第二章 初めての探索(2)
現場は僕の足では遠い。まずは足を手に入れなければならないだろう。ひとまず、田園地区を目指すことにした。
とはいえ、実は困ったことに僕は馬に乗れない。乗馬ができないのもそうだけれど、乗馬の練習すらできなかったのだ。
理由は簡単。モンスターだからだ。
馬が怖がって僕から逃げるのだ。ひどい馬になると近づくだけで蹴ってくる馬までいる始末だった(といってもそこまで乱暴な馬はさすがに一頭だけだったけれど)。
完全に乗る以前の問題だった。考えてみれば当然なのだけれど、コボルドに気を許してくれる家畜は、たぶん人間以上に少ない。話して分かってくれる相手でもないから、怖がらせるだけかわいそうというというわけだ。
代わりに大型犬に乗るということも考えてみたことがあるけれど、犬もなついてくれないのであきらめた。
猫はなついてくれるけれど、小さく軽いとはいえ、さすがの僕も、猫に乗るのは不可能だ。
それでも何とかして足は手に入れなければならない。レンジャーや狩人向けに、猫科の大型獣を扱っているブリーダーがあるという話を聞いたことがあり、そのブリーダーを当たることにした。
結論、無理だった。完全に獲物を見る目だった。仲良くなる前に食われそうなので、断念した。
仕方がない、かなり時間はかかるけれど、自分の足で走るしかない。
そうあきらめた時だった。
通りを突進してくる馬が見えた。灰色の毛の立派な馬だ。馬には漏れなく嫌われている僕は、馬の進路を避け、草むらの中を走りだした。かまっている暇はないし、僕が出て行ってもより暴れさせるだけだ。
そう思ったのに。
なぜかその馬は進路を変え、僕のほうに走ってきた。よく見れば、いつも僕のことを蹴ってくる馬だった。
命にかかわる事態に肝を冷やす。ロッタを救出する前に馬に蹴られて死ぬわけにはいかない。突撃してくる馬を躱して、街道のほうへ逃げる。
馬は立ち止まり、さらに方向を変えて突撃してくる。二度、三度、躱しているだけで正直かなり疲労感が増してくる。僕はついに避けきれずに馬に追いつかれた。
跳ね飛ばされる、と思った瞬間。馬は器用に僕を跳ね上げ、その背中に乗っけると街道目指して走り出した。
「は……え?」
驚いていると、その馬は、分かっている、と言いたげに鳴いた。
そして、速度を上げる。僕は何とかしがみつき、その声にこたえた。
「助かる、ストーミー」
あまりに気性が荒いので、その馬はそう呼ばれていた。ストーミーは、振り落とされる程度なら救出はあきらめろ、とでも言いたげに、背中の僕の安全など気にせずに街道を駆け抜けた。
通常の馬であれば一五キロの道のりは、四〇分くらいの時間で駆け抜けるという。ストーミーは、それをはるかに超える、驚異的なスピードで道のりを駆け抜けた。三〇分もしないうちに、襲撃のあとだと思われる、馬車の残骸が前方に見えてきた。数人の兵士の姿もある。
「あれだ、ストーミー。あそこまで頼む」
僕が言うと、どこにそんな力が残っているのか、ストーミーはさらに速度を上げ、ぴたりと馬車の残骸の横で止まった。
「助かった」
僕が飛び降りると、ストーミーは何事もなかったように、道端の草のにおいを嗅ぎ始めた。一口かじり、不味い、と言いたげに吐き出した。
とはいえ、それを眺めている場合ではない。
手掛かりを求めて、僕は馬車の残骸に近づいた。兵士たちが僕に気が付き、近づいてきたので、
「セラフィーナの妹さんの救出のために来ました」
それだけ告げる。兵士たちはそれだけで分かってくれた。きっと僕のことを知っているのだろう。目立つのもたまにはありがたい。
意外に手掛かりは簡単に見つかった。
匂いだ。
コボルドは割と鼻が利く。僕は馬車には似つかわしくない、大ネズミのにおいに気が付いた。
大ネズミはどこにでもいる獣で、美味しくはないけれど、食用できるから、狩りができないときなどに、僕もよくコボルドのねぐらで食べさせられた。だからこの匂いはよく覚えている。焼くと独特の匂いがきつく、体について一日中消えないのだ。
あんなものを食べるのは、まずまっとうな人間ではない。僕はその匂いを追った。
街道は東西に延びていて、北側に森、南側には湿地帯が広がっている。匂いのあとは、森側、湿地帯の両方に続いていたけれど、森側は街道脇の草原から森に入ったすぐの茂みの奥で途切れていた。おそらく馬車を狙うために隠れていただけだろう。
奴らは、湿地帯から来て、湿地帯に引き上げていった、僕はそう判断し、兵士にも念のためそう告げておいた。それから湿地帯側の匂いを追った。
地面に這いつくばるまでもなく追えるくらいの強い臭気がする大ネズミに、これほど感謝したことはない。念のために背の高い草や、低木、岩などに身を隠しながら、僕は泥濘を避けて固い地面を探しながら進んだ。
湿地帯は臭いというイメージが強いと言われているようだけれど。実際にはそんなことはない。ほとんどは自然の匂いしかなくて、むしろ森や草原といった場所のほうがいろいろな匂いがまじりあっていることのほうが多い。
匂いが強い湿地帯があるとすれば、たぶんそれは温泉や鉱泉でも湧いているのだろう。
焼き大ネズミの匂いを追い、見通しも足場も悪い沼地を進んでいくと、不意に、空気に人間が持つ煙草の匂いが混じりだした。
近くに誰かがいる証拠だ。
僕は物陰に身を隠し、あたりの様子をうかがった。視界は悪かったけれど、なんとか目を凝らし、前方に古い砦だったのだろう廃墟があるのを見つけた。
その上を、ぶらぶら歩いている男がいる。色褪せた革鎧を着ていて、嫌な色の煙が出る、煙草を吸っているのが見えた。
人がいることがすぐにわかる匂いを出していることにある意味助けられはしたけれど、それ以上に僕は困り果てた。
あれの匂いが強すぎて、人間が周りに何人いそうか、匂いが嗅ぎ分けられない。山賊たちがどの辺にいるのか分からないということは、どこが死角でないかも判断できないということだ。これでは、見つからずに接近できそうなルートが見つからない。一旦引き返して兵士たちに拠点を見つけたことを教えるべきか、という考えがよぎる。
けれど、それでも困っている時間はないということが分かってしまった。砦の上の男のぼやき声が聞こえてきたからだ。
「チッ、兄貴たちは中でヨロシク楽しんでんだろうな、クソッ」
その言葉に、腸が煮えくり返る思いがするのを抑え、同時に、引き返す案を即座に捨てた。僕はなるべく砦から遮蔽されるルートを、意を決して進むしかなかった。
とにかく、急がなければ。
取り返しのつかないことになる前に。
実際には数分もたっていないのだろうけど、僕にはとても長い時間のように感じられた。とにかく身を隠しながら、少しでも砦に近づいていく。どうしても砦を回り込むように進むことになるけれど、それは仕方がないことだとあきらめた。急ぎすぎて発見されては元も子もないのだから。
そして、足元が、自然のものではない感触になる場所を、僕は運よく見つけだした。見つかれば助かるとは思っていたものの、実際にはそんなに簡単に見つかるものではないから、とても運がよかったと思う。
足元を見ると、足元が格子になっていて、古いけれどしっかりとした鉄のステップが点々と地下に続いている。間違いない、砦にはよく存在している、緊急用の秘密の出入り口だ。
格子が固められていないことを、わずかに動かして確認する。それから、万が一にも音が出ないように蝶番に油をさしてから、僕は手早く格子をあけてもぐりこんだ。
ここからが本番だと気を引き締めながら。