第六章 レインカース(1)
「レインカースの社会は一つの都市と六つの村で成り立っているの」
と、エレサリアが教えてくれた。都市には名前はなく、聖宮があることから、ただ、都と呼ばれているらしい。
エレサリアがシーヌに、僕たちが聖宮に入れるよう、手配を頼んでから、僕たちはレインカースに移った。レインカースに移ると、僕たちはすぐに都に向かった。道は舗装されておらずぬかるんでいて、音を立てて陰気な雨が降っていた。都の入り口は石造りの門になっていて、エルサリアより少し体格が大きいニューティアンが、槍を手に両脇に立って門番をしていた。
「だめです」
門番が言う。
「蜥蜴二匹と小悪魔一匹、得体が知れない塊が二体。こんな一行をどう信用しろと」
「なんてことを言うの。鏡を見たことはないの? 自分だってイモリの癖に」
エレサリアが門番に詰め寄っている。両者の話は平行線で、僕たちは都の入り口で立ち往生していた。
「我々にあんなごつごつした鱗はありません。どう見てもまったく違います。エリンギとファンガスくらい違います」
確かにエリンギは歩かない。両方菌類ではあるけれど、エリンギはただのキノコで、ファンガスはキノコ型のモンスターだ。ましてやニューティアンは両生類でコボルドは爬虫類だ、もう分類から違う。同じという方が苦しいのは間違いない。
「あんなの初めて見ましたよ、あんな連中どこから連れてきたんですか。得体の知れない生物を持ち込まないでください。困ります」
「まあ、なんてひどい。だから聖女シーヌ様の許可の元連れてきたと言ったでしょう。確認してちょうだい」
手違いか。それとも。
「確認も何も、何度も申し上げている通り、そのような指示も、書面も来ていません」
門番はその一点張りだった。
「だいたい、エレサリア様は体質のせいで雨の中を出歩ける方ではなかったはず。雨の中を堂々とやって来たあなたは本当にエレサリア様なのですか。もし仮にご本人だとしたら、あなたはそのような体質だと嘘をついて我々を見捨てて出て行ったとでもいうのですか。エレサリア様に限ってそんなはずがない。あなたエレサリア様に不敬ですよ。しょっ引かれる前に回れ右して村に帰りなさい。往来の邪魔です、分かったら行った行った」
「本物です。私は本当にエレサリアです。だから、体質は、あちらの方に治してもらったの。分からない子ね。シーヌ様に連絡を取って。お願いだから。そうすれば全部はっきりするから」
なおも食い下がるエレサリアだけれど、門番のいら立ちは増すばかりで、これ以上の押し問答は彼女の立場を悪くするばかりだ。僕はエレサリアがシーヌを呼び捨てで呼び出しかねないと判断して、一度街の入り口から引きずり離すことにした。蛇足までに記しておくと、僕も鍛えてはいるので、頭一つ分大きいとはいえ、引きずってもエレサリアが動かないなんてことはない。
「都の警備は、都はこんなじゃなかったはずよ! どうなっているの? シーヌを、シーヌを呼びなさい! なんてありさまなの?」
遅かった。
引きずられている最中に、エレサリアがついにシーヌの名前を呼び捨てにした。案の定門番たちは追いかけてきて、エレサリアに手にした槍を突き付けた。
「もう勘弁ならん。言うに事欠いてシーヌ様を呼び捨てにするなど無礼の極み。反逆罪で捕縛する!」
けれど。
「待て。それは聞き捨てならない」
僕はその言葉が逆に我慢ならなかった。そうしようと思う前に、僕の体は槍を蹴り上げてエレサリアと門番の間に割り込んでいた。
「国家の主導者を呼び捨てにしただけで反逆罪とは、ここはそんな恐怖政治を敷いているのか。国民を何だと思っている。ふざけるのもたいがいにしてもらおうか」
「お前らこそフケイだ」
僕もたいがい反射的に動いてしまったと思ったけれど、気が付くと隣にはボガア・ナガアがすでにいて、同じように槍をはねのけていた。
「貴様ら!」
門番が振り上げようとする槍をつかみ、僕は彼を睨んだ。
「聖女様を呼び捨てただけで民を攻撃するなら、軍はただの暴力だ。君たちの国を脅かす意思はこちらにはない。君たちがこれ以上の非道を行わないというなら、僕たちはおとなしく去ろう。どうなんだ」
「……分かった」
門番の言葉に、僕は槍を掴んだ手を離した。
ニューティアンの門番は槍を引くと、頭を下げた。
「すまん。頭に血が上った。謝罪する」
「分かってくれて感謝する」
僕も頭を下げると、もう一人の門番も一歩下がった。ボガア・ナガアが警戒を解いた。
「だが、都へ通すことはできん。諦めてくれ」
門番は門の脇に戻ると言った。
「腐った土が広がるごとに、人心は乱れていく。都も治安が悪化し始めている。我々も都内の問題だけですでに手いっぱいで、この上異形を受け入れる余地はないのだ。理解してもらえると助かる」
「そういう事情であれば致し方ないよ。僕もニューティアンと事を荒立てたくはない。これ以上は門の警備の邪魔になるだろう。僕たちは去ることにするよ」
僕たちは都の入り口から退き、ぬかるんだ街道を歩いた。行く当てがあるわけではないけれど、都のそばにとどまるのは得策とは思えなかった。
「ごめんなさい」
エレサリアはひどくうなだれていた。心配そうにボガア・ナガアが横についている。
歩きながら僕たちは話し合った。
都に入れるような手配は、シーヌが対応してくれるはずだった。けれど、どこかで手違いがあったのか、門番にそれが伝わっていないのは明らかだった。このままでは僕たちは都に入れず、最悪の場合、そのままレインカースは滅ぶだろう。おそらくは民を導くことを求められるシーヌが逃げることは許されず、彼女は次元と運命を共にすることになるだろう。そして、エレサリアは故郷を失うのだ。それだけは何としても避けなければならなかった。
「次元華だけであれば法が優先されるけれど、法よりも次元の崩壊を止めることが優先だよな、やっぱり」
僕は大きくため息をついた。
「あんまりやりたくはなかったけれど、潜入かなあ」
やろうと思えばできるから、選択肢としては最初からあるのだけれど、それはできる限り最後の手段にしておきたかった。それでも都にすら入れないのであれば最後の手段をとるべきかもしれない。
「アストラル界からの侵入は感知されそう?」
ムイムに聞くと、ムイムは首を振った。
「私が試した限りでは、まずないでしょうね。まあ、それがありえるなら、そもそも精霊の檻に気づくはずです」
「場所を細かくムイムに確認してもらって、次元跳躍かな。帰りもそれで退散すれば、気が付かれる前に雨だけ止むかな」
何となくそれが一番波風が立たない気がした。
「それが最も面倒がないかと。どうせ離宮の中庭で次元華が根付くかを試したところで、アンティスダムが次元華を栽培することを、ニューティアンは承知しちゃくれないでしょうし、雨さえ止めば我々にはこの次元に用はないわけで」
ムイムは同意してくれたけれど、
「こっそり解決してこっそり帰るなんて。それじゃあなたたち、誰からも感謝されないし、骨折り損じゃないの」
エレサリアがそれでは申し訳ないと激しく反対した。
「エレサリアとシーヌは感謝してくれるでしょ?」
僕が笑うと、ムイムも僕の言葉に声をあげて笑った。
「それ以外は、些細なこと、ってやつですか」
「まったくだ。良く分かっているね」
僕たちが笑い合っていると、エレサリアが小走りに僕たちの前に回り込んだ。
「それではあなたは私たちニューティアンに恥知らずになれと言うの?」
「混乱が起きるくらいなら何もなくていいだけだよ。僕が助けたいという、僕のわがままでやるんだから悪いしね」
と言ってから。
「ああ、今回の場合、最低でも何もないということはないか。エレサリアが笑えれば、ボガア・ナガアが喜ぶ」
僕はそう言ってボガア・ナガアに聞いた。
「そうだろう?」
「そうだボス。俺エレサリア笑うと嬉しい」
ボガア・ナガアが頷いた。