第一章 聖騎士見習いとして(5)
翌日から、僕の訓練生活が始まった。
まだ僕用の木剣が用意できるまでには日数がかかるということで、まずは教養と知識を身に着ける勉強と、基礎体力作りの運動が中心の訓練を始めることになった。勉強を含めた訓練は専属の先生がすべて面倒を見てくれている。先生は見習いごとに一人ずつ専属でついているらしく、他の見習いと共同で学ぶことはなかった。
僕の場合、聖騎士レンスが先生としてついてくれている。聖騎士レンスの授業は、厳しいけれど、丁寧にいろいろなことを解説してくれるものだった。特に僕の場合、文化や芸術、社会常識、一般生活で必要となる料理などの技能の習得といった、僕一人では学びにくい内容を重点的に学ばせてくれた。本だけでは理解しにくいうえ、いきなり街へ出て実践、というわけにはいかないから、とてもありがたかった。
数日して僕にも扱えるサイズの木剣も届き、剣の訓練も始めた。聖騎士レンスとの戦闘訓練はまったく歯が立たないのにとても楽しかった。厳しくないわけではなく、むしろかなりハードな訓練だった。それでも、一人では絶対に分からない、僕が今抱えている問題点、それを克服するための訓練内容、そのために日々繰り返すべき鍛錬の内容がカリキュラムとして分かるということはとてもやりがいが感じられた。
戦闘に関しては、基礎体力の強化と、打ち込みの軽さを改善するための筋力増強を重点目標とされ、基礎トレーニングを中心に繰り返すことになった。
訓練は学習と戦闘訓練が半々で、六日連続で行い、その後一日の休息日、というスケジュールで進んだ。
訓練のために大聖堂内を移動している際、はじめの数日は神官たちから奇異の目で見られることもあったけれど、しばらくもするとみな見慣れた日常といった反応になり、廊下などで出会うと普通に挨拶を交わすようになった。
穏やかに、日数が過ぎていく。僕が大聖堂内にいることに神官たちが慣れるに従い、だれもが、僕がコボルドだということはたいした違いではないような様子で接してくれた。
ただ、不思議なことに、初日にセラフィーナと会って以来、他の見習いと顔を合わせることがなかった。
一度、聖騎士レンスに他の見習いとは会えないのかと聞いてみたけれど、セラフィーナ以外の二人はもっと高等な訓練を行っているからしばらくは会う機会はないだろう、と言われた。
セラフィーナとも顔を合わせていない。聖騎士レンスの話では、彼女は彼女で、猛特訓を繰り返していて、他人との交流が極端に減っているようだとのことだった。考えるまでもなく、僕との勝負が原因だろう。
それから、友達のアルフレッドを忘れてはいけない。彼は自分の勉強も忙しい中で、こまめに様子を見に来てくれる。大聖堂内で僕の存在が溶け込めている一番の理由は、彼の協力があったからだということは疑いようもなかった。
人当たりが良い彼は、大聖堂内の神官たちにも受けが良いようで、彼を通じて神官たちと立ち話を何度も繰り返すうちに、僕は、価値観を彼らと共有できる仲間であることを認めてもらえたというのがありがたかった。
アルフレッドの存在がなければ、お互いに僕がコボルドであるというわだかまりが解けないまま、お互いの距離は埋まらなかったのではないかと思う。
大聖堂内にはアルフレッドのほかに、二十人の神官見習いがいるとのことで、アルフレッドを通じて、僕は彼らのうちの何人かとも知り合うことができた。
コーレン司祭から、大聖堂の生活はどうかという質問をうけたときに、アルフレッドがとてもよくしてくれること、彼のおかげで大聖堂の中で孤立しなくてすんでいる実感があることを僕は話した。それを聞いてコーレン司祭も嬉しそうだった。
そんな日々の中、ついに、この日が来た。
大袈裟に感じるかもしれないけれど、僕にとってはある意味人生が変わる日になる気がしている。
外出が許された。
つまり、街に出ることができる日が来たということだ。モンスターである僕にとって、街に出るということは簡単なことではない。
まず、社会常識をわきまえ、法を守ること、悪漢などに襲われた際に、自分の身を自分で守れること、物の正当な相場をある程度覚え、無法な値切りを行わず、法外な支払いの被害も避けられること、それらが可能であることをカレヴォス教団が責任をもって保証できることを街の役場に申請し、役場発行の通行証と教団発行の身分証代わりの聖印がそろってはじめて、僕の安全が保証されるからだ。
当然僕は街の人を襲い、金品を奪うつもりはこれっぽっちもないけれど、それと同時に、街の人たちから僕の身を守る必要があった。それはそうだ、いきなりモンスターのコボルドが徘徊したら、間違いなく退治される。話など聞いてもらえるわけもない。そんなことにならないように、僕が外出できるようになるまでに、ずいぶん時間がかかったわけだ。
というわけで、僕はこれから街に出る。
社会勉強も兼ねているため、いくつかの店に寄り、食糧や備品の注文や支払いをしてくるという用事も頼まれていた。
「行ってきます」
大聖堂を出るのに、コーレン司祭、聖騎士レンス、仲良くなった神官や見習いたち、大聖堂内で料理場や掃除などを受け持っている職員たちが総出で見送りに出てきた。なんだろう、大冒険にでも旅立ちそうなこの心配そうな見送りは。
ともかく、大聖堂に来た日、馬車の窓越しに見た街並みの中を、自分の足で歩いている実感は感慨深かった。大聖堂を出てから首から下げた通行証が迷子札のような気もしないでもなかったけれど、そこは気にしないようにしよう。
とりあえず、まずは住宅地区を抜け、商業地区へ行く必要がある。自分で自由に使えるお小遣いが入った自前のコイン袋のほかに、教団指定のシンボル入りの袋を下げていて、これが正直とても重い。重量が重いわけでなくて、精神的に重かった。
自分のコイン袋には、金貨はほんの一枚しか入っておらず、あとは銅貨や銀貨が詰まっている程度だけれど、教団のほうの袋は初めて実物を見た白金貨が入っている。
銅貨百枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚、金貨百枚で白金貨一枚。白金貨十枚が入っているから……駄目だ、気が重くなるから計算するのをやめよう。
とにかく支払いものを先に済ませてしまおう、と決めていた。こんな大金をなくしましたとかいったことになったら、怖くて帰れない(後から知ったことだけれど、ちゃんと問題が起きた際に助けてくれる役の人が遠巻きについてきていたから、そこまで怯えなくても大丈夫だったのだけれど。よく考えてみれば当然だった)。
街並みからはいつの間にか春は過ぎ去っていて、初夏の景色になっていた。雨を呼んでいるような、少し湿った風が通りを吹き抜けていく。
思ったより住宅街の人の反応は普通だった。
チラチラ見てくる人はいたけれど、そのくらいだ。と思っていたら、近くの家のご婦人が声をかけてきた。恰幅の良い女性だった。
「ラルフ君おつかい?」
そう言われて、目をぱちくりさせてしまった。何故街の人が僕の名前を知っているのだろう。
「あれまあ、驚かせちゃった? 大聖堂の子でしょ? この辺にはお祈りに行ってる人が多いから、ほとんどの人は君のこと知ってるって、ひょっとして君自身気づいてない?」
「あ」
言われて初めて気が付いた。
確かに礼拝などでは、いつも僕も列席している。考えてみれば街の人が僕のことを目にする機会はいくらでもあったはずだし、モンスターがいれば目につくのは当たり前だ。
「こんにちは。変な反応してすみません。今日はやっと外出許可が出たので、市場地区に寄りながら、交易地区まで行ってきます」
「やだ、うちの子よりよっぽど品があるじゃない。本当にコボルドなの? 呪いで姿変えられてるとかない? そういうのなら、交易地区の南西区域にある魔法店……ああ、呪いなら教団で解けるっけね。本物なんだねえ。世の中捨てたもんじゃないねえ」
「ありがとうございます。正真正銘のコボルドなので、解呪では人間にならないです。毒もないですし、危険がない、ただのひょろひょろの蜥蜴だと思ってもらえればありがたいです」
冗談めかして僕が笑うと、ご婦人も笑った。
「そんなそんな。未来の聖騎士様に対して恐れ多いよ。ってか、ラルフ君、通行証は首から下げなくて大丈夫よ。逆に盗まれるといけないからさ、ちゃんとしまっときなさい。手さげ袋か背負い袋はある? なければあげようか?」
「大丈夫です。教団で支給いただいたものがあります。勝手がわからなくて、見えるところに下げておいたほうがいいのかと思っていました。ありがとうございます」
背負い袋を見せながら言い、僕は通行証をしまった。ご婦人はひとこと、
「気を付けていくんだよ」
と言って家の中に入って行った。