第九章 聖女の決断(1)
レデウの攻防から一夜が明けた。
エクドロスの部隊は退けたものの、ガーデン軍にも多大な被害が出たのは確かで、ランディオは部隊の再編に頭を悩ませている。
僕はエクドロスの首級を上げたとはいえ、そもそも今回の攻防戦自体が前哨戦にすぎず、大きな話題にはなっていなかった。むしろ、敵の本隊には、五〇〇の兵を前哨戦に投入しても足るほどの兵力があるのだろうという、厳しい戦力予想に空気は重かった。
このままではいずれガーデン軍は全滅する。けれど、レインカースには他の援軍などどこにもないのだ。
そしてもう一つ大きな問題を僕たちは抱えていた。それは僕が持ち帰った話で、作り物のシーヌを破壊した狂戦士が残した言葉についてだった。
そしてちょうど今、僕、ランディオ、エレサリアの三人でその対応を決める会議を行っている。狂戦士の話が本当であれば、シーヌは洗脳か、拷問か、手段は分からないけれど、敵方に染まりつつあるということだ。つまるところ時間を置けばシーヌと戦わなければいけなくなるということを意味していて、僕たちはその決断をしようとしていた。
シーヌを救うのか。
シーヌを救うのであれば、おそらく時間の猶予はそれほど長くはない。迷うのはあきらめるのと同義で、すぐにでも決断を下す必要があった。
「正直、僕の感想では聖女奪回に回せるような戦力はないと思う」
作戦会議テーブルを前に、僕は対面にいるランディオに言った。今回での戦死者は一〇〇に近く、負傷者も多数出ているようだ。負傷者に関してはシエルが朝からフル回転で治癒を行っている。彼女の話では明日までには全員癒し切ってみせると言っていた。フェリアもシエルについて行っていて、シエルが無理をしないように付き添っている。
ムイムも、生き残ったラクサシャ達を指揮して、砦の防衛に協力しているのでここにはいない。
「僕たちならひょっとしたら可能かもしれないけれど、フェリアやシエルが不在の間にレデウが攻撃されたら砦がもたないだろう」
「うむ。こんな風に言うのは軍としては名折れの極致なのだが、今砦の防衛は君たちの仲間に頼らざるを得ない状況だ。君の見立て通り、君達全員を聖女奪回に向かわせるのは危険だ」
ランディオも苦々しげに頷いた。現状でははっきり言ってしまえば、聖女奪還は、無理、なのだ。
「私たちは現聖女と戦う覚悟をしなければならないのだろう」
「秘密の脱出用通路とかがあれば、僕だけで行ってくるという選択肢はあるけれど。そもそもそんなものがあれば聖女様自身がすでに脱出に使っているよね」
あってもおかしくないとは思うけれど。まさか聖女本人がその存在を知らないなんて話はないだろう。おそらくは、一度脱出を図って失敗したか、そもそもその脱出経路が使えない理由があるのだろう。
「たしかに脱出用の通路はあるのだけれど」
エレサリアが口を開いた。ものすごいため息交じりに。
「シーヌが監禁されていた度合いは分からないけれど、あなたたちが水の精霊を解放しに来た時にはすでに監禁されていたわけだから、逃げる暇がなかったのではないかしら」
「なるほど」
ありそうな話だ。僕はボガア・ナガアに声を掛けた。
「ボガア・ナガア。工具を貸してくれる? 拘束されているだろうから、鍵を外す道具がいる」
「でもボス。防具はどうする?」
ボガア・ナガアの言葉通り、昨日の戦で僕の鎧はかなり傷んでいて、盾に至っては凹んでいる。修理をしないと使い物にならない状態だった。
「潜入するなら金属製の鎧や盾は邪魔なだけだ。弓と剣と短刀、あとはバックラーでも借りられればなんとかなるよ」
鎧がないのは不安だけれど、僕に合うサイズの鎧がそう簡単に手に入るとも思えない。それに、もとより数千の兵が集まる敵陣の中に飛び込むのだから、見つかったら最後、どんな鎧があったとしても無駄だろう。
「しかし、昨日の今日で大丈夫なのか?」
ランディオが難しい顔をする。妥当な心配だ。正直言って疲れが抜け切れているのかどうか、僕にも分からないし、癒したとはいえ、戦で受けた傷にも、正直不安はある。けれど、敵にシーヌを篭絡する時間を与えれば与えただけ救出は難しくなるのだろうと、僕はそちらの方を強く懸念していた。
「大丈夫だ。できないことには名乗り出ないよ。僕は自信家にはなれないから」
僕が頷いた丁度その時、タイミングを計ったように、不意に作戦会議用のテントの入口から、フェリアの制止の声がかかった。
「駄目です」
突然割り込んできた声に僕たちが驚いてそちらを見ると、フェリアとシエルが並んで浮いていた。
「師匠を止めてくださいよ。昨日は、あばらが三本折れて、肩にもひびが入ってたんです。シエルが治癒させたとはいえ、師匠は病み上がりなんです。それで今日すぐに単独潜入なんて無茶苦茶です。危ないとか、そういう問題を通り越してます。絶対駄目です」
フェリアは怒っていた。フェリアは少し怒りっぽいところがあるから不思議には思わなかったけれど、それにしても間が悪い時に来たものだ。
「じゃあ、君は僕の身の安全のために聖女様は見捨てるべきって意見と考えていいのかな」
僕は聞いた。それで迷うようであれば、両方は取れないという話をするつもりだった。
「はい、そうです。私は師匠の命を優先します」
けれど、フェリアの言葉には迷いはなかった。
「師匠は、ほかの人のために、坂道を転がる石みたいに、先も見ないで、どこまでも止まらずに転がって行ってしまうひとだから、その先が崖だと思ったら、私は師匠を止めます。それで誰かが助からないとしても」
スプライトになったことで、フェリアは急速に成長しているようだった。自分にとって何が大事で、そのために自分がどうしたいかを考えるようになっている。彼女は、自分が歩いていく道が見え始めているのかもしれない。
「私は」
フェリアの隣で、シエルが話し始めた。
「私は先生ができるというのなら、先生を信じます。ですが、もし帰ってこなかったら、私は先生を許しません。フェリアが泣くことが分かっているから、万が一などという言葉は、私は許しません」
厳しい。行くなら必ず成功させろ、約束できないなら行くな、という威圧感がすごい。天界の使いとして、シエルとして、両面で僕を威圧してきた。
「フェリア、シエル。冒険に絶対はない。それは君達にも分かっているはずだ。けれど、ここで聖女様を見捨てるという選択肢は、正直かなり分の悪い賭けになる。現最高指導者が敵になるということは、人心に大きな影響を与えるんだ。戦力もおそらくこちらの方が圧倒的に少ない状況で、人心を乱されたらガーデン軍に勝ち目はない。現状だけで言えば見捨てるのが安全だけれど、長い目で見れば、ここで聖女様を見捨てるのは大きな損失だ。なにより」
僕は自分の考えを言った。理屈上の建前でもあり、僕の本音でもあった。
「奪回を試しもせずに諦めたら、今も孤軍奮闘抗っているだろう聖女様に、あまりにも救いがないじゃないか」
僕の言葉に、フェリアはあきれたように大きなため息をついた。まるで、それが予想できていた答えだと言わんばかりに、彼女は首を振った。
「ですよね。師匠、聖騎士ですもんね。分かってました。ここは任せてください。師匠の留守は必ず守ります。その代わり」
と、フェリアは笑った。
「必ずシーヌ様を連れ帰ると約束してください」
「全力は尽くすよ。そのために行くんだから」
僕は頷いて、それからエレサリアとランディオに聞いた。
「聖宮の見取り図があれば見たいんだけど、都合よくあったりする?」
「あるとも。都の防衛砦にあったものを確保してある。攻めるのにも必要になるものだ。置いてきたりはせんよ」
ランディオがそう言って、テーブルから離れて行った。