第四章 次元の海を越えて(1)
それから、皆また眠りについて。
起きた時にはすでにノーラはいなかった。ゲルゴが伝言を預かってくれていた。
「祭で代理に立つエレが心配だから帰る」
という事だった。寝ぼけてとんでもないことを暴露するところだったことについては、覚えていないのか何も言及はなかった。
僕たちはゲルゴに大氷穴の出口まで案内してもらう。大氷穴の出口で、コボルドたちが待っていた。
「ボス、ボガア・ナガアどこだヨ?」
先代ボスに言われて、ラグゥと一緒に大氷穴の外で別れたきりになっていることを思い出した。
「オークの長、レグゥと一緒のはずだよ。オークのところにいるんじゃないかな」
僕は答えた。レグゥがどこかに置き去りにするとも思えなかった。
「で、今日はドコへ行きゃいい」
と言われたので、
「これからオークたちの所へ行くところだ。ついでに正式に、君達へのねぐらへのトイレの設置を頼もう。一緒に来てくれ」
僕はそう頼んだ。コボルドたちはぞろぞろと付いてきた。僕たちはオークの居住地に向かって歩いた。治療の状況を確認したいと言って、ゲルゴもついてきた。
「ボス、俺、昨日久しぶりに雛会えた。ボスのおかげって聞いた」
コボルドの一人に言われた。そうか、ゴブリンたちがいなくなったから、ねぐらに帰れたのか。
「それは良かった。もう君たちの雛や卵を奪う奴らはいない。これからは安心して暮らせるね」
コボルドたちが喜んでいる姿を見ると、今回の冒険は悲しいことや、やるせないことが多かったけれど、悪いことばかりではなかった気がしてくる。
オークの居住地に着くと、相変わらず見張りに長のレグゥ自ら立っていた。
「何か手伝えることはないか見に来たんだけど」
前に言われた通り、居住地には近づきすぎないように足を止めて声をかけると、レグゥは大きな声で笑った。
「みずくせえな、大将。あんたやあんたの連れなら大歓迎だぜ。遠慮せず入ってくれよ」
見張りをほかの奥に任せ、レグゥが降りてくる。
「次元のひずみの撤去やら、治療やら、頼んでくれたんだってな。ゲルゴから聞いたぜ。助かった」
「具合が悪い者を見て見ぬふりは寝覚めが悪いからね。経過はどんな感じ?」
僕が問いかけると、ゲルゴが僕とレグゥの隣にやってきて言った。
「良いようだ。間に合って何よりだ。迷惑をかけて申し訳ないばかりだが」
「良いってことよ。そっちも子供連中を奇病から守る手立てを探すのに必死なんだろ? だったらそう悪く言うつもりもねえよ」
レグゥはそう言ってから、僕を見た。
「なあ、大将。俺ぁこの通り腕っぷしだけの不器用もんだから、ゲルゴの助けにはならねえ。うちだって奇病みたいなもんだった。他人の気がしねえんだ。悪いけどよ、なんとかゲルゴを助けてやってくれねえもんかな」
「そうだね、実はまだゲルゴとはゆっくり話していないから、どんな奇病が問題になっているのか、対策はあるのか、全然知らないんだ。だから僕も気になっている。それに君達オークには害になってしまったけど、次元のひずみだって、本当はゲルゴには必要な物なんじゃないかという疑問が残っている。これで良しとはできないかな」
僕も自分の考えを告げて頷いた。レグゥは顎をさすりながら、
「俺が言うのも野暮だったな。あんたが考えてねえ訳ねえか」
と、笑った。僕たちの会話を聞いて、ゲルゴがギチギチと顎を鳴らした。
「お気持ちは感謝するが、それは忍びない。こちらとしてはお邪魔しているだけでも迷惑をかけている身、これ以上の御厚意はむしろ心苦しいというものだよ」
「僕が思うに、そこは辞退しちゃいけないところではないでしょうか。アンティスダムの未来を担う子供たちのことを一番に考えたら、異次元のものでもなんでも、利用できるものは利用する、協力を得られるものは協力を乞うくらいの姿勢が必要かもしれませんよ。自分の恥とか、謙虚な気持ちとか、確かにそういうものは大事だけど、一番大事なものは子供たちの未来じゃないかと」
僕はできるだけ声を落ち着かせながら答えた。フォーナに言われたことはまだ良く分からないけれど、僕は少し人の言葉に感情的に反論するところがある気がするし、僕が親切と思っていることが、実はただの善意の押し売りになっているのではないかと思ったからだ。僕はできるだけ一歩引いて考える癖をつけるべきではないか、と考えたのだ。
「ふむ」
ゲルゴは少し考えこんだ。それから、小さく頷いた。
「そうだね。君の弁が正しいのだろう。私が最も憂慮すべきは子供たちの未来が閉ざされることに間違いはないのだ。そうだな、まさにその通りなのだ。ありがとう」
「一人で頑張っても限界あるしな。病人の看病しながら薬草は取りにいけねえ。そういうこったろ? 大将」
と、レグゥも笑った。
本当にその通りだと思う。自分ではできないことは他人に頼るしかないのだ。
「ふむ。何か力になってもらった方が良いことがあるかもしれん。少し考えてみよう」
ゲルゴはそう言って、さっそく歩きながら思案に浸り始めた。
「おいよう、歩きながら考え事は危ねえぜ」
レグゥが、あきれ顔で言った。
オークの居住地の中は、明らかに状況が改善しているようだった。動ける者が目に見えて増えていたし、まだ動けずに寝ている者も、すこしだるそうにはしているけれど、休んでいる分には問題なさそうに談笑していた。
ゲルゴはまだ動けない患者の様子を見て回り、看護役のオークに細かく処方を指示していた。
そして、それが終わるとレグゥの案内で長のテントに僕たちは通された。その途中で、レグゥが部族の者に声をかけ、コボルドたちは自分たちが使いやすいトイレを作ってもらうために、職人たちの所へ案内されていった。
テントの中には椅子などはない。地面に草を編んだ敷物が広げられていて、僕たちはその上に直接腰降ろす形になった。
「見立てはどんな感じだ?」
長のテントでどっかと座ると、レグゥがちゃんと長らしく見えてくるから不思議だ。彼はゲルゴに患者たちの容態について質問した。
「かなり良いね。生命力が強い種族であることが幸いしたようだ。すでに動けるようになっている者については最早心配はない。今はまだ寝込んでいる者も、早い者であれば明日、遅い者でも三日もあれば動けるようになるだろう」
それは何よりな話だ。オークたちに大事なくて僕も内心ほっとしていた。
「そうか。そいつは良かった。なら部族のもんに任せときゃ問題はねえな」
レグゥは嬉しそうに頷いた。それから、何度か両手を打ち合わせながら言った。
「んじゃ、次はゲルゴんとこのだな。みずくせえことはなしだ。今の状況を言ってくれや」
「ふむ」
ゲルゴは短く声を上げると、衣服の懐から何かを取り出した。それを皆に見やすいように床に置く。それは花弁や茎、葉までもが水晶のように透き通った、不思議な花だった。
「レグゥ殿はすでに見覚えがあるだろうが、我々は次元華と呼んでいる。オークたちのうちの重病人のために分けたものと同じものだ。我々アンティスダムが次元のひずみの固定化につかう安定化素材でもある。また、我々の奇病の治療薬の原料でもある。実は最近、この次元華の供給が減っているのだ」
「原因は分かっているのですか?」
僕が聞くと、ゲルゴはゆっくりと頷いた。
「貯蔵施設の一つが流れ者の盗賊団に占拠されたと聞いている。我々も取り返したいところなのだが、卵や子供たちの元を長く離れるわけにもいかん。手をこまねいている状況だ」
「なんでえ。あるじゃねえか。俺たち向きの問題ってやつが。当然行くよな? なあ大将」
レグゥは拳を打ち鳴らして、すでにやる気になっていた。
「こんな話を聞いたらやらない訳にはいかないな。どうやって行けばいいんだだろう?」
自分で気が付いていなかったけれど。やる気になっているのは僕もだった。人のことは言えなかった。
「貯蔵施設は別次元にある。前までは私が送ろう。帰りについては、ふむ」
そう言ってから、ゲルゴは考え込んだ。
「失礼ながら帰りの心配は不要です」
と、ムイムが口を挟む。
「一度行ってしまえば問題ありません。私が皆さまをこの次元に連れ帰りましょう」
「であれば、レグゥの準備が済み次第、すぐに行こう」
僕は皆の顔を眺めまわして言った。
「俺なら準備はいつでもできてるぜ」
脇にあった大剣を肩に担ぎ上げ、レグゥがにやりと笑った。