第七章 ミスティーフォレスト(3)
ムイムたちはしばらくして、苗木を三本持って戻って来た。苗木はドネが作った球状の水の膜につつまれていて、ドネの話では、
「出さない限り一ヶ月は枯れることはありません」
とのことだった。
「もう少し見つかればよかったのですが、元気な苗木はこのくらいです」
とも言っていた。
ムイムたちが戻ってからしばらく経った頃、キャンプに訪問者があった。
ねじくれた蔦が絡み合って人型を作ったような姿をしていて、彼等がエンタングラという生物だと、レレーヌが教えてくれた。
エンタングラは一人でやって来た。歩くだけでミシミシという音が鳴っていた。彼は男性のエンタングラで、ガムルフと名乗った。
僕たちがテントのそばで並んで立って出迎えると、彼は僕たちに座るように促した。
僕たちはテントの前に座った。テントの目の前に僕が、その左にレレーヌが、右側にシエルが座った。フェリアはいつもの通り僕の頭の上で、ムイムとドネも、すっかり定位置になった僕の頭上で並んで浮いていた。ドネは水鳥の姿でなく、魚の姿に戻っていた。
僕たちが座ると、ガムルフも僕たちと向かい合って地面に座った。エンタングラの彼が座ると、はらはらと体に生えた葉のようなものが何枚か散った。
「話し合った結果がでた」
と、ガムルフは切り出した。思いのほか決断が早かったようだ。
「わしらはお前さんたちの提案を受け入れよう。森が死滅することはわしらの本意でなく、わしらだけでは森が復活させられんことも理解している。お前さんたちが森を復活させてくれるというのであれば、是非もない。わしらエンタングラもお前さんたちに協力しよう」
「ありがとう。賢明な判断に感謝するよ」
僕は彼等に何を手伝ってもらうかという案はまだなかったけれど、協力の申し出には応じようと考えた。
「して、どのように森を復活されなさる?」
ガムルフに聞かれて、僕は腕を組んで答えた。
「まずは人間たちが、この森の所有権を僕が持つことに応じるかだね。彼等が応じない場合、残念ながらこの場所に森を復活させるのは難しいと思う。別の場所に新たなレレーヌの森を作りたいと思う。エンタングラたちは、移住は可能?」
「わしらは特定の住居は持たぬ。移住は可能だ。一部の者はひょっとしたらこの地に残るかもしれんが、多くの者はついてくるだろう」
ガムルフが頷いた。
僕は彼の言葉を聞いて、少し頭の中を整理してから言った。
「それなら、まずは君たちの仲間に声をかけて、森の再生に協力してくれるエンタングラのうち、万が一の場合、僕たちと一緒に移住しても良いという者だけをこの場所に集めてもらえないだろうか。おそらく人間たちが僕の提案を拒否した場合、僕たちはすぐにこの地を発たなければ危険だと思う。いつでも出発できるようにしておきたい」
「承知した。そんなことになってほしくはないものだが」
と、ガムルフは首を振った。彼は立ち上がると、僕たちを見下ろしながら言った。
「人間どもの強欲は留まるところを知らぬ。奴らがレレーヌの生命を守るためでなく、己らの欲のみの理由で、レレーヌを連れて去ることを阻もうとしたとしても、わしは驚かぬ」
そして、そう告げるとさっそく仲間を呼び集めるために歩き出した。
「僕もだよ。もちろんそうでない人間もたくさんいる。けれど、この地の人間はたぶんレレーヌの命より、自分たちの目先の利益を優先するだろうと思う。そうでなかったら、死に絶える直前まで森林の環境が破壊されることはなかっただろう」
僕はガムルフの背中にそう言葉をかけ、それからムイムに視線を向けた。
「ムイム、すまない。人間たちが軍隊を差し向けてくるおそれもある。念のためラクサシャたちを連れてきておいてくれないか」
「承知しました。杞憂で終われば良いですが、私が思うに、必要になっても不思議はないでしょう」
ムイムは頷いて、すぐに次元の亀裂の中に姿を消した。それを見届けて、僕は次にレレーヌに声を掛けた。
「君は自分の意思でこの森とのつながりを断つことはできそう?」
「苗木を持ってこの森を離れれば、苗木とのつながりを残して解消されるとは思います。ですが、わたくし自身の力で無理やりつながりを断つには、わたくしの力が衰えすぎています」
レレーヌの答えに、僕は聞いておいて正解だったと思った。懸念した通りだ。僕はドネに聞いた。
「ドネ、君の力で補助することはできる?」
「もちろんです。あまり過度な活力を与えるのは、今の彼女には悪影響しかありませんが、そのくらいであれば問題ないでしょう。活力を与えましょう」
ドネは言うが早いかレレーヌのそばまで宙を泳ぎ、全身を淡く明滅させた。その光が僕たちを照らすと、僕の体を、清浄な水の流れのような、爽やかな冷たさが通り抜けていくのを感じた。特に疲れは自覚していなかった僕でも、体力があふれて来るような気分になった。おそらく気のせいではないだろう。
「生き返るようです」
レレーヌはそう言ってドネが発する光を浴びていた。そして、しばらくしてから言った。
「これなら大丈夫です」
「良かった。もし人間たちが僕たちに君の引き渡しを要求してきたら、君は拒否する意思はある? もし人間についていくことを選択するなら、本当は反対だけど尊重したい」
僕はさらに聞いた。レレーヌは答えた。
「人間たちにいいように扱われるのが分かっているので、絶対に人間たちと一緒に行くのは嫌です」
「それでは、もし人間たちが引き渡しを要求してきたら、君自身の口で拒否して、その場で森とのつながりを断ってほしいんだ。それが人間の軍隊の足並みを崩すきっかけになると思う」
「分かりました」
レレーヌが頷く。
不意に、僕たちの話を黙って聞いていたシエルがドネに向かって言った。
「レインカースで言ってた、インディターミネート・レジェンダリーの話って本当?」
「それはどの内容に対してでしょう」
逆にドネがシエルに聞き返す。シエルは深く考え込むような声で言った。
「インディターミネート・レジェンダリーが大きな力を持ってるって話。次元によっては天罰と思われるような」
「ああ」
ドネは合点がいったようだった。
「本当ですよ。君がコアを付ければ、君は非常に強大な力を思い出せるでしょう」
「うん」
シエルはしばらく膝を抱えた。それから、覚悟を決めたように言った。
「先生、コアをちょうだい。私は、もし人間たちがレレーヌにひどいことを言うようなら、ぜったい許せない。天罰にでもなんにでもなる」
「本当に後悔しない?」
僕は躊躇った。シエルの気持ちは純粋なものだ。けれど、純粋だからこそ、怒りのあまりに力に流されるのではないかと心配だった。ドネの話を聞いた限りでは、おそらく彼女が暴走してしまったら、僕には止められないのではないかと思った。
「大丈夫、君の懸念しているような事態にはなりません」
ドネが僕に言った。
「彼女は大きな力を思い出すだけでなく、大いなる理性もまた思い出します。インディターミネート・レジェンダリーたるすべてを思い出したシエルが、万が一にも怒りに任せて暴れまわるような心配はありません」
「そうか。それなら」
僕は荷物を開け、レジェンダリー・スピリットが入った小袋を取り出した。そして、中身の小さな石のようなそれを取り出すと、シエルに渡した。
「どうすればいいの?」
レジェンダリー・スピリットを受け取ったシエルが、ドネに尋ねる。ドネは静かに言った。
「そのまま握りしめて。君の手の中に沈み始めたらそのまま自然に任せれば大丈夫です。拒まなければ、君の中のあるべき場所に、それはおのずと収まります」
「やってみる」
シエルはそう言うと、レジェンダリー・スピリットを握りしめた。
僕たちはシエルの様子を固唾をのんで見守った。シエルの様子にはしばらく何の変化も見られなかった。
どのくらいの時間が過ぎただろう。シエルがゆっくりと立ち上がった。彼女の輪郭はゆっくりとぼやけていき、しばらくすると彼女は完全な球体になって浮かび始めた。
シエルはしばらくそうして漂った後、急にまた形を変えた。
容姿としては僕たちが見慣れたシエルの、少女の姿だった。けれどそれはのっぺりとした銀色でなく、深く複雑な輝きを宿したものだった。背中の翼はこれまでと違い六対に増え、銀糸と金糸で織られた祭服を纏ったような姿をしていた。
「お待たせしました。心配をかけてごめんなさい、先生。私は大丈夫。けれど、人間たちが過ちを犯そうとしているのであれば、私もそれを共に正します」
僕を見下ろして、シエルはそう静かに告げた。顔には柔和な微笑みが湛えられていた。