第一章 聖騎士見習いとして(7)
ディルたちのパーティーとは知り合いだと告げ、噂をしていた人たちに何かわかったらまた教えてほしいとお願いしたけれど、結局、それ以来彼らの消息を僕が耳にすることはなかった。
冒険者は死と隣り合わせの生業だ。
突然パーティーがどうやっても勝てない相手と鉢合わせ、非業の死を遂げることは珍しくないという話は僕も理解している。それはコボルドの群れが、冒険者のパーティーの討伐にあい、ある日突然全滅するのと同じくらい、この世の中には当たり前に存在している事実だった。
正直に言って、ディルたちのことは名前と職業以外何も知らないに等しい。あの日たまたま威嚇されて、そしてすぐに和解しただけの、本当にすれ違っただけに等しい関係だ。
でも、名前を知っているというだけで、死がすぐ隣にあるような、ざわついた不安を感じた。
ディル。
スティン。
ライナ。
ケイ。
クロード。
ロージー。
僕には彼らの無事を祈ることしかできなかった。けれど現実は非情で、彼らが街に戻ったという話もなく、時間だけが過ぎていった。
僕は不安を振り払うために、死を隣から遠ざけたい一心で、より一層、訓練に身を置いた。一日も早く一人前になって、一人でも多くの人の命を救えるようになるために戦闘の特訓を重ね、寝る間を惜しんであらゆる分野の書籍を読み漁り、自分なりに理解するためにそれらを自分の手でも書き記し、冒険用具を買いあさっては使い方とメンテナンスの練習を繰り返した。
アルフレッドはそんな僕をオーバーワークではないかといつも心配してくれたけれど、そんな彼に、僕は、コボルドの人生には、人間の人生の半分の時間しかないのだということを話した。コボルドは短命なのだから。
死を実感してから、僕には時間がないのだということを、僕は考えるようになっていた。
僕には謳歌する夏はなかった。ただ、鍛錬と勉強に打ち込んだ。
そして、アルフレッドの心配をよそに、僕は、大聖堂でも例を見ない異例の速さで、基礎訓練を終了し、高等訓練を受けるようになった。
あのパーティーと出会い、彼らが消息不明になってから、半年ほど過ぎた、秋のころだった。
すでに高等訓練を始めていた二人の見習いとも試合形式の訓練を繰り返しはじめた僕は、最初のうちは全く歯が立たず、滅多打ちされまくった。
ほかならぬ僕が手加減なしをお願いしたから。
そして、僕は打たれながら、歯を食いしばって技術面、体力面の両方を向上しようと食らいついていった。
雪が降り始めるころになると、僕は彼らの攻撃を防ぎ、打ち返すことができるようになった。
しかし、それもしばらくだけで、春の風が吹き始めるころには、僕は打ち返すのをやめ、また打たれるに任せるようになった。
理由は簡単だった。僕が打ち返すと、確実に彼らを大怪我させる確信があったからだ。
そんな僕は、聖騎士レンスからバーサーカーになれと言った覚えはないと何度も叱られたけれど、僕はこれが僕に必要なことだと信じていた。
そして、それが間違っていないことを証明するため、僕は聖騎士レンスと試合をした。その翌日、ついに、僕はコーレン司祭に呼び出されるに至った。
「失礼します」
コーレン司祭の執務室に入ると、そこには聖騎士レンスと、見習いを卒業して正式な神官になっていたアルフレッドが待っていた。
「何があったかは知っていたから、きみの無茶の目的もわかっているつもりだ。でも、すまない。そろそろ止めさせてもらうよ」
アルフレッドが、とても寂しそうな顔をしていた。
「他人のために、誰かのために、強く、賢くあろうとすることはとても尊いと思う。きみは間違ってはいないけれど、君はこのままではモンスターになってしまうよ。知り合った人が死ぬのは、つらくて、悲しくて、無力感を覚えるものだ。仕方がないと思う。一日でも早く助かるかもしれない誰かを助けられるようになりたい思いはとても尊いものだ。けれど、君はこのまま思いだけで走り続けては駄目だ。誰かを救えるかもしれない未来を、自分自身で殺してしまいそうに、ぼくには見えるんだ」
「僕がモンスターなのは生まれつきだから、勘弁してほしいな。人間に生まれ変われと言われても、それはできないよ、アルフレッド。ごめん」
いつからだろう。僕はアルフレッド相手に丁寧な口調で話すことをやめていた。僕はまだ一人前の何者かになったとは思っていない。それでも、僕の中で何かが確実に変わっていた。
「聖騎士レンス。あなたならわかるはずだ。つい昨日のことだから。僕はあなたに試合を申し込み、そして勝ってみせた。ここでの訓練では、僕はもう勝つことができるんだ。でも、それでも、僕はまだ脆くてちっぽけなコボルドで、一時間も剣を振れば足はがくがくしてくるし、手元はおぼつかなくなってくる。僕はただ敵を数人倒せるだけのごろつきで、聖騎士になれる気はしない。ほかの人には痛々しく見えるのは分かっていて、それは申し訳ないと思うけれど、僕はコボルドだから、寿命が短いから、皆と同じペースで学ぶのには僕の一生は短すぎるというだけのことなんだ。分かってほしい、僕は、人間じゃないから、人間とは違う時間の使い方と、鍛錬が必要なんだ」
「それでも」
聖騎士レンスは言った。
「あなたの先輩たち二人に言われたのです。もうあなたを打ちたくないと。無抵抗な相手を滅多打ちにするために、聖騎士の訓練を受けているのではないはずだと。あなたが強いのは分かっているし、いつの間にか自分たちが勝てなくなっていることも認めるから、どうかあなたを打たせるのだけはもう勘弁してほしいと、私に嘆願してきたのです。私も、正直あなたは耐えられると思っています。それでも、彼らには耐えられないのです。守るためのはずの剣で、耐え続けるあなたを打ち続けることは、彼らにとっては拷問に等しいことを分かってあげてほしいのです」
「そういうことか。分かった、であれば彼らを僕の鍛錬に着き合わせるのはやめるよ。二人にも謝っておかないといけないな。僕は別の方法を探そう。それでも僕自身が、このまま鍛錬を続けることは、どうか許してほしい」
僕は立ち止まるつもりはなかった。けれど、それが先輩たちには苦痛だというのなら、それを強いるのは間違っていると、僕も思った。
けれど。
「あのパーティーは、僕に良い冒険者になれると言ってくれた。その彼らはきっとどこかで死んだ。それで僕は分かったんだ。人を守るって、人のために戦うって、きっとそういう事なんだと。だから僕は、僕を頼ってくれる誰かに、胸を張って、僕に任せて、と言える僕になりたいだけなんだ」
僕のような弱い生き物が、誰かのために剣を取ろうというのであれば、人間たちのような強い生き物よりもたくさんの甘えや無力さなどといったものを乗り越えなければいけないのだと思う。
「ラルフ君。それは果てしない道のりだ。君が知り合ったというそのパーティーの消息が絶たれてから、君の理想は果てしなく高くなってしまった。確かに君のその考え方はとても崇高なもので、私もそうであれば良いと思う。彼らが消息を絶ったことは君にとってそのくらい衝撃だったのだろう。でも君はまだ見習いだ。もう少しゆっくりでも良いのだと思えないかな」
コーレン司祭の言葉は、優しかった。
だからこそ、僕はその言葉に甘えることはできなかった。
「そうではないんです、司祭様。僕があの時に見えたのは、それではなくて、彼らに依頼した誰かも、彼らに縋った誰かも失敗したんだってことなんです。助けを待っている誰かがいたのかもしれないし、取り返さなければいけない何かがあったのかもしれない、討伐しないといけない危険があったのかもしれない、でも、彼らが失敗したことで、きっと救われるべき誰かが救われなかったんです」
僕は首を横に振って答えた。
冒険者が失敗して死ぬことは、ある意味仕方がないことだ。そして、僕がおそれているのは、それではなかった。
「そして、僕は考えたんです。その失敗したのが例えば僕であったとしたなら、僕が名誉を失ったとか、僕の誇りに傷がついたとか、僕の命が尽きたとか、そんなことはごみ溜めの塵芥に等しいほどの悲劇が起きるんだろうって。なら僕は避けられる死を避けられるようにならないといけない。僕が誰かを守り、救いたいと願うなら、その全力の努力を惜しんではいけないはずなんです。僕はまだ見習いだから許されるとか、救われなければいけないはずの彼らの前では、僕は口が裂けても言えないから」
執務室に静寂が訪れた。誰もが黙り、僕を見ていた。かける言葉を皆が探しているようだった。
分かっている。こんな言葉はただの理想で、僕はそんな僕に今も遠く及んでいない。僕はまだただのコボルドで、ただの見習いで、何者でもないのだから。
「僕は鍛錬に戻ります、司祭様。すみません」
そう言って、部屋を出ようとしたとき。
「それなら」
勢いよく扉を開けて、部屋に久しぶりに見る女の子が飛び込んできた。ずっと会っていなかった彼女は、あまり変わっていなかった。
「今のあなたでいい。私を救って」
セラフィーナの目は、泣きはらしたように真っ赤だった。