第三章 黒い涙、そして、小さな魂(7)
「ありがとう。助かった」
そう、声をかけると。
背負い袋の上にあった魂が、またクルクルと僕の周りを回った。
(危なっかしかったけど、まあ、及第点)
「採点が辛いな。危なっかしかったのは事実だけど」
僕は苦笑いしながら、はしゃいで喋っているフェリアとシエルを眺めた。
「あれがシエルだよ。インディターミネート・レジェンダリー。知っているかな?」
(知ってたかもしれないけれど、ちょっと分からないかな。それに、よく見えないの)
記憶があやふやなのか、本当に知らないのか。どちらにせよ、彼女にとって、シエルがなんであろうとシエルなのだと分かる言葉が、僕は少しうれしかった。
(少し動かないでね)
そう言うと、魂はもう一回僕の背負い袋に飛び込んだ。それからすぐに出てくると。その姿はぼんやりと光る小さな人型に変わっていた。光でできたフェアリーの姿をしていて、淡い水色の光の粒をキラキラと散らしていた。
(これで少しは見えるようになったわ。なるほどね、シエルはあんなにきれいな生き物なのね。流石はあの子も私の自慢の娘だわ。で、あの子たちが幸せそうでなによりだけど)
気になることがあるようだった。
(なんでフェリア布切れ一枚なの?)
「店がなくて、フェアリーの服が手に入らないんだ。」
僕が弁解すると、
(それは……仕方がないわね。ちゃんと買ってあげてよ)
フェアリーの魂が少し不満そうに言った。
「うん、約束するよ。僕だって落ち着かないんだ。手芸も覚えるべきかもしれない」
僕は頷いた。
「ところで、今のうちに聞いておきたいんだけど。君の砂はどう弔うのが良いのかな? って君自身に聞くのもおかしいんだけど」
(カレドサーグは分かる?)
と言われた。
確か、漁村だ。セレサルから街道を西に行った港町ポートクレイズに出て、さらに北に海外沿いの道を北上した場所にある。
「知っているよ」
(そこの小さな神殿にたぶん私を知ってる神官がいるはずなの。いたら渡してくれる?)
彼女はそういうけれど。
「一八年前の話だよね? いなかったどうしよう」
僕はそれが気がかりだった。
(そうね……そうね。今更よね。やっぱりフェアリー流にお願いするわ)
そう言って、説明してくれた。
(フェアリーは死ぬと砂になって、風に流れて自然に帰るの。だから、どこか見晴らしのいい場所で、風に流してくれる?)
「分かった。フェリアやシエルと一緒に、必ず風に流すよ」
僕はそう答えて、ゆっくり息を吐いた。
その時が来ていることは分かっている。けれど、僕たちはお互いに切り出せないでいた。
でも、そこはさすがに人生経験の差が出た。
(そろそろ行くわ。あの子たちに見つかりたくはないし。長居しすぎた気がするしね)
彼女のほうから、ついに切り出した。僕は仕方がないことなのだと、自分に言い聞かせた。
「そうか。いろいろありがとう。言われたことはきちんと考えてみるよ。まだまだ時間が必要だけど」
(そう。頑張ってね)
彼女の言葉に頷いて見せる。彼女はもう一度僕の周りを一周した。
(それじゃあ、行くわ。あの子たちを、よろしくね)
「うん。君の魂が、安らぎの中にありますように」
お祈りの言葉を僕が口にすると、
(ありがとう)
とだけ、彼女は答えた。
(さようなら、坊や)
「さようなら」
フェアリーの魂は、またただの光の玉に戻って、薄れて消えて行った。
彼女が消えると、僕はフェリアとシエルの所へ向かった。
「シエル、フェリア。その辺にしよう。いつまでもノーラにポータルを維持させるのも悪いし、戻ろうか」
「そうですね」
フェリアが頷いて。
「じゃあ、あっちで待ってる」
シエルがそう言って手を振った。
そして、僕たちはポータルをくぐり、マテリアル界に戻った。そして、マテリアル界に戻るなり、
「遅いわバカタレ!」
とノーラに怒られた。
「こっちは苦労してポータル制御しながらあなたたちの体を再現してるんだからね。少しはこっちの身にもなってくださーい」
「ごめん」
ふくれっ面のノーラに僕は謝る以外なかった。彼女のいう事はまさに正論で、僕は彼女がサポートしてくれていることをすっかり忘れていた。
「次やったら許さんぞ、さすがの私も」
と、一応ノーラは許してくれた。
それから、聞かれるだろうと覚悟していた質問が、シエルの口から発されるのを聞いた。
「先生、質問があるの。結局、フェリア以外の、もう一つの魂はどうなった?」
「僕が君から引っ張り出したことで解放されたよ。今頃は無事に冥府で眠りにつけていると思いたいな」
僕はそう言った。しばらくあの場にとどまっていたことは秘密にしておこうと思った。
「あれはたぶん母の魂だったんですよね?」
フェリアの言葉に、
「私もそう思った。というか、それ以外、ない」
シエルも同意した。
「そうだね。僕が引っ張り出したとたん、一度僕の荷物に飛び込んでから解放されて行ったし、間違いないと思う」
僕も頷いた。話したし、絶対間違いない、とは口が裂けても言えない。
「あの、母に昔聞いたんですけど、聖騎士って、神殿の方なんですよね? その、ちんこん? のお祈りの言葉、教えてもらえませんか?」
一瞬何のことか分からなかったけれど、鎮魂のことか、と気が付く。僕は言った。
「それは君のお母さんの砂を弔う時にしよう」
布切れ一枚の実の娘に声を掛けられたら、心配で飛んで戻ってきそうだから、と心の中で付け加える。
「それで、ネビロスはどうだったの?」
と、ノーラに聞かれた。
「偽物だった。倒したよ」
そのあと本物に会った、というのは言うべきか。迷ってから、言うことにした。
「正確には、僕が倒そうとしたところを、本物のネビロスに踏みつぶされた。本物のネビロスから得体の知れない指輪を押し付けられたんだけど、正直どうしようか扱いに困っているんだ。見る?」
「見ない。そんなもん出さないで」
ノーラに拒否された。相当問題があるシロモノなのかもしれない。僕は本当にどうしようもない時以外は絶対に使わないと心に誓った。
「それで、おかしなことを言われたんだよな。共に戦う日を楽しみにしているって。悪魔と聖騎士が肩を並べて戦うってどんな状況か、全く想像がつかないよ」
「どうかしらね。未来はどうなるか分からないものよ」
ノーラが言った。彼女がそういう言い方をするということは、きっとそういう時が来るということなのだろう。僕には想像がつかないけれど、何があっても良いように、心構えだけはしておこうと思った。
「結局リーベラはいたんですか?」
フェリアに聞かれた。
「いたよ。可哀想に、おそらく洗脳か精神汚染されていたんだと思う。死ぬ直前になってはじめて正常な思考を取り戻した様子だった。それでも死ぬ直前には、自分の罪を理解できていた様子だったよ。彼女は冥府で贖罪の時間を過ごすんじゃないかな」
僕はそう答えて、ほとんどのことが解決したことを、皆に伝えた。
あとはオークたちが無事に治療されたのを確認して、もう一度ゴブリンの村がどうなったかを確認すれば終わりと言っていいだろう。ただ、ゲルゴにも話を聞いてみたほうがいいかもしれない。ゲルゴが何故次元のひずみを設置していたのかとか、何もまだ分かっていない。けれどそれは直接聞けばいいだけで、難しい話ではないはずだ。
「そういえば、ゲルゴは戻っているのかな」
僕がその名前を口にすると。
「呼んだかな?」
と、彼が顔を出した。丁度いいので、彼のほうの状況を聞いてみる。
「次元のひずみの撤去はどんな状況ですか?」
「済んだよ。安定化物質もオークの居住地に渡して、処方もしてある。数日もすればよくなるだろう」
「それは何よりです。ありがとうございます」
僕はお礼を言った。
そういえば今何時ごろなのだろう。大氷穴の中にあるゲルゴの家では夜空も日の光も見えないため、時間の感覚がなくなっているのを感じた。
「今は夜中を少し過ぎたくらいね」
ノーラに言われ、
「まずは寝ようか」
僕はそう提案した。
ノーラとフェリアがあくびで返事をした。