第九章 聖女の決断(4)
目が覚めると、僕は荷物の中の食糧を少しだけ食べてから、螺旋通路を下って行った。縦穴から見える空はまだ暗く、星空が見えていた。
最下層に辿り着くと、やはりマンティコアは潰れて死んでいて、改めてとどめを刺す必要もなかった。死体をそのまま残すと他のモンスターを呼び寄せる恐れがあるので、僕は燃え草を少し掛けて、火をつけた。肉の焼ける嫌な臭いが縦穴に充満する。けれど、濃い血と生肉の匂いをそのまま放置するよりはましなはずだった。
縦穴の最下層にも横穴があって、通路が続いている。通路をしばらく進むと、突然前方に人工的な金属製の扉が見えた。
少し調べると、罠が仕掛けられている。外側から不用意に開くと毒ガスが噴き出る罠のようだ。
ドアの横を探って、橋の時と同様、指輪型のくぼみを見つける。指輪を当てて捻ると、やはり罠にロックがかかった。
扉を開け、中に入る。
中は石造りの通路で、扉から右手に向かって伸びていた。やはり明かりはなく、中はここまでの洞窟以上に真っ暗だ。僕は自分がコボルドで良かったと感謝した。扉を閉めたら、真っ暗闇にいて、それでも周りが見えるコボルドでなかったら、僕はきっと進退窮まっていただろう。
足音を立てないように注意して進む。今のところ生物の気配はなかった。洞窟と違い苔の匂いはしなかった。張り詰めた静寂だけに包まれている地下通路を進むと、左右への分かれ道に辿り着いた。右を見る。通路が続いていて、また分かれ道になっている。左を見る。右と同じ。つまり四つのルートに分岐しているわけだ。
僕はひとまず左、左へと進んだ。その通路は扉で行き止まりになっていて、扉には倉庫と書かれたプレートがはめられていた。
罠もなさそうなので、僕は中に入ることにした。どうやっても聖宮に辿り着くのには時間がかかる。つまりは逆も同じということだ。シーヌの体力を考えると、水、食糧、応急処置用の軟膏や包帯などといった物資を確保しておきたかった。
もちろんレデウからも持ってきてはいるけれど、あちらはあちらで大量にいるので、どうしても分けてもらえる量は少なくなる。そのため十分な量を持ってきているとはいえなかった。
倉庫の中の物資は古く、ほとんどは使い物にならなかった。相当長い間放置されているに違いない。ランディオたちも実際に通ってみたことはないのだろうなという気がした。
それでもいくらかまだ使い物になりそうな薬品二本を荷物に入れた。
それに、ありがたいことにまだ使い物になりそうな矢が大量にあったので、五本だけもらっていくことにした。
それから、なぜこんな場所に放置されているのかは分からないけれど、明らかに魔力が込められていると分かる凧盾があったので、それも拝借することにした。凧盾には大きく半竜半人のような生き物が描かれていた。冠をかぶり、錫杖を持っている絵になってる。何か曰くのある盾なのかもしれない。金属製にもかかわらず、凧盾はバックラーと一緒に背負っても問題ないほど軽かった。
倉庫を出て、向かいの通路に向かう。そちらも扉で行き止まりになっていた。扉にはプレートはついていない。見たところ罠もないようだった。
扉を開けて中を覗くと、がらんとした部屋だった。奥に古くなって壊れた宝箱がある。行き止まりで、ほかに扉もない。僕は中に入るのはやめておいて、来た道を戻った。
踵を返し、何歩か歩いたところで、背後の部屋の中から岩が崩れ落ちたような盛大な音が聞こえた。釣り天上の罠が古くなって勝手に崩れたのだろう。そんなことだろうと思い、入らなくて正解だった。
来た道を戻り、洞窟からの入り口から見て右側の通路を進む。ひとまず次の丁字路も右に進んだ。
やはり扉で行き止まりになっている。罠はないけれど、鍵がかかっていた。けれど、鍵穴がない。僕はあたりを調べてみて、どうやら仕掛け扉らしいと判断した。つまりここにいても開かないということだ。僕はその扉をいったんそのままにして、反対の通路を先に見ることにした。そちらは長く続いていて、脇にいくつもの扉が並んでいた。少し面倒くさくはあったけれど、僕は片っ端から開けて進むことにした。扉を開けるだけで中には入らない。要は帰りの安全確保のために、中に何もいないことを確認するためだ。
扉は三〇ほどあったものの、すべて中には何もいなかった。扉の向こうは二つずつ同じ部屋になっていて、朽ちたベッドと棚があるだけだった。全部で一五の部屋があって。おそらくはここで寝泊まりできるようになっていたのだろう。
その先はまた扉で行き止まりになっている。扉は鉄の両開きの扉で、近くの壁に指輪を嵌める窪みがあった。指輪を押し当てると、両開きの扉が開いた。
その先はまた自然の地面が広がっていた。端の見えないとてつもない広さの大空洞だ。僕は端の見えない空洞を眺めまわし、困り果てた。これでは安全確保は不可能だ。
一歩踏み出すと、背後で扉が閉まった。振り返って岩壁を調べると、指輪を嵌める窪みはあるようだ。念のために指輪で扉が開くのを確認してから、僕は扉を背に歩き出した。
すると指輪が淡く光りだし、気が付くと僕は光の通路の中にいた。光の向こうには大空洞が広がっていて、つまるところ指輪がなければ安全は確保されないということのようだった。
通路は曲がりくねってはいたものの一本道で、道に迷う心配はなかった。僕は通路に従って進み、あちこちにケイブワームや粘体モンスター、ケイブドッグや巨大蛇など、多数のモンスターが徘徊しているのを眺めた。通路の前方にモンスターがいる場合、通路のほうが勝手に迂回するように曲がった。
空洞は果てしなく広く、曲がりくねって続く通路が時間と方角の感覚を奪う。ただ、よくできているもので、疲れて地面に座り込むと、光の通路は出口のない部屋の形を取り、安全な小部屋になった。休憩も取り放題というわけだ。そうやって三度の休憩を挟みながら僕は大空洞の中を進み、ようやく反対側なのか、扉のある岩壁に辿り着いた。来たときの扉と同じ、指輪を嵌める窪みがあって、指輪を嵌めると扉が開いた。
僕は大空洞に別れを告げ、また石造りの通路の中を進み始めた。もしかしたらふりだしに戻って来たのではないだろうかと不安になったけれど、少し歩くと目の前に扉があって、そうではないと分かってほっとした。
扉には思い出したように罠が仕掛けられていて、これまでの罠同様、指輪でロックすることができた。扉を開けて進むと、そこは石造りの大きな部屋だった。部屋の中にはいくつものレバーがあり、それぞれ第一門、第二門などとプレートが付いていた。見回してみると、秘密の通路の門の操作ができるレバーのようだった。厩のゲートを開閉するスイッチまである。
また、レバーの上には水晶盤が壁に張られていて、“見つけさせるための通路”の様子が映っていた。天井すれすれから見下ろす視点になっていて、通路の天井ギリギリの壁に、映像送信用の何かが埋め込まれているのだろうことが容易に想像できた。
なるほど、と思う。おそらくではあるけれど、これだけ備えはしたものの、外敵など長らくなく、内乱もなく、時代が過ぎるにつれて存在だけが都の警備隊内だけで受け継がれ、放置されてきたということなのだろう。
映像には、狂戦士が多数脱出用通路に配置されているのが映っている。やはり通路は発見されているようだった。けれど人が一人やっと通れる幅の、聖宮や離宮のそばの狭い通路は無人だった。そこに立たれると誰も通れなくなるからだろう。通路の片端は螺旋階段につながっていて、もう片方は鉄の落とし門が閉じられている。落とし門の向こうに狂戦士が立っているから見つからずに逃げられるはずがないし、不意打ちもできない、そういう魂胆の配置になっている。
僕がいる部屋からは、どうやら、“見つけさせるための通路”に沿って通路が左右に延びているようだ。おそらく本宮と離宮につながっているのだろう。
僕は床に座って考えた。本宮か、離宮か。洗脳するのであれば、より精神的苦痛を与えられる場所に捕らえるだろう。僕ならそうする。本宮であれば牢屋に閉じ込め、洗脳の際だけ謁見の間などに連れ出すことで精神的苦痛を与えることは可能だろう。離宮であれば、一番安全であるはずの聖女の寝室にそのまま捕らえ、そこで苦痛を与えるのが効果的だ。僕はしばらく考えてから、立ち上がった。僕は左の通路を進むことにした。すなわち、離宮の方向へ。
聖宮長であれば、シーヌがそこにエレサリアと通信するための装置を置いているのも知っているはずだ。彼女の私室は、本来であれば、いつでもエレサリアに助けを求められるはずだった場所だと知っているからこそ、僕はシーヌはそこに囚われているだろうと思った。
そこで拘束され、すぐそばにある装置を眺めることしかできず、助けを求めることもできない、それほどの絶望はおそらく本宮にはないだろう。
僕は、そう考えた。