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なろうラジオ大賞2 • 3 • 4 • 5 • 6参加作品

廃校は体育祭の想いでを語る


我が校は昭和の初めに開校する。


沿岸部にある地方の町の町外れに建てられ、広い校庭の直ぐ目の前には大海原が広がっていた。


当然、体育祭の競技種目には棒倒しや銃剣道と共にカッター競技や水泳種目も含まれ、特にカッター競技は各学年の順位が決まった後、各学年の1位と2位のみ参加の全学年による決勝戦が行われ、そこで1位になれば次の体育祭まで学校一の勝者として讃えられたものだ。


軍国主義が進むに連れて入場行進曲や体育祭中に流される音楽は、歩兵の本領や愛国行進曲に太平洋行進曲などの軍歌や国民愛唱歌一色になる。


太平洋戦争が始まると、次の体育祭で活躍すると目されていた若人たちを含む15〜18歳の生徒たちが次々と学校に退学届けを提出し、海軍や陸軍に志願して出陣していく。


戦争が終わっても彼等の大半は戻って来なかった。


僅かに復学した生徒の話しでは、彼等の大部分は戦場でその若い命を散らしたとの事。


戦後の体育祭では軍歌や国民愛唱歌が流されなくなり代わりに、星条旗よ永遠なれやワシントンポスト、道化師のギャロップなど戦勝国の行進曲が流された。


昭和の中頃になると行進曲だけで無く、テンポの良い歌謡曲も体育祭中に流されるようになる。


昭和が終わりその頃から少子化が問題となり、我が校も入学する生徒の減少に悩むようになった。


それを打開する策として平成の初期に男子高だった我が校は男女共学になる。


男女共学になった年以降行われた体育祭は、野太い男子の応援に女性の黄色い歓声が交じり華やかになった。


平成の初期に男女共学になったが少子化の波は止まらず、令和になると入学する生徒数の減少で空き教室が増える。


体育祭も昭和の頃は広い校庭が生徒で埋まっていたのに、令和の初め頃からは生徒だけで無く招待した父兄やOBOGがいるのに空いている場所が目立つようになった。


令和の中頃100年以上続いた我が校の廃校が決まる。


ただその原因となったのは少子化では無く、地球温暖化による海面上昇で学校が海に沈んだから。


今、校舎の前の広い校庭の上で魚たちが追いかけっこをしていた。







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