第七章 ミスティーフォレスト(2)
僕はそれから、ドリアードにテントを立てられる場所を教えてもらい、人間とモンスターの両方に、そこにいることを告げた。そして、人間とモンスターの双方に僕の提案を受け入れるかの話をそれぞれのコミュニティーに伝えてもらうようお願いして、その場をあとにした。
「わたくしは、レレーヌといいます」
歩きながら、ドリアードはそう名乗った。僕たちも彼女に順番に名乗った。
ドリアードが教えてくれた場所はそれなりに大きな池のほとりの、開けた場所だった。僕たちはその場にテントを設営すると、予定通り当面のキャンプ地にすることにした。キャンプが出来上がった後、僕はフェリアとシエルの特訓をしようと考えた。すると、ドネに、
「一度わたしに任せてみてはくれませんか?」
と言われ、お願いすることにした。
ドネの教え方は独特だった。
フェリアに対しては、頭で魔法を無理に理論立てて理解する必要はなく、想像のまま念じればよいのだと教えていた。魔法書はどんな魔法があるのかの参考程度に留め、自分の中にあるイメージを固めたほうが、簡単に魔法になると教えていた。
シエルに対しては、僕たちでは教えにくい、不定形ならではの戦い方を教えていた。特定のフォルムの機動力にこだわらなくても戦えるのだということを、実演して見せているのは圧巻だった。
それを眺めながら、形のないものを自由にイメージし、イメージを魔法にするということに興味を覚え、僕もこっそり試してみた。けれど、僕にはそのやり方は向かないようだった。
ムイムも僕と同じように興味を持ったらしく、同じようにこっそり何か練習しているようだ。ひょっとしたら彼なら何か得られるものがあるのかもしれない。
皆が思い思いの特訓をしている中、僕はレレーヌに次元華のことを何か知らないかを聞いてみた。
「この花なんだけれど、見覚えがあったりしないかな?」
テントのそばの地面にレレーヌと向かいあって座り込み、ゲルゴから預かったままの次元華を見せながら僕は聞いた。
「わたくしの森にはない植物ですね」
レレーヌはそう言って首を振った。それから彼女は花に向かって視線を注ぎ続けた。
「花自身に直接聴いてみます。よろしいでしょうか?」
さすが森の精だ。そんなことができるのかと僕は舌を巻いた。
「お願いするよ」
レレーヌに次元華を渡して頼む。
レレーヌは、次元華を手にすると、静かに花に視線を注いだ。
「摘まれてからだいぶ時間が経ってしまっているようです。随分花自身の記憶が断片的になっています」
「これは、洞窟? ところどころに水晶とは違う、何かの結晶が見えます。何か、虫のような大きな影も見えます。洞窟の中に大きな蔓のような植物。そこに鈴のようにこの花が咲いています。洞窟は広くて……上になにか白いものが……これは……蜘蛛の巣? そのさらに上に、たくさんの花が見えます……それ以上は、あ、待ってください。これは。虫のような影から何かが伝わってきます。夜の次元。月光樹海。月の影。ああ、何も見えなくなりました」
彼女はそう言うと、次元華を僕に返してきた。僕は次元華を荷物にしまい、考え込んだ。
「夜の次元、月光樹海、月の影。なんだろう」
「わたくしには分かりません。あなたが探しているものの手掛かりだとは思います。わたくしには植物以外のことは分からないため、これ以上はお役に立てそうにありません。ごめんなさい」
レレーヌはそう言って謝ったけれど、僕は彼女が花の記憶を読んでくれただけで十分ありがたかった。
「謝らないで。手掛かりさえなくて途方に暮れていたから、進展が得られてとてもうれしいよ。ありがとう」
「そういってもらえるとわたくしもうれしいです」
レレーヌは僕の隣に座って遠くを眺めた。
視線の先にはうっすらとかかった霧の中で特訓を続けるフェリアやシエルの姿があった。
「あなたは、なぜわたくしだけを助けてくれるのですか?」
聞きにくいのだろうか。彼女は遠慮がちにそう口にした。
「君だけというのは?」
質問の意図が良く分からなくて、僕は聞き返した。おそらくなぜモンスターや人間に対しては冷淡気味の態度をとったのかを知りたがっているのだろうとは思ったけれど、それが正しいのかが知りたかった。
「人間とエンタングラ、ああ、わたくしと一緒にいたひとたちですけれど、彼等のことはだいぶ突き放しましたよね」
エンタングラ、というモンスターを僕は知らない。どういう種族なのか聞いてみたかったけれど、それは彼女の質問とは今はある意味無関係だから、あとで聞くことにした。僕は彼女の質問にまず答えた。
「彼等は自分たちの主張を譲らないことで君を危険に晒している。その自覚のなさは、問題の解決を難しくしていると、僕は判断した。彼等のどちらも、現状、君のためにならない。君は彼等双方の被害者だ。だから助けるべき対象には加害者である彼等は含まなかった」
「エンタングラたちはわたくしを助けてくれていました。鳥獣を過剰に狩り、木々を傷つける人間たちを森から遠ざけようとしてくれました」
レレーヌは彼女がエンタングラと呼ぶ者たちと一緒にいたし、おそらく彼女の認識ではエンタングラは味方だったのだろうことは理解できる。けれど僕は味方が必ずしも彼女のためになるとは限らないことを知っていた。
「君はこのままだと森が死んでしまうと言った。そして僕の質問に、森の活力がほとんど失われていることを認めた」
僕は答えた。彼女に自分が置かれた状況を理解してもらう必要があった。
「だから僕は、彼等には君を守ることはできても君を癒すことはできていないと判断したんだ。そして森自体、自力で回復することも難しいとも。また人間たちとの会話で、彼等は君を癒すことができる者も、君から遠ざけてしまっていることが分かった。君がエンタングラと呼ぶ者たちは、君の状態の悪化を防いでいる一方で、君の回復を妨げる原因にもなっているんだ」
「そういうことですか」
レレーヌは理解してくれたようだった。
「君の容姿はもはや枯れ木で、はっきり言って君の衰弱は最悪の段階だ。このまま放置すれば君は死んでしまう。だから一度エンタングラから君を引き離す必要があると、僕は判断したんだ」
僕が説明すると、彼女は少し考えこんで言った。
「もし、あなたが私の森から人間たちやエンタングラを遠ざけることで、人間たちが私の森を保全することをあきらめたらどうなるの?」
「その時は人間に頼らない方法をとるよ」
僕はドネを眺めながら答えた。
ドネとフェリア、シエルは特訓を斬り上げて戻ってくるところだった。
「僕たちには水の精霊が付いている。癒すことにかけてはエキスパートだ」
「もちろん、わたしの助けが必要なら、いくらでも君たちに力を貸しましょう。森一つを再生することは簡単ではありませんが、幸いここは大地までは死んでいません。新たな芽吹きは与えられるでしょう。また彼女と苗木を別の場所に移動させる場合も、わたしが手伝えばほとんど危険はないでしょう」
戻ってくるなり、ドネがそう約束してくれた。
「苗木の場所はレレーヌ自身で分かるのでしょうか?」
いつの間にか戻ってきていたムイムが僕の頭上で言った。
「もし難しいようであれば、私が一回りして探してみますが」
「それなら私も手伝ってもいいですか?」
フェリアがムイムに聞く。
「あ、私も」
シエルも名乗り出た。
「だいたいの位置は分かりますが、状態はわたくしにも分かりません。見てきてもらえると、とてもうれしいです」
レレーヌがそう言って笑うと、ムイムが代表で、
「任されました。行きましょうか、フェリア、シエル」
と声を上げた。
「状態のいい苗木を見つけたら、回収して保存しておいた方が良いでしょうから、わたしも行きましょう」
ドネがそう言って姿を水鳥の形に変えた。
そして、四人はレレーヌから場所を聞いて木々を縫って飛んで行った。