第五章 サンドランド(2)
次元目録によると、アンティスダムが暮らすこの次元は、サンドランド、砂の地と呼ばれているようだった。また、僕が生まれた次元は、オールドガイア、老いた大地、という名前らしい。
サンドランドの名前が示す通り、この次元には砂と岩しかない。それでも小動物や虫はいて、そういったものを、アンティスダムたちは食べているようだった。
虫を食すということに関しては、僕とボガア・ナガアは美味しいと思ったけれど、フェリアは少し苦手な味だと言っていた。それでもインプに捕らえられていたころに、あっさり殺さないためだけに無理矢理口にねじ込まれていたという、“正体の分からない名状しがたい物体”よりはずっとまともな食べ物だと言い、毛嫌いすることなく食べていた。ムイムとシエルはそもそも食事をしない。
それはともかくとして。
「数日で仕上がるとは思っていないけど」
地面に座り込みながら、僕は少し考えていた。
「このまま雁首揃えて訓練ばかりというのも時間がもったいないのは確かだと思う」
「そうですね。少し目録の調査の時間は作るべきかと」
ムイムが同意した。それは正論だ。
「そもそも次元目録自体、謎が多い。ノーラは僕たちの次元では手に入らない本だと言った。けれど、僕たちの言語で書かれている。矛盾しているんだよね」
「矛盾はしていないと思われます。書かれた場所は別の次元でも、綴じ手がオールドガイアの出身という可能性があります」
ムイムがそう語った推論は一理あるかもしれない。あくまで可能性の話だけれど、それが最も納得がいきやすい可能性であることは確かだった。
「とはいえ、載っている次元情報が膨大すぎるのも考え物だね。できれば、フェリアたちの慣らしに丁度いい次元が見つかればいいんだけど」
僕がそうやって考え込んでいると、
「それならば、資料館で話を聞いてみたらどうかしら」
という声がかかった。声の主は女性だった。
くすんだ色の体をしていて、顎の下から喉にかけてが赤い。僕よりも頭一つ背が高いくらいの、両生類の生物だ。僕たちのようにごつごつした鱗に覆われた体でなく、つるっとした丸みを帯びた姿をしている。ニューティアンと呼ばれる種族だ。イモリ人というその名称とは見た目が少し違っていて、比較的ずんぐりしている体格は、サラマンダーと呼ばれる両生類にどことなく外見が似ている。
「やあ、エレサリア」
僕は挨拶をした。声をかけてきたのは、ニューティアンのエレサリアという名前の女性だった。ニューティアンの年齢は僕たちには分かりにくいけれど、それなりに成熟した年齢、とだけ本人は言っている。
彼女たちニューティアンは、もともとはレインカースと呼ばれる次元に住んでいる種族なのだという。レインカースはその名の通り、全域で一年中ほぼ雨が降り続いている湿った場所らしい。そんな場所の生物だと乾燥に弱そうで、乾ききったサンドランドではさぞ苦労しているだろうに、何故わざわざ移住してきたのだろうと僕も最初は思った。けれど、実際には、
「表皮に水が当たると火傷したようにただれてしまう体質だから、アンティスダムに頼み込んで移住させてもらったの」
とのことだった。彼女にはサンドランドのほうが快適なのだ。口の中や腹の中は問題ないそうで、水は普通に飲んでも平気らしいけれど、口の周りにいったん水が付着してしまうと、食事もできなくなるくらい痛むらしく、いつもストローで水を飲んでいる姿には、同情を覚えずにいられない。
彼女はアンティスダムたちに代わり、サンドランドを訪れた来訪者の世話役を買って出ているそうで、
「びちゃびちゃのサハギンでもない限り大歓迎」
と、僕たちを自分の家に泊めてくれていた。
「その資料館っていうのは何?」
僕は彼女が言った資料館というものをまだ教えてもらっていなかった。僕の言葉を聞くと、
「まあ、ゲルゴったら街の案内もしていないのね」
エレサリアはあきれたような顔をした。
彼女は抱えている大きな籠を腕の中で動かして、バランスを直しながら、仕方のない人だ、と大きなため息をついた。籠の中身は小動物の肉と袋詰めの虫のようだった。
「ほら、アンティスダムたちは子供たちを隔離させるために方々の次元に散っているでしょう? だから個々の状況を把握しにくいらしくてね、何年か前に情報を集積しておく施設が設置されたの。資料館ならいろいろな次元の情報が集まっているはずよ」
エレサリアはそう言ってから、少し怪訝そうに聞いてきた。
「でも、なんでそんなことを知りたいの?」
「あれ、ゲルゴから聞いているのかと思っていたよ。僕たちが来たのは、次元華が自生してできる場所を探しに行くためなんだ。でも、数人冒険に不慣れで、比較的安全な次元から行きたいなと思っているんだ。それで、ちょうどいい次元がないかの情報が欲しくて」
僕は剣を腰に戻しながら答えた。
「どこにあるかあとで教えてくれる? 行ってみるよ、ありがとう」
「それならあとで地図をあげるわ。もう、ゲルゴったら何でそういう大事な話を端折るのかしら」
エレサリアはそれほど腹を立てている風にでもなく不平をこぼし、もう一度籠を抱えなおした。
「ありがとう」
僕はエレサリアに礼を言ってから、皆に声を掛けた。
「今日は終わりにしよう」
その言葉を合図に、シエルが背負い布のような形になって、僕の背中におぶさってくる。
女の子相手に失礼なので詳しくは言わないけれど、シエルは結構な重量があるので、こうして運ぶと鍛錬になるのだ。もちろん彼女には鍛錬のためとは言っておらず、訓練のあとは背中におぶさって休んでいていい、とだけ伝えてある。
「それなら、エレサリア」
跳ねるように立ち上がって、ボガア・ナガアが言った。フェリアはまだ空を見上げてだらんとしていて、僕はボガア・ナガアから彼女を受け取った。
「俺運ぶから籠貸して」
「まあ、流石ダーリン、優しいわ!」
ゲルゴに部屋を借りられる相手として紹介された時に、エレサリア曰く、
「びびっと来た」
そうで、彼女はボガア・ナガアのことをダーリンと呼んでいる。僕の知らない言葉だ。ただ、二人は気が合うらしく、嫌って言っているわけではなさそうなので悪い意味の言葉ではないと思う。
「ダーリン響きかっこいい。俺名前ダーリンでもいいな」
器用に両手と頭で籠を支えて運びなら、ボガア・ナガアも陽気に言っている。本人も嫌がっていないようなので問題ないだろう。
「だめよ。ダーリンって呼んでいいのは私だけなんだから」
ただエレサリアの声色が、妙にボガア・ナガアにだけ違う調子で、少し気になった。
「知らない言葉だから何となくそんな気がするだけなんだけど、あれ、絶対ああいう感じの意味ですよね」
「私もそう思う。同感」
手の上でフェリアが、背中でシエルが、何となく意味が推測できているような発言をする。
「え? あれってそういうことなの?」
その言葉で、僕もようやく何となくわかった気がした。けれど、確かにそう考えてみると納得がいくような気がする。
「ああいうのって、僕も経験不足で分からないんだけど、そっとしておいてあげるのが正解なんだよね?」
正直分かったからといってどうしていいか分からない僕は二人に聞いた。
「そうですね」
「余計なお節介は野暮」
さすがに女の子たちだ。この手の相談相手としてとても頼りになる。僕は感謝しながら答えた。
「なら、見守ろうか」
「です」
「うん」
二人も同意してくれた。
仲良く先を歩くボガア・ナガアとエレサリアを眺めていると、僕は少し別の角度から考えずにはいられなかった。
「エレサリアのためにも、ボガア・ナガアに万が一のことがあってはいけないな」
僕がそうつぶやくと、
「私も甘えてばかりじゃ駄目ですね」
「私も頑張る。何がいけないのか考える」
二人も、自分たちの不甲斐なさを克服しなければという気持ちを口にした。
「無茶だけは禁物だよ。現状多少の無理はしないといけないとは思うけどね」
僕が二人に言い聞かせると、二人は一言、
「分かりました」
「分かった」
と、答えた。