第五章 サンドランド(4)
翌日。
僕は訓練を休みにして、朝から資料館を訪れていた。前日は結局フェアリーとピクシーの生態の違いを解説しただけで終わったという話をしたところ、昨日のメンバー(僕、フェリア、シエル)以外のムイムやボガア・ナガアもついてきた。何故かエレサリアまでついてきたので、僕は少し面食らっている。エレサリア曰く、
「コボルドの生態の解説もお願い!」
ということだったので、何か大幅に趣旨を勘違いされている気がした。
「ニューティアンとコボルドの間に子供が生まれるかは僕にも分からないよ」
と正直に言ってやったところ、エレサリアは顔を真っ赤にしていた。ちょっと意地悪だったかもしれない。少なくともフェリアとシエルには冷ややかな視線で睨まれた。
「デリカシーって言葉知ってますか」
「最低」
と、二人からの評価ががくんと下がったのを感じた。趣旨と関係ない目的でついてこられたのだから、一言くらい許してほしい。僕は絶対悪くない。
「難しい話は俺分からない。でも、簡単なことなら俺分かる。エレサリアは好きだ」
ボガア・ナガアが言った。彼がエレサリアの好意を正しく認識していたことに、僕は少なからず驚いた。
「ダーリン素敵!」
とりあえず場違いに仲睦まじそうなボガア・ナガアとエレサリアは放っておくことにした。
「すみません、大人数で押しかけて」
僕がムガロに謝罪すると、
「いや、問題ありません」
と、ムガロは流してくれた。ありがたい。
応接テーブルでは手狭だろうということで、急遽職員会議用の部屋に案内してくれた。何から何まで申し訳ない気分になった。
机の上にムガロがファイルを開き、僕も次元目得をその横に開く。フェリアもテーブルに乗り、双方を見比べて同じ名前がないか手伝ってくれた。
ボガア・ナガアとエレサリアは始終遊んでいて(というよりボガア・ナガア自身は手伝ってくれる気はありそうなのだけれど、エレサリアがひしと抱き着いて離さないので)頼りにならないことは明白だった。正直言って帰ってほしい。
そんな感じで気が付けば見比べ始めてから一時間が過ぎていた。めぼしい次元は見つかっていない。
「なかなかないですねえ」
フェリアがくたびれた声で漏らした。
「本当だね。少し休憩を入れようか」
僕は一同を見回した。いつの間にかボガア・ナガアとエレサリアがいなくなっていた。僕も帰ってほしいと思ったのは確かだけれど、帰るなら帰ると声をかけてほしかった。
と思ったら差し入れの飲み物と軽い食べ物を買ってきてくれただけだった。少し反省する。いや、買い出しだとしても声はかけるべきだ。僕は間違っていないはずだ。
「ただ」
フェリアが僕の方を見て言った。
「目録にはマーキングなかったんですけど、一ヶ所気になった次元はあるんですよね」
なんだろう。僕は首をひねった。僕には時に気になる場所はなかったけれど。
「アンティスダムのリストのほうに、妖精の園という次元が載ってました。ピクシーとフェアリーが住む、妖精の国だそうです。行ってみたいなあ」
そういう意味で気になるか。僕はなんとなく納得したけれど、
「こういう言い方はかわいそうなんだけど、君は半分インプだから、つらい思いをしないかが心配だな。ピクシーもフェアリーもインプは忌み嫌っているからね」
それがむしろ心配になった。インプとの混血ということで、迫害を受けなければいいけれど、と思う。現実は優しいものではないから。
「あ」
フェリアは目を伏せた。まだ彼女にはその迫害を受け止め、仕方がないと受け止められるだけの心の余裕はないだろう。だからこそ、今すぐに妖精の園へ連れて行きたいとは、僕には思えなかった。
「もっともそれ以上にコボルドの僕が投獄されるリスクのほうが高いけれど」
妖精というのは決して生命力が強い種族ではない。だからこそ、こちらがどれだけ友好的に接しても、モンスターに対しては懐疑的な見方が主流を占める。それは仕方がないことなのだ。
「フェリア、シエル、いい機会だから覚えておいてほしい。僕やボガア・ナガアはどの次元でも敵とみなされるリスクが高い。次に高いのがフェリアだ。ムイムやシエルは別のお意味でリスクが高い。希少な生物ということで、ハンターに狙われるおそれがあるからだ。僕たちは多くの世界で人類とみなされないだろう。だからこそ、これからの探索は物見雄山の旅行ではないことを自覚してほしい。僕たちは人類じゃない。だから、僕たちがこの探索をすることは、人類以上に命がけの冒険なんだ」
足がかりを作ることに失敗した次元からは、無理をせずに撤退も辞さない覚悟で臨まなければならない。その際に場合によっては誰かを置き去りにする非情の選択をしなくてはならないことがあるかもしれない。僕たちはその選択肢に真面目に向き合うべきだし、そうでなければこの探索は成功しないだろう。
「オールドガイアではカレヴォス神の威光が僕たちを守ってくれた。これから行く先ではそれは通用しない。忘れないでほしい。僕たちはモンスターなんだ。半分はフェアリーのフェリアでさえ。だからこそ僕たちは慎重でなければならないんだ」
「その通りです。まさにボスが警告した通りです」
ムイムが静かに言った。
「ある意味オールドガイアでの冒険が幸運すぎたため、おそらくフェリアとシエルには実感が薄いだろうと思われますが、その幸運ははるか遠くに過ぎ去ったわけです。もう一度、自分たちの姿を鏡で見て、自分が何者だったかを思い出さねば、誰かが死ぬでしょう。あるいは全員が。我々が街で優雅に買い物ができると思ったら大間違いです。街に入っても安全であることが保障されない限り、私たちは街には入れないってことを、まずは覚悟しておかなければならないでしょう。住民が敵対的であることを前提として、我々は旅をしなければならないってことを、フェリアとシエルは知っておくべきです」
「住民は敵」
シエルが、呆然とつぶやく。きっと彼女はそんなことを予想もしていなかっただろう。でも、それが現実だ。
「そして、ここからが重要なことだ。住民が目に見えて敵対的でも、僕たちには彼等を不用意に攻撃することは許されない。何故なら一度敵対行動をこちら側から見せてしまえば、それは埋められない亀裂になるからだ。もちろん致し方なく反撃をすることは考えられる。例えばそうしなければ僕たちのうちの誰かが死ぬ場合だ。僕たちはその決断を繰り返さなければならない。とても難しい選択だけど、時間はいつだって待ってくれない。迷う暇はないんだ。逆に言えば、だからこそ決断が必要になる場面は可能な限り減らさなければならない。一人の思い込みやわがまま、気まぐれが全員を殺す。それだけは肝に銘じてほしい」
僕はかわいそうだとは思ったけれど、言わなければならなかった。本当はそうだね、行ってみようか、と言ってあげたかったけれど。
「行ってみたいというだけの理由では、今は行くことはできない」
「ごめんなさい」
うつむいて、フェリアが謝った。だから、彼女を慰める代わりに、僕はこう言った。
「もし歓迎してもらえる時が来たら、その時には必ず寄ろう。そんな日が来るかは分からないけれど、けれど、そんな日が来る日が来るように、いろいろな次元で、ほんの少しでも僕たちが助けられる人がいる時には、その人を助けて行こう」
「あ」
フェリアが短い声をあげて、僕を見た。
「はい。私も、頑張ります」
「私も」
シエルの視線も僕を見ていた。
そんな二人と僕の姿を眺めながら、
「いやいやいや、保護者ですねえ」
と、ムイムが愉快そうに笑った。
「さあ、目録調査の続きをしようか」
僕は茶化された恥ずかしさをごまかすように、そう言って目録とファイルをめくり始めた。