第四章 次元の海を越えて(8)
フォーナの弔いが済むと、僕たちはカレドサーグをあとにし、ゲルゴの家に戻った。ゲルゴの家には調査隊の姿はなく、ゲルゴに彼等はどうしたのかを尋ねると、
「状況が変わったもので、オークの居住地で面倒を見てもらうことになったのだ」
彼はそう語った。
空き部屋に山と積んだ次元華はごっそりなくなっていた。それどころか、他の部屋の家具もすべてなくなっている。
「私の次元に帰還することになった」
ゲルゴは語った。
「ここでも、やはり子供たちは発病したのだ。となれば、この次元の生物に迷惑をかけることは正しいこととは言えぬ。この家をたたみ、私も帰ることにしたよ」
「次元華を増やすための探索を行う余裕はあるの?」
僕は核心を聞いた。答えは分かっていた。
「ない。が、君たちにこれ以上の迷惑をかけることはできぬ」
案の定、彼はそう言った。それで、僕は背負い袋から、ノーラにもらった本を出して言った。
「残念ながら僕たちの社会でも、次元華についての情報はないことが分かった。けれど、幸いなことに、この次元宇宙に、どのような次元があるのかをまとめた貴重な本を手に入れることができた。これを頼りに次元華が自生する次元を見つけられるかもしれない」
「ありがたい話だが、それだけの探索を行うほどの余裕が、私たちにはないのだ。ご厚意はありがたいが、その本は受け取れぬ」
ゲルゴは首を振った。そう言うだろうことも想像がついていた。
ノーラの言葉が脳裏に浮かんだ。
「あなたはどう決断する?」
僕は口の中で、
「ありがとう、ノーラ。君の言う通りだ。やっぱり僕は、この決断をするよ」
と、この場にいないノーラに話しかけた。
《もういいってば、馬鹿。私の名前は金輪際口にしないで。少なくともこの次元にいる間は。私に聞こえてきちゃうの。聞きたくなんてないのに、やめたいのに、やめられないの、未練がましくて自分が嫌になるけれど。聞いちゃうの。だから私には話しかけないでよ。お願いだから》
テレパシーが飛んでくる。そうか、そういうところが駄目なのか、と僕は思った。
《ごめん》
それで、僕はもうノーラのことを考えることをやめた。
「ゲルゴたちの事情と状況は分かっているつもりだ。だから」
そして、ゲルゴに言った。
「僕が行くよ」
「しかし、これは途方もない話だ。いつ戻れるかもわからぬ探索だ。私たちの問題とはそもそも関係のない君をそのような苦難に立ち向かわせるわけにはいかぬ」
ゲルゴは、僕の提案を飲むわけにいかないと言った。
「大丈夫。そうなるだろうと思って僕は来た。だから、僕の知り合いみんなにも、長い旅に出ると挨拶してきた。大丈夫だ、僕の準備はできている」
僕が言うと、
「なんと、そこまで」
ゲルゴはしばらく言葉を詰まらせてから、
「あ、いや。しかし……そうだな、一番に考えねばならぬことは、子供たちの未来を絶やさぬことだったな。君が教えてくれたことだった。うむ」
彼も覚悟を決めたようだった。
「よろしく頼む。ありがとう」
ゲルゴが答えた瞬間。
《!!!!!!!!!!!!!!!!!!》
僕の頭の中に、痛みが走った。それは言葉にならない叫びで、爆発した感情で、思いの形にならない悲痛な何かで、痛々しい悲鳴だった。
《ごめん、ラルフ。さようなら》
それだけ僕の頭の中に届いた。そのあとは、何も聞こえてこなくなった。最後の一瞬だけ、涙を流さないはずの、『そういうもの』の嗚咽が聞こえてきた気がした。
そのあとは、僕もゲルゴの家の片づけを手伝った。家を作っている素材は、ゲルゴが自分で分泌する何かの液体を吹き掛けると溶けていく。僕はそれでも残ったかけらを拾い集めて集めて行った。
そんな風に手を動かしていると、フェリアとシエルが不安そうな顔でやって来た。
「あの、私たちも、連れて行ってもらえるんですよね?」
「どっちか聞いてない。教えて」
そうだ、二人に何も言ってあげていない。僕は深く反省した。それは不安にならないほうがおかしい。
「ごめん。僕の頭の中では当たり前になりすぎていて、言葉にして言っていなかった。本当にごめん」
僕は素直に謝って、二人を見た。
「はっきり言うと、今後の探索は間違いなくかなり危険になる」
二人は、顔をこわばらせて聞いていた。
「だから、二人にはこれだけは伝えておく。僕はフォーナに君たちを任された。だから僕は君達に対して責任がある。それを放置することは、僕には許されていないと考えている。二人にも今後、時間が取れる時には、身を守るための戦闘訓練をしてもらうからそのつもりで覚悟しておいてくれ。つまり」
僕は最後の締めくくりの言葉を探してから、言った。
「一緒に探索についてきてほしい」
「はい!」
フェリアは大きく頷いた。
「分かった」
シエルもほっとしたように答えた。
「不安にさせてごめん、さっきも言ったけれど、置いて行ったりはしないよ」
僕の言葉に続いて。
「で、どうやって次元間を移動するおつもりで?」
と、僕の頭上から声がかかった。
「それは、今後の課題だ。シエルが能力に目覚めればできそうなんだけど……?」
僕はそう答えてから、ようやくその声の主が誰かに気が付いた。
「であれば教師役が必要ですね。ここに丁度いいスケープ・シフターという生物がいるのですが、ボス、ひとつ手下にいかがですか?」
「ありがとう、ムイム……?」
見上げて、二回目の驚愕。
僕はムイムの下に、見慣れたトカゲに似た生物がぶら下がっていることに気が付いた。
彼は宙返りしながら飛び降りると、にかっと笑った。
「ボス、俺やっぱりボスと行く」
ボガア・ナガアがそこにいた。こんなに近くにいたのに、気配は全く感じなかった。
「俺、ボスの指やる。隠れるの得意。偵察できる」
「次元を越えるんだよ? ちゃんとわかっている?」
僕はボガア・ナガアに聞いた。彼の腕にはもう疑いはないけれど、軽い気持ちでついてこられても困る。
「難しいこと分からない。けど、ボスが行くとこなら、俺どこでもいい。どこでも同じ」
ボガア・ナガアはもう一度にかっと笑った。
「俺、ボスが行くとこなら、やれる」
「分かったよ」
大きなため息をついた。またコソコソついてこられてもそのほうが困る。それにボガア・ナガアがいてくれると、正直とても助かるのは確かだ。僕が罠をいじらなくて済むのはとてもありがたい。
「よろしく。君は言葉を覚える必要はあるから、それだけは今後の課題かな」
「それも私が引き受けましょう。ボス」
ムイムがそう名乗り出てくれた。
「実は彼にはとても期待してまして。彼が言葉を覚えて私と組めば、たいていのことは調べが付くようになるかと。こと、潜入調査に関しては私などよりも頼りになることでしょう」
「そこまでか」
僕は舌を巻いた。実は僕以外すごい集団が集まってきているのではないだろうか。
「ごめんなさい。私だけ何もできなくて」
僕がそんな風に考えていると読み取ったように、フェリアがしょぼんとした顔をした。
「いや、そんなことはないよ」
僕は言った。
「素質だけで言ったらたぶん君が一番すごいと思う。たぶん、ちょっと分かってくれば自覚できるようになると思うから、楽しみにしておいて」
彼女はまだ気が付いていないけれど。
フェリアは悪魔が掛けた呪いを解きかけた。そして僕が止めなければ成功していただろう。ずっと檻に閉じ込められて、ほとんどまともな魔法経験がないのにだ。おそらく彼女の魔法の素質は、それほどまでに高い。彼女は間違いなくそういう器なのだ。
「そうなんですか。本当に?」
フェリアは自信なさげに首を傾げた。
「どこかで買えそうな機会に、必ず魔法書を買ってあげるよ」
だから、僕は笑ってそう言った。
話し込んでいる僕たちをゲルゴが呼んでいる。大氷穴の広い空洞には、ゲルゴの家があった痕跡はなくなっていた。
ムイムが次元の亀裂を開く。
皆、それを通ってゲルゴたちの次元に移動を始めた。僕もみんなの最後に続いて、亀裂を抜けた。
振り返りはしなかった。