第五章 サンドランド(5)
次元目録とアンティスダムのファイルの確認を再開してしばらくして。
「あった」
と、シエルが声を上げた。
「ミスティーフォレスト、だって」
僕も覗き込んでみると、確かにアンティスダムのファイルに名前もあり、次元目録にもマーキングがされている。説明によると比較的小さな次元で、オールドガイアの基準からすると、大陸一個分の広さもないようだった。名前の通り、霧がかった土地が多い次元のようで、オールドガイアの人間とほぼ同じ人類が、やはり自分たちを人間と呼称して住んでいるらしい。その他は動物的な生物は少なく、植物的な種族が多いようだ。通常では想像もできないような植物が生えている地域もあり、次元目録によると結晶密林と呼ばれる場所があるようだった。一部縄張りの主張が激しい植物系モンスターもいるようだけれど、それ以外は穏やかな種族が多いとされていた。
なるほど、危険は少なそうだ。まずは第一候補といったところか。僕たちはほかにもないか確認を進めた。
「あ、ありました。あれ?」
フェリアもそう声をあげて、それから不思議そうな声を上げた。
「どうしたの?」
彼女が見つけた項目を見ると、飛び込んできたのは、レインカースの文字だった。
「え? レインカースにそんな場所あったかしら?」
エレサリアが首をひねりながら考え込む。現地の人でも知らないとなるとよっぽどの場所が候補なのだろうか。目録に書いてある場所をひとまず僕が読んでみる。
「聖宮の離宮中庭らしい。知っている?」
「聖宮の離宮って」
エレサリアが目を丸くする。彼女は慌てた様子で首を振った。
「レインカースの住民でも立ち入り禁止の、聖女専用の寝所じゃないの。そんなところに入り込んだらその場で成敗されるわよ」
「そうなんだ。それじゃあ、ここは駄目かな」
僕が笑うと、エレサリアに未だ抱きかかえられて離してもらえていないボガア・ナガアが口を開いた。
「ボス、聖騎士特権とかないのか?」
「あるわけないよ。オールドガイアだってないし、あまつさえほかの次元じゃそもそも聖騎士が何か、みんな知らないよ」
僕がさらに笑うと、突然予想もしなかった場所から、ものすごい大声が上がった。
「せいきしっ!」
皆の視線が大声を出して口をパクパクさせているエレサリアに集まる。そして、ボガア・ナガアを人形か何かのように抱きかかえたまま、彼女は勢い良く立ち上がった。
「あの、あの。調査は中断してもらっていいかしら。その、あの。少し聞きたいんだけど、ええと、ああ、ええと、それで、その」
エレサリアは過呼吸気味になりながら、まくしたてた。大慌てになっている彼女を心配するように見上げて、ボガア・ナガアが両手でエレサリアの頬を包み。
「ゆっくり」
と、彼は一言だけ声を掛けた。
「あ、ありがとう、ダーリン」
エレサリアはそれで落ち着きを取り戻したようだった。
「ラルフが、その、せいきしっていう何かってことでいいのよね?」
「うん、そうだよ」
オールドガイア以外で聖騎士なんて名乗っても通用しないだろうし、混乱するだけだから名乗るつもりはなかったけれど。まさかサンドランドで聖騎士であることが意味を持つとは思っていなかったから、少なからず、僕も驚いていた。
「ええと、それで。竜にまつわる何かを持ってたりとかは」
続けてエレサリアにそんな風に聞かれたので、僕は竜の護符を見せて言った。
「あるとすればこれかな」
「ごふっ」
何かを吐き出したわけではない。エレサリアがすごい食い気味に、護符、と言っただけだ。
「ああ、なんてこと」
一人で盛り上がっているエレサリアに面食らいながら、僕たちは彼女の言葉を待った。エレサリアはボガア・ナガアを床に降ろすと、
「最後に確認させてほしいんだけど」
と、言った。
「私に掛けられた水の呪い、体質変化の呪いなんだけど、解けるかしら」
呪いだったのか。気が付かなくて申し訳ない気分になる。言われる前に気が付いてあげられれば良かったのに。
「やってみるよ」
僕は右手をエレサリアに向けた。そして、目を閉じて、念じる。僕はそれからつぶやいた。
「見つけた。あるね」
呪いが彼女に絡みついているのが見える。僕はそれを注意深く引きはがすイメージをしながら、ゆっくりと右手を動かした。すると彼女の体から黒く禍々しい魔力の塊が浮かび出てくる。僕はそれが完全にエレサリアの体から浮き上がると、右手でつかんで握りつぶした。
「終わったよ。呪いだと気づかなくてごめん」
僕がそう告げると、エレサリアは言葉にならない唸り声をあげてひっくり返った。
「え、大丈夫?」
僕が慌てて駆け寄ると、
「ごめんなさい。興奮しすぎちゃって。お願いがあるの。詳しい話はあとでするから、私と一緒に家に帰ってくれる?」
ひっくり返ったままエレサリアが言う。
「それで、ひとつ教えてほしいの。せいきしっていうのは何のことなの?」
「聖騎士というのはね」
僕はエレサリアに手を差し出しながら言う。彼女は僕の手をつかんで立ち上がった。それを見届けて、僕は続けた。フェリアやシエルにも正しい答えを言っていなかった気がするから、いい機会だ。
「僕らの次元オールドガイアでは比較的知名度が高い、神殿関係者の役職の一つだ。と言っても常に神殿内でお勤めをしている神官たちとは全く違う活動をしている。ほとんどは神殿外にいて、困っているひとや助けを必要としている人の話を聞き、それがまさしく救われなければならない内容かを判断し、救われるべきと判断したら手を差し伸べる、というのが主な役割だ。そして、助けなければいけないと僕たちが判断したら、内容は問わないんだ。大怪我をした人の代わりに食糧や日用品の買い物の代行もするし、いなくなったペットの捜索もする。はたまた行方不明者の捜索や捕らわれ人の救出もするし、モンスター退治も引き受ける。それが聖騎士だよ」
「その内容は問わない中に、故郷の次元を救ってほしいという内容も含まれるの?」
と、エレサリアに聞かれて、僕は少し驚いた。けれど、そういう必然か、と僕は不思議と受け入れていた。
「もちろん。ただし、救われるべき内容かが判断できたらね」
「そうね。それにこちらも私の独断で頼んでいい問題ではないのだったわ。その辺も正式にお願いするか相談するためにも、私の家で話をさせてちょうだい」
エレサリアが服の汚れを払いながら言う。それからまたボガア・ナガアを抱きかかえると、うれしそうな笑顔で頬ずりを始めた。
「さすがダーリン。すごい人がボスなのね」
ほほえましい光景だけれど、状況としては笑い事ではない。エレサリアは次元を救ってほしいと言ったのだし、それはとてつもなく大きな話だ。真剣に受け止めなければならない。まずは詳細を聞いてから、手に負える話かを判断する必要があるだろう。
ひとまず僕たちはその場を片付け、エレサリアの家に移動することにした。
ムガロに礼を言い、資料館を後にする。
ムガロに、またオールドガイアの話を聞かせてほしいと言われたので、僕は折を見て必ず説明に行くことを約束した。フェリアたちの勉強にもなるし、断る理由はなかった。
歩きながら次元目録を気にしていると、
「調べたいことがあるなら乗せる」
とシエルに言われて、馬の姿になったシエルの背に乗せてもらうことにした。
シエルの背に揺られながら、僕はもう一度次元目録の、レインカースのページを読んでみた。そこに何か、エレサリアたちが助けを必要としている内容になりそうな説明が載っていないかを確かめるために。
レインカース。
別名レインガーデンともいうようだ。ただしそちらは古い名前の認識とされて、現在その名で呼ぶ者は滅多にいないらしい。レインカースの名前は五〇年ほど前から止むことなく雨が降り続いていることに由来していて、以前は、雨が多めではあれ、止むことなく降り続くようなことはなかったらしい。
次元の広さはかなり狭く、オールドガイアなどの基準でいえば、国一つ分と言って差し支えないほどの面積のようだった。次元のほとんどが湿地帯になっているけれど、これも以前は草原だった場所もあるようだ。
降りやまない雨。
僕はそのあたりにおそらくはエレサリアが助けを必要としている何かがあるのだろうと考えた。
そして、それだけ確認できれば良しとして、僕は本を閉じた。