その一
この職業は不思議だ。
ついさっきまでは営内の柔らかくはないが満足は出来るベッドで寝ていたのに、今はすし詰めにされ空を飛んでいる。ついさっきまでは半袖、短パンにスリッパだったのに、今はテッパチに戦闘服、防寒靴ときている。その上からは実弾入り弾倉が入っている弾嚢やらなんやらを散りばめた防弾チョッキを着込み、右腰に銃剣を据え手にはスリング付きの89を持っている。着替えや戦闘糧食やよくわからない物を詰め込んだ結果30kg近くの重量に達する背嚢を背負っていないことは救いだが、だからといって現状に対する様々な不満が解消される訳ではない。
この任務に対する不満、完璧と言って良い二日酔いという不満、それに加えての乗り物酔いで今にも吐きそうという不満、今が年末年始休暇中という不満、そしてなにより本町のお気に入りのキャバクラ嬢にフラれたという不満。
しかし対処法は知っている。この職業に就いてから8年間の様々な経験、特に部隊レンジャー集合教育と部隊格闘指導官集合教育を修了した結果、得ることができた金言を唱えることだ。
「時間が解決するさ」
北海道の陸上自衛隊函館駐屯地に所在する北部方面隊第16旅団、第56普通科連隊第1普通科中隊に所属する阿河3曹は、悪天候に揺られながら津軽海峡の洋上2000ftを南西に進むUH-1Jヘリコプターの中でそう呟いた。
ボーっと眺めていた大荒れの海から機内に目を転じてみる。同じ中隊の先輩の1曹、ショートカットでかわいい後輩の本管《本部管理中隊》のWACに2中隊の部隊レンジャー同期が目に入る。機上整備員のあいつは何かの教育で一緒だった気がするが、それを思い出す作業は面倒くさいので止めた。
「LZ降着5分前」
機長が機内スピーカーで目的地が近いことを伝える。左胸に部隊スキー指導官徽章を付けた現場指揮官の玉木1曹が皆をジェスチャーで自分に近寄らせ、武器装具の点検と降着後の行動をヘリの騒音に負けない大声で再徹底する。それを聞きながらも阿河は、自分が何故こんなところでこんなことになっているのかを考えてしまった。
12月25日は散々だった。なんでそうなったかは未だに理解できない。俺の任務分析、それに伴う各種の見積もりと作戦計画は完璧だった。お店に行くだけではなく外でデートもした。札幌に旅行も行った。満を持してクリスマスプレゼントも渡した。しかし、意を決した告白に対して言われた言葉はネットの失敗談でよく見かける
「友達としか見れない」
だった。
作戦は失敗した。コンビニの駐車場でヤケ酒をし、日付が変わってすぐの深夜に敗残兵のように駐屯地に辿り着いた。自分の部屋に入り辛うじて着替えはしたが、シャワーを浴びる気力はなく泥のように寝た。悲壮感を疲労感が上回り、寝れない夜を過ごさないで済んだのは不幸中の幸いだったが、それは単にまだ不幸が始まってないだけの話だった。
誰かに激しく揺すられて起きたのは0600になる前だった。営外者の玉木1曹がベッドのすぐ横に立っていたが、すぐには事態を飲み込めなかった。玉木1曹は
「すぐ着替えて中隊事務室に来てや。戦闘服と防寒靴ね。あと装具あればいいわ」
とだけ言い残し部屋を出て行った。災派かと思いつつもまだ頭はあまり回っていなかったが、幸いにも頭が指示しなくても体が勝手に準備をしてくれた。
中隊事務室に着くと少なくはないが多くもない人間が慌ただしく動いていた。余程時間が無かったのか、戦闘服すら着ていない私服の者もいた。誰かに向かって怒鳴っている者、電話に向かって怒鳴っている者。怒鳴る以外にコミュニケーションはとれないのかという疑問しか出てこない中
「玉木1曹、阿河3曹は連隊本部まで!認識統一あるそうです!」
という怒鳴り声が聞こえた。統一も何もと思いつつ、どこからともなく現れた玉木1曹と合流し連隊本部へ向かう。
連隊本部にいたのは本管の上原3曹、2中隊の本田2曹、それに漢字が難しくていまだに名前を覚えられていない3科長だった。本田2曹は部隊レンジャー同期であり、知り合いだったので挨拶を交わした。上原3曹は以前気になっていた女性隊員だったが、特に面識があった訳ではないので軽く会釈する。この陸曹四人で何かをするのは見当がついたが、何をするのかは見当がつかなかった。
これで全員だな、と言った3科長は今なにが起こっているかを早口になるのを抑えつつ説明しはじめた。なぜ早口気味なのかは言われなくてもなんとなくわかった。
きっと俺は、酷い目に遭うんだろうな。