第五章 サンドランド(8)
僕たちの最初の冒険先はレインカースに決まった。とはいえ闇雲に訪れても手掛かりがない。以前レインカースには一度行ったことがあるらしく、レインカースなら飛べるからとムイムが先に少し見てくるというので任せ、僕たちはエレサリアの家で待機していた。
いつムイムが戻ってきても動けるように、ほかのメンバーはエレサリアの部屋に集まったまま、思い思いのことをして準備していた。
「そういえば、レインカースには、ニューティアン以外の種族っているの?」
僕は荷物の細かいチェックをしながらエレサリアに聞いた。
シーヌがヌークだとはいえ、ムイムの話を考えると、ヌークは普遍的にいる種族というよりも、シーヌが特殊なのだろうという気がした。
「そうね、マーシュアルプは昔住んでいたけれど、最近は見ないわ。あの種族は気まぐれで、私たちの街に立ち寄ることもなかったし、交流もなかったから全然分かっていないのよね」
アルプというのは、森や山、沼などに住む、半人半獣の生き物だ。上半身は人に近く、下半身は山羊のような姿をしている。頭には二対の山羊の角があり、陽気で音楽が好きだといわれている。オールドガイアにもいる種族だけれど、オールドガイアでは人類として数えられていない。マーシュアルプというのだから、沼に住むアルプの一種だろう。
「リザードマンとかはいないの?」
僕が聞くと、
「リザードマン? 聞いたことがないわ。どんな種族なの?」
エレサリアは首をひねって聞き返してきた。
「オールドガイアでは沼地に良く住んでいる種族で、一言で言うとトカゲ人間だ。外見は僕やボガア・ナガアを人間サイズにしたような感じではあるんだけど、もっとがっしりしていて、力も強い、円盾と曲刀が得意な、勇猛な種族だよ」
僕はリザードマンの特徴を簡単に話すと、背負い袋の中身がそろっていることを確認した。
そういえば、レジェンダリー・スピリットやネビロスの指輪を収めておく小袋は、サンドランドに来てから調達できた。予備などの目的で、小袋は三枚ほど余計に買って、空のまま背負い袋に入れてある。お金に関しては、金貨はそのまま使えなかったけれど、金重量換算で両替してもらえたから、困ることはなかった。白金貨も一〇枚ほど持ち歩いているけれど、そちらはサンドランドにはない金属なので値がつかないと言われた。
「トカゲみたいな種族にも色々いるんですね」
フェリアが自分の荷物をまとめなおしながら言った。フェリア用の小さい背負い袋を、アンティスダム達が作ってくれたのだ。それと、状態は良いと言ってもフォーナの神官服は一八年も前のものなので、新しい服も仕立ててもらい、ようやく着替えさせることができた。
淡い草色の胴着と同じ色のズボンの上に、枯葉色のマントを羽織っている。フォーナの神官服は、彼女の背負い袋に大事に仕舞われていた。また、フェリア用の針のような武器も買ってあった。約束した魔法書も買ったけれど、大きすぎて彼女には持ち歩けないので、僕の背負い袋に入れてある。
忘れていた。フェリアが使える魔法についても記しておこう。彼女が覚えている術は二種類で、目くらましの光を出すことと、呪い解除はできるようだった。相手を直接倒せるような、炎や光弾などといったものを飛ばす魔法は未収得らしい。
「ニンゲンみたいなのだってたくさんいる」
ボガア・ナガアが指摘すると、
「たしかにそうです」
フェリアは納得したようだった。
「そもそも君の仲間だって三種類もいるしね」
僕はそう言って笑った。すると、フェリアが指折り数えて首を傾げた。
「フェアリーと、ピクシーと……あとは?」
「スプライト」
と、僕は答えた。
「全く生態が分かっていない、謎だらけの妖精族だよ。冒険者になることもないし、そもそもほとんど見かけることがない。まあ、それを言ったら君も十分珍しいんだけど。人間社会でよく見る妖精族はほとんどピクシーで、フェアリーはたまにいる程度だ。スプライトはまったく見ない」
「そんな種族もいるんですね」
しきりに感嘆の声をあげているフェリアを見ながら、僕は図鑑などを見る時間も作ってあげるべきかもしれないと考える。その頭上から、声がかかった。
「お待たせしました」
ムイムが戻って来たのだ。見上げるとかなり困った顔をして腕を組んで浮いていた。
「どうしたの?」
何か問題でもあるのだろうか、僕は不安を押し殺して聞いた。
「ある程度原因は分かりました」
ムイムがきっぱりと言う。まさか原因を一人で突き止めて来るとは思っていなかったので、僕は狼狽した。
「それで?」
「ただ、場所が問題です」
と、ムイムが思案顔のまま唸った。
「おそらく聖宮の離宮の中に原因となっているものがあります。しかし、問題と疑問が残ります。まず問題として、エレサリアの話を今日聞いた限りでは、入れてもらえるかどうか。いやはや、頭の痛い問題です」
「せいぐうの……りきゅう」
エレサリアが目を丸くして、わなわなと震える。
「そんなはずはないわ。だって私たちは毎日そこで寝起きしていたのよ。毎日よ。それならなぜ歴代の聖女は誰も原因を見つけられなかったの? そんなことがあっていいはずがないわ。そうなのよ。あってはいけないないのよ」
「ふむ」
と、ムイムが短く声を上げた。彼はエレサリアを見下ろして言った。
「私もそれは非常に疑問に思ってますよ、エレサリア。歴代の聖女が誰も聖宮の中を探さなかったってことはあまりにも考えにくいです。それどころか、何人も手掛かりを求めて探したってことのほうが自然だと思ってます」
「ええ……そうよ。そう。私も探したわよ。それはもうしらみつぶしに。壁の裏に誰も知らない秘密の部屋がないかまで。聖宮本殿も、離宮も。見取り図も作りなおしてしらみつぶしにしたわ」
エレサリアは何度も頷いた。彼女の表情は必死で、自分に絶望したくない一心で弁解しているのが、痛いほど良く分かった。
「そうでしょう。私もそこは疑ってません。だとしたら、エレサリアたちに探せない場所にあるってのが妥当じゃないかと。そこで、失礼ですが少々お聞きしたいです」
ムイムがわずかに口元をゆがめた。流石のムイムでも、エレサリアの様子に質問をしづらいらしい。
「大丈夫……答えるわ」
エレサリアが自尊心の消えかけた瞳でムイムを見る。ムイムはそれを見て、口を開いた。
「あなたは異次元の存在を、アンティスダムに会って初めて知った。つまり、レインカースでは次元なんてものは知られてない。合ってますよね?」
「ええ」
エレサリアが震える声で答えた。
ムイムは、そして、さらに聞いた。
「ってことはです、レインカースじゃ、マテリアル界とか、アストラル界とか、知らないんじゃないですか?」
無言。
それから、エレサリアが聞き返した。
「それは、何?」
「確信できました。ありがとう」
大きく息を吐き、ムイムがエレサリアのそばに降りていく。彼は、エレサリアの頭に手を乗せて、告げた。
「見つからなかったのは、あなたのせいじゃありません」
「アストラル界に隠されてる?」
僕がムイムに尋ねると、
「厳密にはおそらく違います。私が思うに、ゆがんだ霊的結界があります。正式な名前は、精霊の檻。マテリアル界にありながらマテリアル界では見えない結界で、その名の通り精霊を閉じ込めるのに利用します。つまり」
彼はそう言って、自分の確信を語った。
「おそらく離宮の中に水の精霊が捕まってます」
「……どういうこと?」
よろよろと立ち上がると、ようやくのようにエレサリアが疑問を口にする。彼女は一度だけ大きく深呼吸してから、もう一度ムイムを見た。
「何故私たちには見つけられないの? 魔力波長の調査では見えないものがまだ別にあるってこと?」
「その通りです。アストラル界そのものはそこにあるだけで魔法じゃありませんから、霊的エネルギーは魔力を伴いません」
ムイムが答えた。
「アストラル界を知らない以上、霊的エネルギーを感知する方法なんて持ってるはずがない。レインカースの人々には見つけられなくて当然です」
ムイムはいったん言葉を切ってから、エレサリアから手を放して、次元の亀裂をいきなり開いた。
「急ぎましょう、ボス。これは土が腐るなんて程度の問題じゃないです。五〇年もの間、次元全体に、雨を降り続けさせるほどの精霊を、ずっと閉じ込めてたとしたら、アストラル界のバランスは破綻寸前になってるはずです。レインカースはいつ崩壊してもおかしくないかもしれません」