第四章 コボルドの自覚(6)
ダーティー・チャンク達が占拠している部屋を出て、自室に戻るつもりで階段を上がった私の足は、自然に、ティフェリが研究室に使っているホールの階段の方でなく、その隣と空いたホールの方へと向いていた。
つまりそこは、ライベルが自室としていたホールだった。壁に掛けられた蝋燭には火が灯り、天井から吊るされたシャンデリアの蝋燭も、明るく燃えている。しかし私には、そのホールがひどく寒々しく見えた。
「私は、君に本心を伝えるべきではなかったのかもしれないな」
独り言ちながら、私は無限バッグに繋がるポータルを開き、そこからキースに貰った結晶をすべて取り出した。
結晶の輝きは変わっていない。未だライベルを支配した効果は有効なのだろうか。それを確かめる術は私にはなかった。
「もしまだ君を支配したままだとしたら、これは呪いだ」
私にはそう思えた。キースがいれば正しい解放の方法が聞けたのだが、彼等の部屋にいなかったのが悔やまれる。アラニスなら知っているだろうか。
《砕いてやりな》
アラニスの感知は広く、的確だ。私の欲しい答えを、今回もくれた。
《ありがとう》
答えて、私は荷物の中から剣を取り出した。錬金剣が入っている訳ではないから、聖神鋼の剣の方だ。それを抜き、私は結晶をひとつひとつ砕いた。
「短い間だったが、君といられて私は幸せだったよ。君もそうであったとしたら良かったのだが。ありがとう、ライベルフィルナ……さらばだ」
そして、最後の一個の結晶を砕いた。粉々になった結晶は輝きを失い、自然に崩れていった。ほとんどはまるで塵のように消え失せ、ただ、ひとつだけ、珠のような結晶が残った。まるで脈動するように明滅する淡い光が見えた気がしたが、気のせいだったのか、拾い上げてまじまじと見ると、光はなかった。
何故か私にはそれを砕く気にはなれず、ポータルの中にそのまま納めておくことにした。
精神鋼の剣もポータルの中に戻すと、私はホールの中の階段を登り、自室へと戻った。
自室の前に、フォーレがいた。私が戻るのを待ってくれていたようだ。ゲリエルとしてのメイクはしておらず、しかし、髪の色も脱色した白ではなかった。逆に、衣装は白を基調とした、清潔感を感じるものだった。純白に、流れるような薄い茶色の髪が良く映えているように見えた。
「どーかな?」
だが、ゲリエルとして活動していた歳月が消え失せる訳でもない。口調は依然、壊れたままだった。
廊下で答えるのも無粋だと思い、私はフォーレを再び自室の中に招いたが、
「皆会議室に集まってるから、呼びに来ただけ。もー一度会議するって」
と言って、フォーレは部屋には入らなかった。神々が待っているのでは行かなくては。私も自室には入らず、そのまま踵を返すことにした。
「あたしが善神なんて柄じゃーないのは自分がいちばん分かってるけど……頑張ってみる」
階段を降りながら、フォーレに言われ、彼女の不安げな視線を感じた私は、こそばゆい思いをしながら、返した。
「そうか。君がそう決めたのなら、私から何も言うことはない。ただ言わせてもらうと、君は白の方が似合うな。髪は、もともとの色なのか? 綺麗な色だ」
「そーかな? ありがと」
フォーレははにかんで笑い、しかし、すぐに笑顔を消した。足早になり、階段を降りていく。私も神々をあまり待たせぬように、彼女を追って歩く速度を速めた。
会議室には、確かに神々が一同に集まっていた。トリックスターの姿がある。議論にすらなかった時と違うのは、ライベルが座っていた席が空席になっていることだった。私はその席に、視線を向けないように、隣の椅子に腰をおろした。
そして、もうひとつ違う点がある。今回は、フォーレは悪神側ではなく、善神側に席を定めた。彼女の着席を見届けると、カーニムが口を開いた。
「ひとまず、私から現状を共有しよう。グレーシェイドは一旦ラヴェラ、ガラニーグ、エレグフィンの三柱による三重の隔絶処置が行われた。これにはキース殿の協力による亜空間切断も含まれる。ひとまず、狭間の世界経由での侵攻も食い止められる公算だ」
そこで言葉を切り、神々一同を見回す。皆黙して先を促した。
「次に、空席だった一柱が埋まったことをここに宣言する。愛情と婚姻の女神、フォーレンセティーアだ。これにより双子神ゲリエルは存在が消滅することになったが、そちらの扱いについては、ラヴェラ神から、悪神側としての発表を願いたい。お願いできるかな」
カーニムに善神として紹介されたフォーレがぎこちなく笑う。他の一三柱からは、悪神達からでさえ、やっとか、という表情が読み取れた。皆、認めているという意味に取って良いのだろう。
「うむ。背徳と色欲の女神は、フォーレンセティーアが愛情と婚姻の女神となったことで、双子神ゲリエルとしては消滅することになる。が、姉のサーレスローアがまだ健在である以上、勝手に席を取り上げるという訳にもいかぬ。故に、当面は、引き続きサーレスローアを背徳と色欲の女神として扱いたい。さりとて奴は我等を裏切った輩だ。捕え次第、我等一四柱による審判を行うことを提起する。いかがか?」
ラヴェラの言葉に、異議はなかった。以前の騒ぎは何だったのかという程の、落ち着いたな会議だった。そして、一五柱の席についての取り決めの合意が成されたあと、ケセレンシルが口を開いた。
「今回の次元宇宙の危機に対し、私達に変わり、各次元の生物の世においての問題を鎮め、勇士を集める代理人を、私達一五柱の名において選出する必要があるわ。ただし、裏切り者であるサーレスローアには決定権がないものと考え、認めたものとみなしましょう。いかがかしら?」
これにも異論は出なかった。
それを確認し、今回は、感情を押し殺してはいない目で、私の方を凝視した。それは憎しみでなく、感謝すら込められた肯定の視線だった。
「各々の推薦は必要ないでしょう。聖騎士レイダーク、立ちなさい」
そう言って、彼女は頷いた。
勿論私にも異存はない。言われるままに、立ち上がった。
「他に、候補者に心当たりがあるひとは、いないわよね?」
また、ケセレンシルは問いかけた。
「私も彼を推そう」
と、カーニム。
「無論、私もだよ」
カレヴォスは、最初からそう言ってくれると私も確信していた。
ゼレンは無言で頷き、それを見て、アラステール、オーヴェ、レグサント、アーガレーリの中庸の四柱もほぼ同時頷いた。少し遅れて、ケリエスは言葉で態度を示した。
「彼であれば私も適任だと思う」
「異論はない」
と、ラヴェラも言った。ただ、様子を窺うような顔をするのは、相変わらずだった。悪神が、演技が下手というのは、箔の面で困らないのだろうか。
「面白くないが、仕様がねえな」
本気で面白くなさそうに、ノセルが告げる。ただその視線は私を見ていない。目を合わせるのも癪だという態度だった。
ガラニーグとエレグフィンは無言だった。頷きもしなかったが、異論はないという態度だった。
そして、最後に、フォーレンセティーアが口を開いた。
「あたしも、それがいーと思う。でも……一個、条件、つけていーかな?」
神々の視線が彼女に集まった。疑問一色の目だった。その視線が集中しているのにも物おじせず、彼女は言ってのけた。
「あたし、今日まで悪神のつもりでいたからねー、善とか何して良いかよく分かんないの。だからねー、しばらく、あたしも、一緒にひとの世に降りたい。で、ラルフさんから、ひとの為に何かをすること? ってゆーのを、教えてもらってきて、いーかな?」
「君に善行を学ぶ機会が必要であることは、私達も全面的に同意だが、ラルフ君に同行して学ぶことを許可するかどうかは、ラルフ君が決めるべき問題だ。今私達が聞いて良い話でもない。あとで、二人でよく話し合ってみると良いだろう。今はひとまず会議を続けさせてもらいたい」
カーニムが答え、カレヴォス、ケセレンシル、ゼレンも同意した。フォーレは今すぐ聞きたそうな顔はしたが、
「んー、分かった」
と、大人しく引き下がった。
それを見て、今度は、平和と和合の女神、アーガレーリが話を始める。現状危険と去れている次元についてだった。
「現在特に危険とされているのは風界エンディアと、水界グリーヴン……」
そして、その発言が終わらないうちに。
「会議中申し訳ありません!」
唐突に会議室の扉が開き、小さな白い姿が飛び込んできた。マリオネッツであることはすぐに分かったが、傍で止まるまで、それがイマだということが、私にもはっきり識別できなかった。
「ラルフ様、ご来訪の方が、今すぐ伝えたいことがあるとのことです! 何やらひどく深刻なご様子です! 二階のホールまでお急ぎください!」
ただ事ではなさそうだ。丁度立ったままだったこともあり、
「失礼します」
私は神々に一言詫び、中座することにした。
「行ってやりなさい」
答えたのは、カレヴォスだった。