第六章 レインカース(4)
ムイムが戻って来た。念のため周囲の偵察に出てもらっていたのだ。
「特に危険は見られませんね。巨大ナメクジとか、山蛭とか、そんな感じの下等モンスターがのたくってる程度です。見つけたモンスターは倒しておいたんで問題ありません」
「ありがとう。早速今後の作戦を相談したいのだけれど」
報告を受けた僕は、ムイムにそう声をかけてから、皆を見回した。
フェリアは僕の頭の上に戻っている。
僕の向かいにはボガア・ナガアが座っていて、その隣にエレサリアが並んでいる。二人は大きな葉を二人で一緒に傘代わりにしていて、茎はボガア・ナガアが持っていた。
シエルは僕の隣に座りなおしていた。
ムイムはその様子を見回すと、僕の頭上にやってきて、そのまま空中に浮かんだまま落ち着いた。
「まず、調査については、ポイントは三点ですね。現時点じゃ精霊の檻があるだろうことは推論に過ぎないので、実際にあるかを確認し、それが精霊の檻であれ、別の何かであれ、雨を降らしている霊的波長の原点が、離宮のどこにあるかを特定する必要があります」
確かに、ムイムの言う通り、それを確認しないことには始まらない。
「ついでに、次元跳躍を阻害するような結界などがないことも確認しておいた方がいいでしょうが、まあ、そのあたりはまとめて私が確認しましょう」
頼もしい。ムイムに任せておけば問題はないだろう。僕も異論はなかった。
「次に、シーヌの身の安全を確認すること。監視されているかもしれないので下手なコンタクトは避けるべきかと思いますので、これも私が見てきましょう」
「最後は、聖宮の毒のあぶり出しだね。僕が思うに、治水工事の問題と門番に伝達が行っていなかった件はつながっている気がする。何故なら治水工事で不当な利益を得ている奴は、雨が止んだら困るやつでもあるから」
僕は少し考えこんだ。正直、どうやって手を付けていいのか思いつかない。
「治水工事と軍への伝達経路の両方の関係者か、その両方に圧力を掛けられる人物がまず怪しいけど、普通なら全く接点がない分野だし、そう都合よくいるものかな」
「組織構成に詳しいエレサリアには、心当たりはないですか?」
ムイムはそう言ってエレサリアに視線を向けた。エレサリアはすこし考えてから、答えた。
「聖宮の組織構成は、聖女が指導者としてトップにいて、その下にその補佐をするための聖宮長という者がいます。そこから各分野に枝分かれし、職務長と呼ばれるそれぞれの分野の取りまとめをする者たちが……」
「なるほど」
ムイムが途中で頷いた。
「その編成ですと一番疑いが濃厚なのは聖宮長ですね。ボガア・ナガアに聖宮長の執務室を調べてもらうのがいいでしょう。サポートは私で」
それから、少し言いにくそうに言い淀んでから、ムイムは言った。
「それと、聖女の執務室も調べましょう。あまり考えたくないことですが、聖女であるシーヌが関わってない証拠も、いまはありません。我々が知ってるのは軍に我々が来ることが伝わってない、という状況であり、そもそも、その伝達指示がシーヌから成されたのか、は確認できてないですから」
「シーヌを疑いたくはないけれど」
エレサリアはムイムの言葉に理解を示した。
「それは妥当な用心だと思うわ。万が一シーヌが雨をやませたくないと考えていたとしたら、私はとんだ魔窟にあなたたちを誘うことになる。それは避けなければいけないわ」
その表情は確かに為政者の顔で、その責任を経験しているひとの顔で、時に私情や先入観を捨てて非情にならなければならないことも熟知しているひとの顔だった。彼女はとても冷静だった。
「でも中間の者の横槍でない確信も欲しいわね。その確信が得られないと結局空振りに終わって状況を悪くするだけになってしまうわ。私たちには後手に回っている余裕はないわ」
「中間の者の場合、伝達などの即時性の高い行動をどうやって事前に察知するのかという疑問があります。聖女の口から指示が下ってから対処したのでは、おそらく伝達は止まらないでしょう。また、視察は必ず同じ者が行うとは限りません。そのすべてに個人的にパイプを持つのは不可能ではないかと」
ムイムが答えた。それは確かに正論なように思える。けれど、エレサリアはそれをそのまま鵜呑みにはしなかった。
「それだけでは確信とは言えないわ。魔法的な手段で即時に察知、誘導する、読脳、洗脳のような手段を持っていたら? 表向きの立場としては中間だけれど、裏から組織中に根を張っている人物だとしたら? そもそも今回の黒幕が聖宮の外の人物としたら? なにより、溜め池と今回の伝達が行われなかったことがまったく別種の問題で、黒幕なんかいなかったとしたら? もうすこし考えてみましょうか。私には腑に落ちないことが多すぎるわ」
「ふむ」
ムイムは少し笑って言った。
「いや、私は中間や外部の者じゃないと確信しましたね。それだけ考えているあなたに対して、あの溜め池の工事をたかが中間の立場や外部の者が隠し通せるとは到底思えません。あなたがあれを知らなかったことが何よりの証拠です」
「私だって万能ではないわ。知らないことは知らないし、ミスもするわ」
エレサリアが首を振ると、
「言い方を変えましょうか。まず質問ですが、あの溜め池はここ五年の間に作られたものですか?」
ムイムは腕を組んで彼女を横目で見下ろした。
「いいえ、私の時代にはすでにありました」
エレサリアが答えると、ムイムは満足げに頷いた。
「あなたは聖女時代にあの村を訪れてないですよね?」
「そうね。訪れていたら知っていたはずよ」
エレサリアは考え込み始めた。何か思うところがあるのだろうか、僕には分からなかったから、二人の会話をただ眺めていた。
「というより、私の推論ですが、あなた、聖女時代にあまり聖宮から出てなかったんじゃないですか?」
ムイムの質問が続く。少しずつ核心に近づこうとしていることは確かだった。
「ええ。そういわれると、そうかもしれないわ」
「そうでしょうね。あれだけあからさまな不正をあなたが見逃すとは思えないです。だからこそ、あの不正を、あなたの目にさらすような失態はしなかったでしょう。不正をあなたの目と耳から隠すために、あなたの行動は、普段から制限されていたはずですからね」
そして、ムイムは言った。
「そうなると、疑わしき範囲は、聖宮の全部です。逆に言いましょう。おそらく聖宮組織全体が、腐ってます。私の推論では、これは組織ぐるみの不正です。そして、どの高さまで腐っているかってことに関しては、あなたの行動スケジュールを調整できた人物まで確実に腐敗の範疇でしょう」
「私のスケジュールを調整していたのは、聖宮長よ」
ムイムの言いたいことが分かったのか、エレサリアは沈んだ声でそう答えた。
「私もそう思います。溜め池の件に関しては、黒幕がほかにいるとしても、少なくとも聖宮長が関わってないと考える方が不自然な気がします。聖宮内の腐敗を完璧にあなたの目から隠し通すこともおそらく聖宮長以外には不可能でしょうしね。あなたが臣下に疑いの目を向ける冷静さを持ち、不正や腐敗に染まらない意思を持っていることは、聖宮長も分かっていたでしょう。そして同時に、その疑いの目をクリアできればあなたが愛情深いひとであることも知っていたでしょう。あなたはその愛情深さという一点を突破されたのです」
ムイムは哀れみの目をエレサリアに向けて、ぽつりと告げた。
「結果、目と耳をふさがれ、事実上の傀儡にされたのだと思います」
「確かに思い当たる節はあるわ。ありすぎるくらいよ。さぞ操りやすかったことでしょう」
エレサリアは頷いた。
「私から見た聖宮は民への思いやりとやる気に満ちていた。抜き打ちで聖宮内を見て歩いた時でさえ。私は抜き打ちを聖宮長にも伝えずに行っていたけれど、それは私が完全に自分だけの秘密の行動と思っていただけで、おそらくはまるわかりだったのでしょう」
「しかし、本当の問題はあなたじゃなくてですね。あなたは腐敗には呑み込まれなかったでしょう。ではシーヌは? もしシーヌが腐敗を知ったら? 彼女は断固として聖宮を断罪できるでしょうか? 私にはそうは思えないわけで」
と、ムイムは語った。
「私の最悪の想定はこうです。シーヌが腐敗に気づいてしまった。しかしあの気の弱い彼女が聖宮全体に対して強く抵抗ができるとは思えません。そして彼女は一人です。彼女は腐敗の沼にすでに引きずり込まれていて、抜け出すことを諦めていないかが心配されます。当然そうでないことを期待したいとこですが」
「確かめる必要があるね、確かに」
僕はため息をついた。
丘に降る雨を止ませるためには、最悪の事態は想定しておかなければならない。
「彼女が自分も腐敗の不当利益を享受している可能性もあるしね」
そうでないことを、祈るだけだ。