第四章 次元の海を越えて(6)
ストーミーの背に乗り、王家の別宅の庭に僕たちは次元跳躍した。一瞬で王都につけることを説明し忘れていたので、フェリアとシエルはストーミーの馬上で目を丸くしていた。
すでに記念祭は終わっているようだった。街並みのほうからは、静けさだけが伝わって来た。
フェリアとシエルを連れて屋敷に入る。エレ付きの使用人たちとあいさつを交わしながら、ノーラがいるだろう居間に向かった。
ノーラはやはりそこにいた。一冊の本を開いて、読むでもなく眺めていた。
「ただいま」
僕が声をかけると、
「ん」
と手を出してきた。理由は分からないけれど、とても機嫌が悪そうだった。ノーラがこんなに虫の居所が悪いところを見たことがなかったので、僕はしばらく呆然として彼女を眺めていた。
「早く! 持って帰って来たんでしょ?」
ぶっきらぼうにノーラは言った。彼女は僕が次元華を持ち帰ることも知っている。それを早く見せろと言っているのだと、やっと僕は気が付いた。
布に包まれた次元華を出し、ノーラに渡す。
すると、彼女は自分から出せと言ったのに、それを見てとても大きなため息をついた。
それから、彼女は使用人を呼んだ。侍女がすぐにやってくると、
「エレを呼んで頂戴」
と侍女に指示した。
「今すぐですか?」
侍女に聞かれると、ノーラはそうだと答えた。
「今呼ばなかったら、たぶん私はもうエレに口を聞いてもらえなくなるから。お願いね」
「畏まりました」
侍女は恭しく一礼して部屋を出て行った。
ノーラはしばらく次元華を眺めていた。そして、ぽつりとつぶやいた。
「やっぱり、持って帰ってきちゃうのよね。そうよね、ラルフだものね」
しばらくすると、部屋の扉が開き、エレが入って来た。エレの顔を見ると、いよいよ覚悟を決める時だという顔で、ノーラはエレに声を掛けた。
「エレ、ラルフに、今のうちにお別れを済ませておきなさい」
突然の発言に、僕にお帰りなさいを言いかけたエレの言葉が止まる。エレは怒ったように顔をこわばらせた後、ノーラの手元にある次元華を見つめた。
「次元華……」
「そ。あなたには説明したでしょ。今日ラルフが帰って来た時に、次元華があるかきちんと見なさいって。必ず持って帰るからって」
と、エレに次元華を向けた。
「彼は、持って帰って来たでしょう?」
何が言いたいのか、僕にも全く理解できなかった。けれど、何かこの花がこれからの未来に大きく影響するものだったらしいと知った。
「エレ、もう一度言うわ。それからラルフもよく聞いて。あなたはゲルゴの家から次元華を持ち帰った。そして彼のためにこれがどこで根付くのかを調べようと考えている。でもね、結論から言うわ。この次元にはその情報はないの。この次元にいる限り、例え別の街に行っても無駄よ。だから、代わりにこれをあげる」
ノーラはさっきまで眺めていた本を、僕に突き出した。僕はその本を受け取り、表紙を眺めた。
「次元、目録?」
「そ。次元目録。この次元では本来絶対手に入らない貴重な本よ。その花が根付いていそうな、可能性のある次元の項目にマーキングしておいたわ。それを持って行って。それで、あなたはゲルゴの家に戻る。まあ、その前にあいさつ回りだけはしておきなさいね。これから私がする話を聞けば、あなたは絶対そうするわ」
ノーラは気だるげに話した。決して僕の顔を見ようとしない。
「あなたはゲルゴに結果を話す。ゲルゴには目録の次元を探索する時間はない。だとしたらあなたはどう決断する?」
「それは……そういうことなのか」
僕はようやく理解できた気がした。けれど、彼女の口からはっきりと聞きたかったから、僕は敢えて辿り着いた答えを口にしなかった。
「そうよね。あなたは自分が探索を買って出る。そして、長い旅が始まるの。長い長い次元世界を巡る旅。だからあなたは」
ノーラは泣き始めたエレを抱きしめて、言った。
「ゲルゴの家に行ったら、もうここへは戻らない。大丈夫、それが、私が見てきた未来につながっているの。ただね」
ようやくノーラが僕を見た。泣きそうな顔をしているのに、『そういうもの』である彼女の目からは涙は流れなかった。
「私たちは、あなたにもう会えないの。あなたはこの次元には戻らないから。私はゲートがあるこの次元からは動けないし、エレはただのお姫様で、他の次元の冒険に耐えられるような能力はないから。だからね、ラルフ。今日で、私たちは、あなたとお別れなの。だからエレ、ちゃんとラルフにお別れを言いなさい。そうしないと、あなたはきっと後悔するから」
ノーラの言葉に、エレは首を振った。
「やっぱり嫌です。だってできるだけ帰るようにするって約束してくれのです。約束を破るのですか? 約束はどうなるのですか?」
「エレ」
とノーラはその名前を呼んだ。
「よく聞いて。次元宇宙は広く、次元は多い。ラルフには必要もなくこの次元に帰ってくる時間はないの。いい、このひとはね」
ノーラは、指折り数えながら話し続けた。
「この二日間だけで行方不明の調査隊を探し、コボルドの群れとオーク部族の戦いを仲裁し。オークの部族の病気の原因を調査し、悪魔を倒して死者を解放し、魂を吸い続ける女の子を癒し、別の次元の貯蔵施設を占拠した連中を倒し、虫にたかられて食い荒らされる次元華を救ってくるようなひとなの。常に何かトラブルを抱えていないと居られない馬鹿なコボルドなの。だから、ここには帰ってこないわ」
ノーラがそこまで言うなら、おそらくはそうなのだろう。確かに、僕ならそうなりそうな気がするし、今ゲルゴと話をしたら、間違いなく次元華の探索に出る自覚がある。だとしたら、僕はきちんとしていかなければいけないのだろう。僕はそう思った。
「まだ実感はないけれど」
と、僕は口を開く。
「ゲルゴの今の状況を見る限り、僕は放っておくことはできない。だからノーラの言うとおりになるんだと思う。アンティスダムという種族の、自分の種族の子供たちの未来のために奮闘しているひとがいるんだ。種族一つの未来は僕には背負えないけど、そのひとを僕は助けたい。だからごめん、エレ、僕は行くよ」
「そうですよね、ラルフ様は聖騎士なのですよね。伯爵様であるよりも」
エレは、頷いた。噛みしめるように、彼女は言った。
「わがままを言ってごめんなさい。どうかお元気で」
「ノーラも、いろいろありがとう。これからは自分でしっかり問題を解決していくよ。君の見てきたものを頼るのではなく」
それから僕は、ノーラに言った。
「そうね。いつまでも私がそばにいると、弊害があるもの。これは仕方ないことで、必然なんだわ。でも私たちを忘れないで。私やエレは、いつまでもあなたのことを忘れないから」
「陛下にはなんて言おう。伯爵の地位も返上しないと」
僕はそれが気がかりだった。この次元に帰らないとするならば、それは責任を放棄することになる。
「大丈夫、もうお父様には最初から全部言ってあるの。いなくなることも全部。昨日お父様があなたを送り出した言葉がすべてよ。エレが代理で立つわ。これからもずっとね」
ノーラは首を振った。用意周到なノーラのことだから先に手は回してあるだろうと思ったから、僕は驚かなかった。
「でも、調査隊の捜索の報告はしないと」
僕が心配になって言うと、エレの顔が、みるみるうちに怒りの表情になった。
「だから、それも伝えてある! 私たちの視界の隅をいつまでもウロチョロするなって言ってるの! 送り出す方の身にもなって! さっさといなくなって! そして戻らないで! お願いだから私たちの決心を試さないでよ!」
僕に次元華を突き返しながら、ノーラはうつむいて言った。
「フォーナに気をつけろって、言われたんでしょう? だからね、あなたのそういうところが、残酷なの」
「ごめん」
僕は謝って、次元華を受け取った。
「私こそごめんね。あなたは間違ってるわけじゃない。でも、分かってほしいの。私もエレももう限界なの。行ってほしくないの。だからこそ、もう行って。今すぐ。私が引きとめる前に」
ノーラの言葉に、僕は頷いて。
「さようなら」
そう告げた。
「さようなら」
エレとノーラは、同時に返してきた。
そして僕は、フェリアとシエルを連れて、王家の別邸を出た。