大丈夫大丈夫、別に爆発するわけじゃないから」
ポケットから出したゴム手袋をした中屋先輩が、床に落ちたままの欠片に手を伸ばすと、
バゴン
と今までよりも大きな音が鳴り、かがんでいた中屋先輩が勢いに負けて尻もちをついた。
「さすがに今のは謝るわ」
「この前よりも弾かれているんだが」
「……静電気って弱くなるものじゃなかったですっけ」
「うん、だから今のであらかた放電して静電気抜けただろうから、ヒロ君が拾ってくれるかな」
葉菜先輩の言葉に恐る恐る拾い上げたけれど、先輩たちが触れた時にすっかり静電気が抜けたみたいで、何も起こらなかった。だからなんで先輩たちは、障子にうっかり穴を空けてしまった時のような、食べた寿司にわさびが入っていた時のような顔をしてるんですか。
「もういいや。この袋を貸すからヒロ君がその欠片持っててね」
紺地にみみずがのたくったような文字が白抜きになっている巾着を受け取った。すでに拾っていた石と葉菜先輩から受け取った石を巾着に入れればぶつかる音がしたけれどすぐに聞こえなくなった。
⑤説明回
「あーヒロちょっとだけ目ぇ閉じて。おれがいいって言うまで動かないでね
言われた通りに目をつぶれば瞬間、ブンッと鋭い音が聞こえた。
「イケた?」
「いや、ダメっぽい。もうちょい右より」
「右っておれにとって? それともヒロにとって?」
「花みゃこ君にとって右ですね」
漫才のような先輩達のかけ合いの後に、再度ブォンと風を切る音が先ほどよりも耳元に近い位置でした。
「おっけ。」
やっと動いていいと言われたので恐る恐る目を開ければ、ちょうど花先輩が木刀を納めるところだった。
……なんか今一瞬ギラッと光ったその木刀、本当に木刀でした??
「花先輩……その木刀持ってみてもいいですか?」
「いいけど乱暴にしちゃやーよ」
花先輩が軽々と振り回しているから簡単に持てると思っていたのに、渡された木刀は片手じゃ持ちきれないほどだった。
「花先輩なんでこの木刀こんなに重たいんですか……?」
「あーあー、えーっと細かいことは説明しづらいんだけど、一番は多分この木刀、ナナカマドの木で出来てるんだよね」
「ナナカマドですか。あまり聞いたことないです」
「あ、そうなの? なら、めちゃくちゃ重いタイプの木だって思ってくれればそれでいいよ」
そう言って返した木刀を軽く振っている先輩は、握力と腕力がとんでもないんだと思うことにした。
「ところで、どうしてこの場所を肝試しの場所に選んだんですか」
先輩たちの誰ともなしに疑問を投げ掛ければ、足を止めた葉菜先輩が花先輩を見て、二人同時に中屋先輩の方を振り向いた。二人分の視線を受けた中屋先輩が渋々と口を開く。視線だけで説明をたらい回しにしたぞこの先輩たち。
「そもそも廃病院と言っているが、この場所は父の知人のクリニックだったんだ。継ぐ人がいなかったから高齢を理由に廃業した。俺もお会いしたことがあって、今は御歳92になるな」
「中屋君ちはね、お医者さんなんだよ。ほら、ナカャ医院の」
「え、ナカャ医院ですか。いつも予防接種でお世話になっています」
「そいつは毎度ご贔屓に。先生の指示をよく聞いてお薬は用法用量を守ってお大事になさってくださいね」
このクリニックだった建物は使われなくなったとしても、何か特別な事件があったわけじゃない。後継者がいなくて廃業し、手放しただけなのに幽霊が出るという噂だけがひとり歩きしている。
正しく、いないはずなのにいるんだよ。この場所には、何かが。
暗い建物の中をゆらゆらと照らす懐中電灯の弱い光と、淡々とした中屋先輩の語り口が余計に恐怖心を煽る。「ねえねえ、本来いるべき場所に人がいないのと、本来人がいない場所に人がいるの。ヒロ君は、どっちが怖い?」この場所を訪れる理由にもなった"いる"、"いない"の問答を思い出せば、葉菜先輩がニッと笑った。
「ね、怖くないでしょ?」
「葉菜先輩何言ってるんですか?めちゃくちゃ怖いですが?」
「まあまあ、噂をちょっと調べてみたんだけど特に多いのは、手術に失敗して気が狂って死んだ患者の幽霊が出るとか、患者で人体実験を行っていた医者が死んだけれども実験を続けようと化けて出るとかだね」
「患者と医者がバッティングしているし、このクリニックは、整形外科だったんだが」
「意外と噂が事実と整合性取れてるのは少ないよ。“そちらの方が面白いから”で話は簡単にねじ曲がるし」
「さっき葉菜が追い払ったアレはどっちだろーな」
「さーね」
詳しい情報を特に惜しむ様子もなく開示してくれるのは、とてもありがたいのだけれど。
「先輩たちはそれだけ知ってたのに、どうしてぼくには教えてくれなかったんですか?」
揃ってぼくの方を向いたけれど、中屋先輩は相変わらずの無表情。にやにやとチェシャ猫のように笑っている葉菜先輩とは対照的に花先輩は渋い顔をしている。
「あー、おれも言った方がいいかなとは思ったんだけど」
「こういうのは何も知らない予備知識のない人が一人くらいいると、とても分かりやすくていいんだよね」
「って言って譲らないかったからさーヒロには内緒だったんだすまん」
ちなみに後輩が入ってくる前は、聞かされない役どころは大体、花都だったな。
年功序列順とかですか。いや単純に花みゃこ君の反応がいいからカナリヤ役を固定していただけだよ。え? おれその理由、今はじめて聞いたんだけど。
わやわやと話しながらも進んでいく先輩たちに続いていった。
⑥悪いやつはどこにいく?
何か悪いことを考えている奴は、大概一番奥に陣取っているもの、という葉菜先輩のありがたい教えの下に進んできたけれど、目星をつけていた院長室は、これといった特徴がないだだっ広い部屋だった。中屋先輩の話を聞いた限りだと、急ぎの引越しではなかったらしいから、家具なども引き払ってしまっているのだろう。作りつけの本棚は空っぽだ。
一通り見て回ったけどめぼしい物はなかった。入ってきた扉をじぃっと見つめたままの葉菜先輩は、なんだか歯切れ悪く聞いてきた。
「そういえばさー、あのさヒロ君は悪い奴ってどこにいると思う?」
「ぼくですか?」
そうだな……葉菜先輩は一番奥の最上階にある院長室だと言っていたけれど、どちらかと問われたならぼくは。
「やっぱり悪いことするなら、人目のつかないような地下室とかじゃないですか?」
「いや、この病院に地下室は、」
何か言いかけた中屋先輩の口を花先輩と葉菜先輩が抑えた。勢いが良すぎたからか、ばちんと痛そうな音がして中屋先輩がうずくまる。
「ちょっと静かにしててね」
葉菜先輩の号令に、慌てて自分の口を両手で覆う花先輩にただならぬ空気を感じて、ぼくも口元を手のひらで塞いだ。
閉めていた院長室の扉を叩く音がする。
部屋の外からドンドンと大きな音が2度、間隔を置いて響いている。回数を重ねるごとに音が大きく間隔が狭くなっていく。
もう扉が壊れて外から叩いてる何かが入ってくるんじゃないかと思う程大きい音の合間を縫うように、
「ねぇ、知ってる?」
葉菜先輩がポップコーンよりも軽い口調で割り込んで、
「ノック2回って、トイレのノックと同じなんだってさ」
普段、部室で披露するように豆知識を言えば、唾を飲む間を置いてから先ほどより大きい音で扉が3度叩かれ始めた。
なんだか、ずいぶん律儀なお化けだ。ひときわ大きく3度叩かれた後、口を閉じたままでいると、静まり返った扉の前で裸足のペタペタと足踏みする音が聞こえ、階段の方へと足音は遠ざかっていった。たっぷり待ってからようやく、葉菜先輩がもういいよと合図をしたので手を外して大きく深呼吸した。
「ノックの回数については諸説あるから、あまり気にしなくていいよ」
「あんなにノックして、限界が近かったのかもなー……トイレの場所くらい教えてやればよかった」
「怖かったのに、微妙な気持ちにさせないでください花先輩。なんか悪いことしたような気持ちに……」
「気にしないでいいよ。悪かったと言えば、ごめんね中屋君。慌てていたから余計に強く叩いてしまったかもしれない」
うずくまったきり黙ったままだった中屋先輩は、恨みのこもった目で花先輩達を見てる。
「花都も俺に謝ってほしいんだが」
「でも中屋がさぁ」
「たしかに俺も悪かったかもしれないが、おまえの平手は痛かった」
「ごめんね」
「謝ったならいい」
ようやく立ち上がった中屋先輩は、スタスタと歩いて扉を開けた。
「目指すは地下室だな」
扉の外側には大量の手形と叩かれた跡、そして例の黒い石が残っていた。
⑦精神分析と現実主義
葉菜先輩が見せてくれた地図には一階から三階までしかなかったけれど、一階の階段からさらに下へと続いてたので、ゆっくりと降りていく。
何故か開け放してある扉の前、物音がしないか確認した後に、恐る恐る部屋の中を覗きこめば、思わず言葉を失った、これは、
「おっと。さっきと違って一人でこの量なら恐らく致死量だな」
中屋先輩の声が耳を遠くすべっていく。聞いた言葉の意味をすぐには理解できなかった。
さあてヒロ君。いつのまにか背後に回っていた葉菜先輩に後ろから両肩をがしりとつかまれて固定された視界を花先輩の背中が隠した。白く「現実主義」と文字が抜かれている。
「今の凄惨な光景は目を閉じてもカメラのシャッターを切るかのごとく一瞬で記憶に焼きついてしまっただろう。壁には大量の飛沫痕、不運にも襲われた犠牲者の最後の抵抗というかのように手形がべったりと力なく壁を伝っている。さらにそれらはつい先程まで行われていた出来事を示すのか滴る雫は血溜まりを作っている。」
でもさぁ、ヒロ君
朗々と臨場感を含ませて描写していた葉菜先輩の声につい目を瞑ってしまっていたけれど、視覚を遮断したことで余計に鋭くなった触覚は掴まれている両肩へさらに力が加えられたのを強く伝える。
「匂いがしてるかい? 鉄臭さを感じている?
おかしいんだよ。こんなスプラトゥーンしたみたいに血がぶちまけられているならば、むせ返るとまでは言わないけれど、血の匂いが鼻をついてしかるべきだ。
だけど現実には何の匂いもしていない。これはただの現象にすぎない。
人の口から生まれたよしなし事が、外見だけそれらしく取り繕って見えているだけだ。現実ではないんだよ。自分の感覚を信じてごらん」
さあてヒロ君。落ち着いたかい?
肩から離れていく手をなぞってゆっくりと目を開ければ、不思議なことに先程まであった血溜まりは消えて、今まで見て回ってきたのと同じ埃の被った薄暗い部屋だった。
「………………なん、とか。持ちなおしました」
「よかった〜さすがに今のはやばいかなと思ってたよ〜」
「葉菜はこういうの得意だよなー。よく分からない理論で気をそらすの」
「間違いなく特技だと思うぞ。その何言ってるか理解できないうちになんか落ち着かせるやつ」
「従兄弟の方が何倍も上手いんだけどね」
花先輩がぼくの背中を叩きながら褒める声を聞いて、葉菜先輩は照れたように首の後ろで両手を組んでいる。
「あったぞ。ここにも欠片が」
部屋の隅にしゃがんでた中屋先輩がゴム手袋越しにくすんだ欠片をかかげた。週末にやるPTA行事のゴミ拾いのようで妙に似合っている。
「口に出しているぞ後輩。まぁいい、これも預かってくれ」
中屋先輩から欠片を受け取って、袋の中に入れた。入れてある欠片とふれあい、からりと音が鳴って、聞こえなくなった。
なって? きこえなくなった?
それはおかしいんじゃないか?
「──先輩、さっきから気になってたことを聞いていいですか」
「どうぞ」
「あのですね。先程から欠片を入れているこの袋なんですけど」
「はい」
「今まで拾ってきた欠片を入れてきたんですよ」
「そうだね」
「欠片を入れてきたんだから音が出てしかるべきなんです。だって欠片なんだからひとつ以上が入っているんだからでも」
「うん」
「欠片同士がふれあう音がしないんです」
「移動してきた時も気にならないくらいに音がしなかった」
「拾った欠片を入れる時くらいしか音が鳴らないのは、なんでですか」
「そんなに怖い顔しなくても大丈夫だよ」
「細かいことが気になっちゃう質なら、のぞいてみたらいいじゃない」
今まで大事に握ってきた、その袋の中身をさ。
⑧袋の中の黒い石
▶中を見る
葉菜先輩に促されて恐る恐る袋の中身をのぞいても、中からおばけが出てくる、といったことはなく、部屋の暗さと袋の底が深いのでよく見えない。
逆さにして手のひらで受ければ、今まで拾ってきた石が全て合わさった黒い石が転がってきた。ヒトデのように5つの突起がついている。継ぎ目もわからないくらいにピッタリと合わさっている。まるで最初からこの形をしていたように思えるくらいだ。
「これ、は一体」
「……ヒロ君はさあ、信頼が築けていない相手に自分の言を信じさせたいと思ったときに、どのように言葉を使う?」
具体的な話をしたり、数で規模を伝えたりするのも有効だけど、一番手っ取り早いのは目に見える物を証拠として使うのが分かりやすいよね。“百聞は一見にしかず”ってやつだ。
でも、今回は証明したい物が目に見えない物だった。だから見えない物を見える物に落とし込み、それをなんやかんやする事で解決したと信じ込ませようとしたんだ。怖いものは見えなかったから、見える物にした後にやっつけたんだよ。
「じゃあこれは怖い物だったんですか」
「その石ころ自体は怖い物ではないんだよ。中に封じ込めたのが君の言う怖いものだったんだ」
は、と聞き返すよりも花先輩が木刀を振り抜く方が早かった。ひゅんと短く風を切る後、あやまたず石の塊だけに触れ、地面に叩き落とされる。ぱきゃ、と石が砕けるのにしては随分と軽い音がした。
途端に、肝試しに入った時から夏にしては涼しかったが比べ物にならないほど、急激に周囲が寒くなっていく。まるで冷蔵庫に顔を突っ込んだ時みたいだ。地の底から響くような唸り声が四方八方からし始め、建物がガタガタと揺れ始めはめ殺しの窓がピシピシと鳴る。天井に届くような大きな黒い影が爛々と光る目をこちらに向けている──
あまりの常軌を逸した現実を認められず、視界が狭まっていき、手にした袋を握りしめたまま、意識が遠のいた。
⑨先輩タイム
キャパシティオーバーになって地面に大胆なキスを披露しそうになったヒロを、寸前で花都が受け止めた。
「あーらら、さすがにヒロは目を回しちゃったかー
「発狂されるよりは、意識を落としてくれた方がまだマシだ。今度は俺が運ぼう」
「まあよく保てた方だよ。ここまで全部引っかかってたからね」
意識を失ったヒロを中屋が背負う。花都は木刀を手首で回した後に構え直した。
「いくらヒロ君の貧弱な想像力を種にしてるからって、怖がらせる現象に手を抜いているから、おかしいと思ってたんだよね。
最初は足音だけ、対峙したバケモノも手応えがなくただガワを作ったものだけだったし、血みどろの現場は血の臭いまで再現されていなかった。余力を別のことに使っているだろうってのは見え見えだよね。──例えば、こちらに干渉する力を持った限りなく実体に近い何かを作ってたり、とか」
幾人もの叫び声を混ぜた耳障りな雄叫びをあげるバケモノ相手に、葉菜は笑って号令をかける。
「さあて、こっからは先輩の時間だよ。花みゃこ君、中屋君、やっておしまい」
* * *
「そ……さー、じ………で……ったと思ったら」
「どうして………………場面がろ…」
規則的な揺れと誰かの話し声が聞こえる。…………誰か、じゃないなハナ先輩達だ。目をしばたかせて周囲を見渡せば、あの閉じ込められた薄暗い廃病院ではなく街灯の灯りが見える。見覚えのある道はどうやら駅に向かっているようだ。
「あ、ヒロ君やっと目が覚めたよ。おはよ〜」
「やっと、とは言うが後輩が気絶してから 一時間も経っていないな。精々が四十分ほどだ」
「おはようございます? 病院からやっと出られたんですね」
「当たり前じゃん、ヒロはおれのかっこいいところを見られなくて残念だなー」
代わる代わる先輩たちに声をかけられて、ようやく中屋先輩に背負われたままだと気がついた。慌てて降りようとすれば、外傷はないが気絶したんだから大人しくしておけと、にべもなく断られた。中屋先輩の背は、やたらと安定感があるし、花先輩が寄越してくれた上着を頭からかぶれば誰だか分からないだろうし駅前までならいいかなと、もたれかかった。
「まあ入部試験はクリアしたし、ヒロ君もこれで立派な本部員だね」
が、葉菜先輩の突拍子もないセリフに跳ね起きた。
「え、僕、入部届を提出させられたのに所属できてなかったんですか?」
「今回の肝試しは、ヒロ君が部の活動についていけるかを見るためのものだったんだよ。批評するなら、できれば、ああいった場で見つけた物を素手でさわるのはやめた方がいいかな。無事合格!」
「本入部おめでとう! 影響を受けやすいなら、塩のグッズを持っておいた方がいいぜ!」
「おめでとう後輩。おかしい気配を感じたならば気のせいと思わず早めに共有することを勧めるぞ」
かけられる先輩たちの声がまるで悪魔の声のように聞こえて、もう一度意識を飛ばしたが、これはほんの始まりに過ぎなかったのだった。
読んでいただきありがとうございました。
最初は週刊連載にしようと、1万字書き溜めていたのに途中で詰まり完結させるまでに2年かかってしまいました。夏に書き始めた話だったので夏にならないと書き進められなかったんです。
今までで一番長い話だったので、終わらせるので精一杯でした。