第六章 レインカース(6)
ムイム達が戻って来た。
思ったよりも早かった。
僕はムイム達がいなかった間のことは特に彼等に話さなかった。エレサリアもルーサのことを話題にするつもりはないようだった。
「まず、雨を降らしている原因ですが、結論から言うと、精霊の檻はやはりありました」
僕たちが丸太に集まって座ると、まずはムイムがそう切り出した。
「場所も特定できたのですぐにでもシエルの次元跳躍で跳べます」
「そうか、それじゃ雨を止ませるのはそんなに難しくないということでいいのかな?」
僕が聞くと、ムイムは、
「問題ないでしょう」
と答えた。それから彼は次の話題に移った。
「次に、シーヌの状況ですが、こちらは芳しくありません。単刀直入に言うと、監禁状態です。救出すべきだと思われます」
「ということは」
エレサリアの顔に明るい表情が浮かぶ。ムイムはエレサリアに頷いて、続けた。
「シーヌは悪事には加担してません。知ってはいるようでしたが、手の出しようもなかったようで、かなり精神的に追いつめられてますね。早く助け出すべきでしょう」
「そういう振りという疑いは?」
僕が聞くと、ムイムはすぐに返答した。
「限りなく低いかと。そういう振りで部屋に続く通路に何人も見張りが付くとは思えません。我々も救出はいったん諦め、彼女が知ってる情報をまとめたものだけを、ボガア・ナガアが受け取ってきました」
「これ。エレサリアにって預かったぞ」
ボガア・ナガアがポーチから紙の束を出す。彼は背負い袋は邪魔だと言って、荷物はポーチに入れて持ち運んでいた。彼は取り出した紙の束をエレサリアに渡すと、それとは別の小さな紙の束をもうひとつ取り出した。
「ボスにはこっち。聖宮長の部屋にあった」
ボガア・ナガアに渡されたそれに、僕はさっと目を通した。ムイムの翻訳魔法のおかげか、知らない文字で書かれたその内容が読める。書いてあったのは、人物の名前のリストだった。名前の響きからすると女性の名前のリストのようだ。僕は嫌な予感がした。
紙をめくりながらリストをめくる。何枚かめくると、実に欲しい、だの、一年分、だの、めまいがしてくるような走り書きがあった。さらにめくると、一人の女性の名前が消されていて、エレサリアめ、と書かれていた。その名前を僕は読み上げた。
「エレサリア、オリーナという子について何か知っている?」
「ええ。その子なら聖宮で私が一時期預かっていたわ。どうしたの?」
シーヌが書き留めた情報を眺めていたエレサリアが顔を上げる。僕は聖宮長の執務室からボガア・ナガアが持ち帰ったリストを渡した。
「このリストに名前があって、エレサリアめ、と書かれているんだ」
「何かしら」
エレサリアはしばらくリストを眺めていたけれど、しばらくすると口元を抑えはじめた。
「これ、行方不明者の情報で見覚えがある名前ばかりだわ。まさか、こんなことまで?」
「疑いは濃厚だけど、確証がないね」
僕は唸った。リストというだけではどうにでも取れる。すると、ボガア・ナガアがエレサリアの肩を突いた。
「抜かりない。エレサリア、一番最後の紙見る」
「一番最後の紙?」
と、一番下の紙を一番上に持ってきて、エレサリアはそれをじっくりと見つめた。
「なに、これ」
「何が書いてあるの?」
僕が尋ねると、エレサリアがその紙を震える手で渡してきた。僕はそれを受け取ると、上から順番に書いてある情報を読んだ。
まず、最初に村ごとに脅し取る要求額が書かれている。そして、その下に、どんな娘を渡せばどれだけ減額されるかが記されていた。そして、さらに下、一番下には。
「価格……重さ単位の? なるほど、不正の上に成り立っている裏商売か。これは許されないかなりの悪だ。助かったよ、ボガア・ナガア」
「え? それだけ? 平気なの? だってこれは恐ろしいことよ。おかしいでしょう?」
信じられないものを見る目で、エレサリアは僕を見た。気持ちは分かる。けれど、僕はコボルドなのだから、エレサリアと同じ感覚にはなれない。
「僕は小さい頃はただのコボルドだったから。ボガア・ナガアは、どう?」
「俺分からない。ボスは?」
ボガア・ナガアに聞かれて、少しどう答えるかを迷った。皆が僕を見ている。ムイムとボガア・ナガアはいつも通りで、フェリアとシエルはすこしだけ考え込んだ難しい顔をしていて、そして、エレサリアは完全にモンスターを見る目で僕を見ていた。
僕はため息をついた。
「うん、まだ僕がコボルドの群れにいた、子供だった頃を思い出すよ。だから僕は、それについては、他人のことをどうこう言うつもりもないし、他人のことをとやかく言えるとも思っていない」
「でも今は、そんなことないですよね?」
フェリアが、理解できた、といった感じの表情で言った。僕は彼女に笑顔で頷いた。
「もちろん今はね。僕だって友達は嫌だよ。そんな怖いことはしないよ。でも僕はそういう生物がいること自体が問題だとは思っていない。そういう生き物なんだなと思うだけだ」
それからエレサリアを見て、どこか怯えた目をする彼女を見て、僕はもう一度頷いた。
「分かってもらえるとは思っていないよ」
しばらく沈黙が流れた。
僕は敢えてそれ以上言葉では説明しなかったし、説明したところで分かってもらえるとも思っていなかった。エレサリアが僕を見る目はもはや異形を見る目で、同じ生き物だと思ってはいない視線にさらされながら、僕はただ今後のことを考えていた。
「弁解もしないのね」
エレサリアがつぶやいた。
「仕方がなかったとか、今は後悔しているとか、そういう話もないのね。私を安心させてはくれないのね」
「もちろんこのこと自体は惨たらしいとは思うよ。そういう目的のために、不正の末に女性たちが脅されて集められたということに憤りを感じる。でも、君が問題にしていること自体に関しては、僕は他人のことをとやかく言えないんだ。今はこういう生き方を選んだけれど、どう言いつくろってもそうやって育ったことは変わらないし、僕は、今も僕を育ててくれた群れに感謝している。誰に何と言われようと群れの暮らしのただの一片だって否定するつもりはない」
これ以上話して仕方がない。僕は立ち上がって、その場を離れることにした。
「それは今も僕の一部だ」
フェリアは頭から降りたほうがいいのか、少し考えていたようだけれど、結局僕についてきた。シエルも立ち上がると、僕のそばに小走りにやって来た。
僕はエレサリアを振り返って言った。
「急いだほうがいいんだろうけど、本当に僕に助けられてもいいか考えてほしい。僕は君やシーヌを助けたいけれど、君が僕に助けられなくていいというなら、僕には君たちを助けられるほどの力はない。すこしだけ時間をおこう」
それから、歩き出した。
「師匠は今の自分が他人からどう見えてるんだろうって不安になるってこと、ないんですか?」
頭の上のフェリアに聞かれて、僕は少しだけ考えてみた。
「ないかな。自分がどうしたいか、どうなりたいかを考えるので精一杯だよ」
それが僕の結論だった。欲張るとろくなことにはならないから、ひとつずつ掴んでいくだけだ。
「エレサリアさんは師匠でいいって言ってくれるでしょうか?」
フェリアはそう言って僕の頭を撫でてくれた。
「どうかな。たぶん相容れないと思う。でもそれいいと思う。僕はいろいろな生体の生物がいることは自然だと思うけれど、それは人類の倫理観からすると受け入れられない考えだ。人類の倫理観は、人類を守るために必要な物だから、否定してはいけないものなんだ。だから、誰かが僕を受け入れられないというのなら、残念だけど僕は去るだけだよ」
僕は王道にはなれないことを知っているから、それでいいのだと思う。
「先生はそれで寂しくない?」
シエルが心配そうに聞いてくる。寂しくないと言ったらうそになるけれど。
「仕方がないことなんだよ」
僕たちはそうやってしばらく歩いてから、エレサリアたちの所へ戻った。僕は座らずに、エレサリアの答えを尋ねた。
「どう? 決まった?」
「ええ。やはり私はあなたの言う、そういう生き物もいることは問題ではないという考えは受け入れられないわ。だから、水の精霊の解放については協力をお願いするけれど、それ以外には手を出さないで。自分で何とかするわ」
エレサリアの答えを聞いて、僕は、妥当な落としどころだ、と感じた。
「分かった、そうしよう。皆準備は良い? 水の精霊を解放しに行こう」
僕が声を掛けると、皆無言で頷いた。
エレサリアだけが、反論もしない僕のことを睨んでいた。