第八章 ふたたびのレインカース(7)
ランディオがフェリアのことを兵士たちに説明するのを見届けると、エレサリアは市民たちがいるテント群に下がっていった。当然護衛のボガア・ナガアもエレサリアと一緒だ。彼はその役目があるため、戦には参加しないことになっていた。
レレーヌもエレサリアに連れられて行った。ドネもレレーヌの付き添い兼護衛として一緒だ。
僕はそのあと、ガーデン軍の歩兵に混ざって待機した。ガーデン軍の前方には木製の間に合わせの防壁が置かれ、その外側にラクサシャやエンタングラたちが切り込み部隊として立っている。その頭上に、ラクサシャ達を指揮しているムイムが浮いていて、エンタングラやラクサシャよりさらに向こう、最前線にシエルとフェリアが上空で遠くを見ていた。
《来ました》
ムイムからテレパシーが入る。同時に、ガーデン軍の索敵部隊が帰還してきたのが見えた。防衛線に緊張が走る。僕も初めての戦を前に、焦げ付くような不安と戦っていた。
狂戦士の軍団は、その呼び名とは裏腹に整然と並んで無言で近づいてきた。鎧の鳴る音だけが騒々しく響き、敵軍はフェリアやシエルの向こう側で止まった。先頭には朱と金で彩色された派手な鎧を纏ったニューティアンがいて、周囲にはニューティアンの兵士が取り囲んでいた。反乱軍だ。
「都が陥落したにも関わらず、敗北を認めぬ国賊軍ども。私は新政府の国賊討伐隊指揮官、エクドロスである。おとなしく投降し、村を解放するならば手荒にはせん。だが、愚かにも新政府にたてつき、村の占拠を続けるのであれば、容赦はせん」
大声で、派手な鎧のニューティアンが叫ぶ。どんな大声を出したところで、戦線の後方や端のほうまでは届くことはないのだけれど、中央の兵を崩すことによって、周囲の動揺も誘うとかなんとか、何かの書物で読んだ気がする。これがそういう口上なのか、と僕はいらない感心を覚えた。
エクドロスと名乗った敵軍指揮官の影で、一瞬だけ、明らかにニューティアンでない何者かの姿が見えた。けれど、それは一瞬のことだったし、他の兵士たちが密集していて、どんな姿をしているのかははっきり見えなかった。
僕の近くのどこかから、
「あれだけ都で派手に虐殺しておいて、何が解放だ」
という兵士のつぶやく声が聞こえてきた。
僕もまったく同意見だった。
ガーデン軍はエクドロスの言葉には答えず、敵軍が襲ってくる時を待ち構えていた。それを見て、エクドロスは自分の後ろにいる人物を前に出してきた。
丸みのある色白の顔。大きく開かれた丸い目。大きな口。前に出てきたのは女性で、ヌークで、その姿は間違いなくシーヌだった。
「皆さん。ガーデンは滅びました。都は陥落し、聖宮は侵略軍の手によって占領されました。私たちは負けたのです。都ですでに十分に血が流れました。これ以上の争いは無意味です。これ以上の流血を避けるため、どうか武器を置いてください」
見え透いた演説が聞こえる。現聖女を前面に出して動揺を誘うつもりなのだろう。けれど、僕の周囲のガーデン軍兵士はシーヌを凝視しながら、その言葉には同意できないとばかりに武器を握りしめていた。
現聖女に敵対することに不安はあるのかもしれないけれど、ガーデン軍からは少なくとも動揺の声は聞こえてこない。彼等はエレサリアからすでに民の命を託されていて、市民のために立っている兵であって、聖女の兵ではなかったから。その様子に、エクドロスは忌々しげな顔をしていた。
そして、極めつけに。
シエルがあたり一面に暖かな光を降らし、それがシーヌをも照らすと、シーヌの声が一変した。
「皆、聞いてください。これ以上の惨殺は許してはなりません。私はもはや私でなく、皆の動揺と戦意を挫くための言葉を吐かされています。私の言葉は聞いてはなりません。お願いします。民を守ってください」
それは光が照らしている間だけのことで、シエルが降らした暖かな光が薄れて消えると、
「皆さん、武器を置くのです。平和のために」
シーヌの言葉は元に戻っていたけれど、その言葉に惑わされる者も、聖女に敵対することに迷いを感じている者も、完全に皆無になったように見えた。
「ええい、全く忌々しい! 全軍! 国賊軍を皆殺しにしてしまえ!」
苛立ちの頂点に達したように、エクドロスが叫ぶ。それに呼応して、敵の戦列から騎馬隊が飛び出してきた。
戦が始まったのだ。
僕はシエルとフェリアがすぐに反応して、騎馬隊を瞬く間に無力化したところまでは見ていた。敵の歩兵の海に対して、ラクサシャが突撃し、エンタングラたちがのっしのっしと全身を始めたのも。けれど、そのあとは飛び交いはじめた矢の雨から身を守るのに夢中で、遠くの状況を確認している余裕はすぐになくなった。
敵軍から降ってくる矢はそれほど多くない。おそらくではあるけれど、シエルが守ってくれているのだろう。
逸る気持ちを抑え、周囲の状況を伺う。まだ防壁は破壊されていない。防壁越しにガーデン兵が狂戦士を槍で突いて打ち倒しているのが見えた。
けれど、やはりその時は来る。あちこちで防壁が破壊され、乗り越えられ、敵兵がなだれ込んでくるのが見えた。それから僕がいる場所の近くの防壁が決壊するまでには長くはかからなかった。
僕は剣を抜いて走った。決して一人では戦わず、ガーデン兵と連携して敵と対峙するように気を付けながら戦った。
僕にはフェリアのようにまとめて敵の命を奪うような闇の力は使えない。シエルのように味方を鼓舞し、敵に罰を与えるような光の力もない。だから、ひたすら地べたを駆け回り、短い手足を精一杯使って剣を振った。僕の周りはあっという間に敵味方入り乱れた乱戦の状況になって、僕がどれだけ必死に敵を倒し、味方を庇っても、それより多くのニューティアンたちが倒れていく。
自分の剣は短すぎて、味方を助けようとしても敵に一歩届かないことが多いことを僕は学んだ。それで僕は自分の剣を仕舞い、地面に突き刺さっていた、自軍のものとも敵軍の元とも分からない槍を引っこ抜いた。僕にはその槍は少し長すぎるかと懸念したけれど、乱戦のさなかでは、振り回すスペースなどなく、突くだけなら何とでもなることを知った。
慣れない槍を手に僕はひたすらに戦った。できるだけ苦戦している様子の味方の援護に回るように、周囲の状況を見ながら走り回って。もちろん僕自身も何度も狂戦士の凶刃にさらされながら戦った。あちこち裂傷や擦傷ができていたけれど、いつ攻撃を受けた傷なのかなど、いちいち覚えていなかった。竜の護符の目はずっと輝きっぱなしで、それがなければ死んでいただろうと思う。
どっちに向かって走ったのかなど覚えていない。どれだけ敵を倒したかなど覚えていない。どれだけ味方の死を見たのかも覚えていない。ただひたすらに走り回り、味方を攻撃しようとしている敵を突いて、それができない時には身を挺して味方を庇った。どれだけの攻撃が盾で弾けたかもわからなかった。気が付けば盾についていたはずのカレヴォス神のシンボルは鋲が外れて根こそぎなくなっていた。それでも僕は走った。
何度か味方が分断され、孤立しているのも見た。僕は可能とみれば敵陣をかき分けて孤立している味方に合流し、突破口を開くのに協力した。勝っているのか負けているのかもわからない戦場で、僕はただニューティアンたちを一人でも生き残らせることだけを考えていた。
どのくらい戦ってからだろう。僕は足を止めた。周囲を見まわたすと、敵のものも、味方のものも入れ混じって、夥しい死体の中に僕はいた。
遠くでエンタングラが戦っているのが見える。腕を蔓のように伸ばして乱暴に降っている。そのたびにまとめて幾人もの狂戦士が吹き飛ばされていた。エンタングラたちは強く、頑強で、多大な戦果を挙げているようだった。
見回せば戦っている味方の数は多く、敵陣から飛んでくる矢はなくなっていた。
敵の数がまばらになっていたからだろうか。かなり先に孤立して狂戦士と戦っているニューティアンの一群がちらっと見えた。
僕は再び駆け出すと、狂戦士たちを遮二無二突いて進んだ。数人のガーデン軍の兵士が僕の姿に気づき、加勢してくれた。
おかげで僕はニューティアンたちの所まで何とか辿り着くことができて、彼等に声を掛けた。
「大丈夫? 突破できる?」
僕の声に彼らは一瞬戸惑った素振りを見せてから答えた。
「すまん。この先でシーヌ様を見た。新政府軍にいさせてはいけないお方だ。救出に手を貸してくれ」
彼らは決死の覚悟を決めた顔をしていて、狂戦士に囲まれながら、戦意は失っていなかった。
「案内してくれ。突破しよう」
僕は彼等の言葉に頷いた。彼等は反撃の方向を一方に集中させて、狂戦士の群れの強硬突破を図りはじめた。
僕も彼等の一群の先頭に並び、狂戦士を突きながら進んだ。やがて僕たちの前方に、狂戦士たちに守られながら立っているエクドロスとシーヌの姿が見えてきた。
ニューティアンたちと協力し、狂戦士の一群を退けて進む。ニューティアンたちは傷だらけになりながら、僕の周りを固めて、周囲の狂戦士を打ち倒していった。
そして僕は、エクドロスと対峙した。