第七章 ミスティーフォレスト(6)
人間たちがいなくなると、シエルは地面に落ちるように座り込んだ。
「断罪の宣言というのは、こんなにも……」
苦しげに漏らすシエルに、どんなに高次元な存在の自覚に芽生えても、やはり彼女は僕の知っているシエルなのだと思った。
「お疲れ様」
僕は彼女に歩み寄り、頭を抱き寄せて労った。断罪というのは、確かに責任を感じるものだし、自分が絶対の正しさでない不安はいつだってあるものだ。それは僕にも覚えがあったし、彼女が今抱えている複雑な心境は良く分かる気がした。
ムイムとドネが少し離れて浮いている。二人は、邪魔はしないと言わんばかりに素知らぬ顔をしていた。フェリアがシエルの膝の上にとまり、心配そうに見上げた。
ラクサシャたちとエンタングラたちは、僕やムイムの指示があるまで、並んで待っていた。
「先生も、他人を断罪するときに、これが誤った決断だったらと思うことは、あるのですか?」
シエルに聞かれ、僕は答えた。
「そんなのは毎回だよ」
「やはりですか。はじめてだからでしょうか、とても、心が、痛いです」
とぎれとぎれに、シエルが心境を吐露した。心痛は僕にも良く分かるので、本当によく頑張ったと思う。
「先生、どのような意識で臨んでいるとか、今後教えてもらってもいいですか?」
「もちろん。参考になるかは分からないけれど、いつでも聞いてほしい」
僕はシエルの頭を離して、笑って頷いた。ついさっきまでほとんど何も知らないシエルだったのだ。種族の記憶を得たからといって、心までいきなり強くなることはないはずだ。僕で力になれるなら、いくらでも助けてあげたい。
僕たちの会話が一段落すると、シエルのそばにレレーヌが来た。
「ありがとうございます。おかげで次の森こそ平穏に暮らせそうです」
すると。
「そうなってほしいもんだな」
枯れた木々の向こうからエドガーの声がした。シエルとレレーヌが声がした方向を見て、顔をこわばらせる。
「おっと、近づかないから怖がらないでくれ。俺だって天罰に打たれるのは御免だ。ただ、これだけ言わせてくれ。ありがとうな」
「なぜそこまで君はレレーヌを守りたがったんだ?」
僕には彼の真意が分からなかった。何故彼がレレーヌの味方のようにふるまっていたのか、理由が知りたかった。
「簡単なことさ。俺はガキの頃からいつもドリアードの森で走り回ってた。だから森にドリアードを身近に感じてたのさ。結局俺の思い出の森は枯れちまったが、それは俺たちの自業自得でいい。だが、何の罪もないドリアードが死んじまうってのは、どうにも寝覚めが悪い。そういうもんだろ?」
エドガーの話は、何となく共感できた。だからと言って彼を許してやれとは、僕には口が裂けても言えないけれど。
「レレーヌ、彼もほかの人間たちと同じように怖いですか?」
シエルがレレーヌを見て尋ねた。許す、許さないはレレーヌが決めることだ。確かにその通りだ。
「森を走り回っていた少年がいたことは知っていました。わたくしも覚えています。けれど、わたくしにとっては思い出というほどの記憶でもありませんし、彼が森の保全をしてくれていたわけでもありません。ですから、彼がわたくしの味方だったかどうかは、わたくしには分かりません。わたくしにとっては、他の人間と同じなのです。ごめんなさい」
「謝る必要はありません。あなたが彼を受け入れることができるのであれば、私は彼を許さなければいけませんでした。しかし、あなたが彼を特別に記憶していないのであれば、その必要はないというだけのことです」
シエルが静かにレレーヌに語ると、レレーヌはしばらく思案に耽った。そして、頷いた。
「ほかの人間たちと同じでお願いします」
「ああ、俺もこのままでいい」
エドガーも姿を見せないままそう言った。
「俺はドリアードに特別許されるようなことは何もしちゃいない。許される必要なんてないさ。お前たちを束ねてるコボルドみたいに、ひとを動かせる力があるんならまだしも、俺にはそんな力はなかった。あったらとっくの昔に森の破壊を止められてた。無力なもんさ」
それから、彼はぽつりと漏らした。
「止めてやりたかったなあ。本当に、無力で、すまん」
「今更謝られても何も感じません。早く街に帰ってください。わたくしが望むのはそれだけです。感傷はおひとりでどうぞ」
レレーヌの拒絶ははっきりしていた。特別覚えていないのでは仕方がない話だし、そんなすれ違いは世の中にはいくらでもある。ただ少しでも彼の努力が報われていれば、この二人は良い友人になっていたのかもしれないと感じたから、すこしだけ僕には寂しかった。
「そうだな、邪魔した。最後に謝れただけでも、満足したぜ」
エドガーが去り際の挨拶をする。その言葉に、レレーヌが顔をしかめた。
「待って。私に近づかないという誓いがあるから最後という意味ですよね? 別の意味はないのですよね?」
「あ? ああ。そうだ。そういうことさ」
エドガーの答えにはやはり含みがあるような気がして。それで僕は理解した。
「規律違反に命令違反か」
フェリアとシエル、それにレレーヌが僕の顔を一斉に見た。そして、エドガーが笑い声を漏らした。
「聡いねえ。その通りだよ。軍ってのは隊長に背く奴らが出た時には、やれ火付け役だ首謀者だと、誰かが責任をとらにゃあいかんのよ。言い出しっぺは俺だからな、街に戻ったらもうドリアードの前には出たくても出られんわけさ。女房子供のことを考えたら逃げるわけにもいかんし。まあ、そういうことだから、もう会うこともない。俺に関しては心配はいらんよ。じゃあな」
「だから待ってください」
レレーヌが去ろうとするエドガーを止める。
「街に帰ったら死ぬと分かっているひとをただ見送れというのですか。なんて身勝手な人でしょう」
「だから俺ははっきり言わないようにしてたんじゃねえか。文句はそっちの察しが良すぎるコボルドに言ってくれ。俺は知らんよ」
エドガーはそれだけ言うと、今度こそ去って行った。レレーヌはまた止めようと口を開いたようだけれど、もう呼び止める理由を思いつかなかったようだった。
受け入れることができない以上、呼び止めたところで何も変わらない。いつか彼を見送らなければいけなかった。
「何故気が付いてしまったのですか」
エドガーの捨て台詞通り、レレーヌの怒りは僕に向いた。
「あなたさえ気が付かなければ私は何も知らないでいられたのに」
「うん、そうだね。ごめん。弁解はしないよ。その通りだ」
僕は言い訳をすることはしなかった。けれど、僕以外の所から、レレーヌの言葉への反論は上がった。
「助けられておいてなんてこと言うんですか」
フェリアだった。怒っていいのか、憐れんでいいのか分からないといった表情を、フェリアはしていた。
「ねえ、レレーヌ。あなたは師匠に助けてもらってるって自覚はありますか? あなたは誰の助けにもなれてなくて、自分自身の助けにもなれてなくて、他人に助けられてるだけで、それなのにそれが当たり前のようになってしまってませんか? ありがとうの言葉だけあれば感謝してることになると思ってませんか?」
「そんなことはありません。それに、これから死にゆくひとを、そうだと告げられるというのは、そういう問題ではないと思います」
レレーヌはひどく不快そうな顔で答えた。二人の話には答えなどないと感じた僕は仲裁に入ることにした。
「どちらも間違っていないけれど、さっきのは僕が悪かったんだ。それでいいんだ、フェリア。レレーヌもフェリアの言葉を考えてみてほしい。彼女なりに君を心配しているんだ」
「でも」
と、フェリアは言いかけて、僕の目を見てやめた。二人とも間違っているわけではないのだ。
「分かりました、ごめんなさい、師匠」
「私も考えなしに文句を言いました。ラルフさん、ごめんなさい」
レレーヌもそう言って謝ってくれた。
「二人とも間違っていないんだ。間違っていないから、言い争ってほしくなかったんだ。分かってくれて、ありがとう、二人とも」
僕が二人に礼を言うと、二人も、
「止めてくれてありがとうございます」
そう言って笑ってくれた。