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聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
次元華の咲く場所へ
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第九章 聖女の決断(5)

 しばらく進むと、通路は右に折れ、壁で突き当りになっていた。その壁は、やはり指輪を嵌めた手で触れようとするとすり抜けた。

 そこから狭い通路に出る。落とし門が閉じられているため、逆に狂戦士から死角になっていた。

 僕は螺旋階段を登り、聖女の私室に向かった。女性のうめき声が聞こえてくる。それは苦痛のうめきのようでもあり、何か別の響きのようでもあった。

 螺旋階段を登りきると、秘密の通路への隠し扉は開け放たれていた。理由は何となく想像がついた。通路は見つけているから、そこから逃げることなどできないと、シーヌに見せつけるためだ。

 シーヌはやはりそこにいた。天井と床の両方に打ち付けられた二本の金属柱の間に、彼女は聖女の衣装なのだろう、白いローブを着たまま四肢を鎖で拘束されていた。彼女の姿は初めて画面越しに見た姿と同じで、水色の半透明な頭部に球体の目玉だけがある状態だった。人型を保つことができないくらい、彼女は憔悴していた。

 シーヌが完全に拘束されているからだろう、部屋の中には狂戦士の見張りすらいなかった。聖宮長などの姿もない。助けるなら今のうちだ。

 僕はボガア・ナガアから返してもらった工具で拘束の鍵を外して行った。床には何のためか考えたくもない、いびつな形の器具が転がっている。シーヌの足元に溜まった、正体も確かめたくない液体で僕の足が濡れたけれど、僕は気が付かないふりをした。

 すべての拘束を外すと、シーヌはその場に崩れ落ちそうになった。僕はそれを支え、ごく小さな声で、

「歩ける?」

 とだけ聞いた。彼女は首を振った。彼女の体はガクガク震えていて、支えていないと腰砕けに崩れ落ちそうになる有様だった。

 僕も彼女は一人では歩けないと判断して、彼女を抱え上げた。シーヌの体は僕の倍くらいあって、正直とても重かったけれど、それでも何とか運べる重さではあった。

 無言で、ゆっくりと螺旋階段を下る。確実に、そして、急いで。シーヌは、時折小さな声をあげて痙攣したように震えながら、それでも、僕にしっかりしがみついていた。重いとか言っている場合ではない。とにかく彼女を落とさないように抱きかかえながら、僕は一歩一歩螺旋階段を降りた。上階からはまだ騒ぎも聞こえてこない。今のうちに進めるだけ進みたかった。

 なんとか長い螺旋階段を降り切り、シーヌを壁にこすらないよう気を付けながら通路を少し進む。そして、僕は無事、隠し通路の奥に戻ることができた。

 そこからは少し歩くスピードを落とし、シーヌの身の負担にならないよう、できるだけ揺らさないように彼女を運んだ。

 大空洞の前の両開きの扉まで着いた。僕はシーヌを一度床に降ろすと、指輪で大空洞への扉を開いた。

 それからまたシーヌを抱き上げて進み、しばらく進んだ場所でシーヌをまた降ろして、自分も床に座った。

 水袋を出してシーヌに渡すと、彼女はがたがた震える手で受け取り、口のない顔で中の水をすこしだけ浴びた。そして水袋を放り出して彼女は倒れた。水袋が転がり、中の水が大空洞の地面に零れだす。

「ごめん、なさい。すこし、だけ、向こうを、向いて、いて、ください」

 震える声で、シーヌは言った。息は荒く、時々くぐもった喘ぎが小さく漏れている。僕は何も聞かずに水袋を拾って、それに従った。僕はしばらく、遠くで徘徊しているモンスターを眺めていた。その間のシーヌの様子については、記さないことにしよう。忘れるべきことだ。

 しばらくすると、シーヌは地面に転がったまま、疲れ果てて眠ってしまったようだった。そのほうがいいのかもしれない。僕はそんな彼女を起こさないようにもう一度抱き上げて、光の通路の中を進み始めた。

 帰りも来た時と同じように、休憩を取りながら進んだ。シーヌは二回目の休憩をとっている間に目を覚ました。

 目を覚ました彼女は、体力がすこし戻ったのか、ナマズに似た人型の姿になっていた。

「ありがとうございます」

 彼女はしっかりした声で言った。だいぶ落ち着いたようだ。

「うん。でも先は長いし、お礼はレデウに着いてからでいいよ。今はゆっくり体を休めて」

 僕は彼女がどれほどまでに聖宮長に支配されているのか、それは洗脳なのかなどの疑問を、聞きあぐねていた。どうやって聞けば彼女の心の傷を抉らなくて済むのか、そもそもそんな聞き方があるのか、全く分からなかった。

「大丈夫、聞きたいことを聞いてください。あれだけ見られた後ですもの。今更隠せるものでもないです。見ていただいたとおりの仕打ちを受けました。もう少し助けが遅かったら、私の心は折れていたと思います。いえ、もしかしたらもう折れているのかも」

 シーヌはうつろな目で笑った。彼女の心は擦り切れていて、すでに傷だらけなのだということは僕にも良く分かった。

「泥人形が私の心にはない言葉で話したときも、あなたを襲ったときも、泥人形の目は私の目として、泥人形の口は私の口として、すべて私につながっていました。レデウの人たちに掛けたあの言葉を、誰もいない私の部屋で、私も自分自身の口で話していました。そんな言葉は私の心にはないのに、無理矢理泥人形に喋らされていました」

「狂戦士はあの泥人形を破壊した。僕たちと君が言葉を交わすのを嫌っているみたいだった」

 僕がレデウでの戦いのときのことを思い出しながら言うと、シーヌも小さく頷いた。

「彼等は私の心を砕きたがっていました。そうやって心を砕いた相手を、狂った人形として操れるのでしょう」

「僕もそうだと思っている。それでも僕には君が操り人形になったあとには見えない。きっと君はまだ大丈夫だ」

 そう思いたかったし、彼女の口調はしっかりしていて、僕はそうだと信じた。そうでなければあまりに彼女が可哀想で。

「分かりません。私はたぶん」

 シーヌは泣きそうな顔で笑った。

「レデウには行かないほうがいいと思います。私は自分がスパイでない自信もなく、いきなり大事な局面でエレサリア様に襲い掛かるのではないかと思うと怖いです」

「そんなことは考えなくていいんだ。君も泥人形を通して見ただろう? 僕の仲間には天盤の使者だっている。僕たちが君の力になるから」

 気が付いたら僕は、シーヌの頭を抱き寄せて抱えていた。自分を信じられなくなっている彼女が悲しくて、僕は彼女の頭を撫でていた。

「僕たちはエレサリアと君を救いたくて来た。だから僕たちが君を守るから。君は何も心配しないで」

「ありがとうございます」

 シーヌは僕の膝の上に頭を乗せ、横たわったまま目を閉じた。

「私が不甲斐ないせいで、たくさんの民が死にました。そんな私が救われていいのでしょうか」

「君は救われなくてはいけない。聖宮長の反乱と狂戦士の侵略でたくさんの人が死んだのは僕も悲しいけれど、それは君の責任ではないよ」

 僕はシーヌを撫で続けた。僕にできることはほんとどないし、気休めでもいいから、彼女の心が少しでも安らげる時間をあげられる方法は、そのくらいしかなかった。

「君は頑張ったよ。君は五年間もガーデンを守ったんだ。今回だって、君は精一杯聖女の務めを果たそうとしたんだ。君は頑張ったんだ。大丈夫、全部分かっているよ。だから今は心配しないで」

「ありがとう」

 彼女は言った。シーヌの顔を見下ろすと、シーヌの顔は僕に向いていて、シーヌの目は僕を見ていた。彼女と目があった。

「私……聖女なんかなりたくなかった……エレサリア様が喜ぶから、期待に応えたかっただけだった……でも、向いてないのは自分が一番知っていて……できもしないのに引き受けてしまったことを、いつも後悔していたの……でも、私頑張ったんだ……頑張ったんだよ……誰かに、それを認めてほしかった……ありがとう。褒めてくれて……ありがとう。私……こんな目にあうほど……私の治世は、そんなにひどかったのかな……」

 シーヌの目から、涙があふれた。僕は彼女の頭を抱きかかえて、撫で続けながら答えた。

「そんなことはないよ。そんなことはないんだ。全部君は何も悪くないんだ。だから君は泣いていいんだ。つらくて、悲しくて、痛くて、悔しくて、苦しい思いを、全部出していいんだ。大丈夫、全部僕が聞くから」

 シーヌが泣いてくれたから、僕は彼女の心の痛みに寄り添いたいと思うことができた。


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