第七章 ミスティーフォレスト(7)
僕たちはエンタングラたちを引き連れて移動を始めた。
人数が多すぎるため、ラクサシャは一旦ムイムに連れ帰ってもらうようにしている。そのため、ムイムだけが別行動になった。
ムイムがいない分、シエルが上空から周囲の状況を教えてくれている。僕たちは彼女からテレパシーで送られてくる情報を頼りに、枯れ果てたレレーヌの森を、無事な森がありそうな方角に向かって進んでいた。シエルが上空で見張りをしているので、当然ながら移動は徒歩だ。僕たちを囲んでエンタングラたちがミシミシ音を立てながら歩く景色は、結構壮観だった。
それにしても、天界の使者に見張りを頼んでいると言ったら、サール・クレイ大聖堂のみんなはどんな顔をするだろうか。ありがたいような、申し訳ないような、複雑な気分だった。
しばらく、僕たちの移動は何事もなく続いた。フェリアは時々僕の頭の上で休みはしたけれど、自分で僕の近くを飛んでいることが多く、僕の隣を歩くレレーヌも、体調に異常はなさそうだった。ドネは相変わらず魚の姿をしていて、僕やレレーヌの頭上を泳いでいた。ドネの周りには、レレーヌの苗木が入った水の球が三個浮いていた。
相変わらず空気は薄霧で霞んでいて、視界は悪い。シエルの誘導がなければどちらに進んでいるのか感覚を失っていただろう。
レレーヌの森だった場所の木々の死滅はさらに進行していて、あちこちから朽ち果てた木が自重で倒れていく音が聞こえていた。そのおかげで視界は少しずつひらけてきていたけれど、レレーヌの気持ちを考えると喜ぶ気にはなれなかった。
《先生》
上空のシエルからテレパシーが届いた。
《後方から馬列が迫ってきています。騎馬隊と思われますが、撃退しますか?》
天上というのはそんなに好戦的なのか。いきなり攻撃するのはさすがに少し迷う。
《乗っているのは人間?》
僕はシエルに聞いてみた。シエルからは、
《分かりません。全身鎧で中が見えません》
という返答があった。僕はさらに聞くことにした。
《数は?》
《一二騎います。馬上弓兵もいるようなのでお気を付けください》
弓兵か。会話の距離になる前に攻撃してくるおそれがあるということだ。判断が難しい。
《すこし脅かしてきてもらうことはできるかな》
天界の使者に話しかけられたらさすがに無視はしないだろう。その結果で対応を決めようと僕は考えた。
《分かりました》
シエルがそう応答すると、霧の中に僕たちの後方に向かって飛んでいく影がうっすら見えた。
シエルが戻るまでに長くはかからなかった。彼女は本来の姿の状態で、上空ではなく、僕たちの所に戻ってきて合流した。
「迎撃の用意をするか、走ってください。話しかける前に、問答無用で矢を射掛けてきました。私は応戦します」
「分かった」
僕は頷くと、エンタングラたちに声を掛けた。
「騎馬隊が迫っている。おそらく戦闘にになるからレレーヌを守ってやってほしい」
「人間どもめ。どこまで強欲なのだ」
ガムルフの声が聞こえた。
僕がエンタングラたちに声をかけているのを尻目に、シエルがまた後方へ飛んで行った。それからすぐに、轟々と響く雷鳴が聞こえてくる。霧の中の向こうから激しい光が何度も僕たちを照らした。何頭か馬だけが僕たちを追い越して駆け抜けていった。金属製の馬鎧を付けた軍馬だった。馬鎧全体的に黒く、ところどころ、この世の塗料とは思えない不吉な紅の模様が入っていた。
これはまっとうな軍隊の軍馬なのか。僕は考えた。僕はドネを呼んだ。
「ドネ、ひょっとしたらこの軍の狙いはレレーヌではないかもしれない。一か八かになるけれど、僕とフェリアはエンタングラとここで別れたいと思う。すまないけれど、君はこのままレレーヌやエンタングラと一緒に行って、森へ導いてあげてくれないか」
「分かりました。ひょっとしたらこれで一旦のお別れかもしれません。お気をつけて」
ドネはそう言って、レレーヌのそばを泳ぎ始めた。僕も挨拶を返した。
「ありがとう、苗木をよろしく」
それから、レレーヌに声をかける。
「レレーヌ、どうも後ろの敵は君達じゃなくて僕を狙っているのではないかと、そんな予感がするんだ。だから、一旦ここでお別れだ。最後まで一緒に行けなくてすまない。あとはドネが導いてくれるから、安心してほしい」
「はい、お気をつけて」
レレーヌも僕を心配してくれた。僕はそれに全力で応えようと誓った。そして最後に。
「フェリア。僕たちはここから別の方角へ行く。なるべくエンタングラから離れるんだ。いいかい?」
フェリアに声を掛けると、僕のそばにぴったりとついてきて、フェリアは頷いた。
《シエル。この敵の狙いは僕たちではないかという予感がするんだ。レレーヌたちはまっすぐ行かせるから、右のほうへ誘導できるかい》
と、念じると、シエルからも、
《分かりました。私もそんな気がしています。これは彼等の敵ではなく、私たちの敵だと》
そう返って来た。それを確認した僕はもう一度フェリアに声を掛けた。
「右に逸れるよ、フェリア。行こう」
「はい」
僕は一度足を止め、それから右へ走り出した。フェリアもそれに続く。森はほとんど枯れ果て、荒れ野のようになりつつあった。
しばらく霧の中を走ると、僕たちの右手後ろ方向から、幾筋もの光を放って戦いながらやってくるシエルの姿が見えた。その後ろには馬具と同じ、黒地に紅の模様が入った鎧を纏った騎馬隊の姿が見えた。残っている数は六人。半数はすでにシエルが打倒してくれたあとだった。
「ありがとう、シエル」
シエルと合流すると、僕は彼女に並んで走った。シエルは時々後ろを見ては光を放ち、馬脚を妨害して僕たちが簡単に追いつかれないようにしてくれた。
「予感通りです。一騎残らずこちらに来ました。私のコアの記憶にもない者たちです。気を付けてください」
シエルが言う。次の瞬間、僕たちに向かって何本もの矢が飛んできた。狙いは不正確だけれど、数が多い。
シエルは両腕を広げ、光のドームのようなものを出して矢をはじき返した。
「そろそろいいでしょうか」
シエルに聞かれ、左の後方を振り返る。霧のせいもあって、もうレレーヌたちの姿は見えなかった。
「大丈夫そうだ」
僕が答えるが早いか、シエルは矢継ぎ早に光を放って、馬上の兵士を漏れなく地面にたたき落とした。六頭の無人の馬だけが僕たちの横を通り過ぎて行った。
落馬した兵士たちが起き上がるよりも先に、僕たちは反撃に出た。僕は聖神鋼の剣で、シエルは光でできた槍で、フェリアはサンドランドで作ってもらった針のような武器で、それぞれに兵士たちにとどめを刺して回る。
一人だけ残して尋問をしようかとも考えたけれど、タイミングよく戻ってきたムイムが、
「それどころではなさそうです。かなりの数の歩兵が迫ってきています。今のうちに一度サンドランドに引きましょう」
すでに周囲の状況を把握しているらしく、そう告げてきた。彼が出した次元の亀裂に僕たちは一斉に飛び込んだ。
背後で亀裂が閉じる。フェリア、シエル、ムイム、全員いる。無事だ。そして、周りを見渡した。
はるか遠くにアンティスダムたちの街が見えた。どうやら街の郊外の荒野に出たようだった。
「しばらく待機しましょう」
ムイムはそう言ったけれど、一時間ほどその場で警戒していたものの、結局謎の軍隊は追ってはこなかった。
僕たちはほっとしながらアンティスダムたちの街に向かった。謎の軍隊の正体はムイムにも分からないようだった。何かが起こりつつある。僕は確かにそう感じていた。
レレーヌたちが心配だったけれど、アンティスダムたちの街に入る直前にドネが次元を超えてきて、向こうは謎の軍隊に襲われることもなく、皆無事に新しい森に向かって旅を続けていると教えてくれた。ドネはレレーヌやガムルフの伝言を預かってきていて、そしてそれは、もし協力が必要なことがあれば、いつでも力を貸してくれるという彼等の約束だった。
その言葉が、僕は嬉しかった。