第一章 サレスタス盆地の探索(5)
ゴブリンたちの所に着いた僕は驚愕した。
家がある。畑もある。牛や豚といった家畜もいる。井戸があり、荷車があり。村の外から見える範囲だけでも、パン屋、雑貨商、八百屋などの商店の看板も見える。けれど、道を歩いているのは、間違いなく本で見た挿絵通りのゴブリンだ。
薄い黄土色っぽい肌、とがった耳、角ばった顔。背の高さは僕と同じくらいか少し高いくらいで、本と違うのは、皆清潔そうで、しっかり洗濯されたふわふわの服を着て、品質がしっかりしたブーツを履いていることだった。
レグゥや僕が村に入っても、ゴブリンたちは気にしていないようだった。住民に声を掛けられることもなく、レグゥに先導されて、村で一番立派な家までやって来た。二階建ての大きな屋敷だった。
ノックもせずにレグゥはドアを開け、
「邪魔するぜ」
と勝手に入って行ってしまった。家の住民の許可も取っていないことに少し僕は躊躇したけれど、玄関の前で建っているわけにいかないので、レグゥのあとを追った。
「レグゥ、ノックぐらいしなさい。何回言ったら分かるの」
レグゥに追いつくと、レグゥは玄関入ってすぐの広間で女性に叱られていた。身長はレグゥより少し低いくらい、金髪の長い髪と、きれいな青い目をした女性で、肌が白く、耳がとがっていた。ゴブリンではなく、エルフだ。
「すみません、失礼します」
そう言いながら僕がレグゥのそばに行くと、
「あら、お客様もいたの」
と言ってから、女性は短く驚きの声を上げた。
「まあ、コボルド!」
そして女性は僕の前にかがみこんできてまじまじと僕を見た。
「駄目でしょう、鎧なんてどこから盗んできたの。まあ、相変わらず手癖が悪い子たちなんだから。コボルドの習性なのは分かるけれど、どろぼうはいけないことなのですよ」
「失礼ですが、ご婦人。僕はカレヴォス神に誓って盗賊ではありません。僕の装備一式は間違いなく僕のものです。コボルドなのは確かですが、窃盗がいけないことの分別はあります。ご心配なく」
女性の言葉を、できるだけ丁寧に僕は訂正した。随分前に山賊の装備を漁ったことはあったけれど、探索中のことは大目に見てもらいたい。
「まあ、ごめんなさい。あなた私たちの言葉が分かるのですか。なんてお利口さんなのでしょう」
マイペースな人だ。僕の言葉に、今度は興味深そうに、
「どこで覚えたの? 難しくはなかった? いつもは何をしているの?」
などととりとめのない質問をしてくる。その独特の空気に僕が閉口していると、横からレグゥが口を挟んだ。
「あー、リーベラ。その辺にしとけ。不敬罪でぶち込まれねえうちにな」
大きなため息をついている。先ほどの会話からもして、顔見知りなのだろう。
「このコボルド様がまだ誰だか分からねえのか。レイダーク卿の噂は、あんたも俺と一緒に行商から聞いたはずだぜ」
「レイダーク卿!」
エルフの女性が口元を抑えて叫んだ。それからもう一度僕を見て、深々と頭を下げた。
「すみません。ごめんなさい。申し訳ございません。大変申し訳ございません。誠に申し訳ございません」
「いえいえ、お気になさらず」
どこまでも止まりそうにない謝罪を、僕は少し大きな声を出して遮った。そしてエルフの女性が静かになると、こちらも一礼してみせた。
「こちらこそ挨拶が遅れ、失礼いたしました。僕はカレヴォス教団の聖騎士、ラルフ・P・H・レイダークと申します。以後、お見知りおきを」
「ありがとうございます。私は、この村の村長を務めている、リーベラ・ダールガートと申します。本日はどのような御用でしょうか」
エルフの女性、リーベラが名乗り、ようやく僕は本題を切り出すことができた。
「要件は二つありまして、まずひとつめは、先日からこの地にお邪魔させていただいている王国の調査隊が、現在消息不明となっているのです。目撃情報などから総合すると大氷穴と呼ばれる洞窟に滑落したものと予想されており、捜索にお力を借りたいのです。またふたつめですが、レグゥのオークの居住地に奇病が流行していまして、その原因が大氷穴内に人為的に固定された次元のひずみであると考えています。これを除去するためにも、大氷穴内の探索が必要で、同様にお力を借りたいのです」
「それは、大変な事態ですね。喜んでご協力させていただきます。具体的には、何をすればよろしいでしょうか」
リーベラは僕の言葉に深刻な事態を読み取ってくれたのか、すぐに協力を快諾してくれた。そして、彼女の言葉を聞いて、頼みごとの詳細は、レグゥが代わりに話してくれた。
「大氷穴の地図が欲しい。確か測量してたよな。あとは、地図が読めるやつを貸してくれると助かる。探索自体はコボルド連中がやってくれる手筈になってるが、とにかく、中央で状況を整理して正確な分析ができる頭がいる。何人か見繕ってくれねえか」
「分かりました。大至急招集しましょう。コボルドさんたちが捜索するとなると、竜の言語が分かる者もいたほうが良いでしょうか」
口元に手を当て、考え込むようなしぐさをしながらリーベラが独り言のように言う。学者肌のひとなのかもしれない、と僕は感じた。
「そうですね。いていただけると助かります。あと、不測の事態に備えて、手当てができる方も何人か」
僕が思いつくままを言うと、リーベラもこくんと頷いて同意した。
「確かに。搬送が必要な者が出た場合に備えて、腕力に長けた者も呼びましょう。それと、大氷穴は複雑で広いですから、捜索に時間がかかるかもしれません。後追いで炊き出し班も都合しましょう。休憩用のテントと簡易寝具もなども。飲食と休憩場所の用意は体力勝負の際には必須です。特に氷穴のような低温度の中で長時間活動するなら、温かい食事や飲み物、暖かい休憩場所は必ずいります」
「そこまでの人員が出せますか? 村総出になりそうですが」
懸念を僕が口にすると、リーベラはにこやかな笑顔を浮かべた。
「村総出でいけない理由もありません。ゴブリンたちに協力を募ったら、どのみち、ほとんどの者が志願してきますし、心配は無用です。ですが」
と、僕の顔をまじまじと見降ろして、リーベラはすこしだけ目を細めた。
「お気遣いありがとうございます。一五分ほどいただけますか。先発隊を編成いたします」
「ありがとう。よろしく頼みます」
僕はそう言ってから、一つだけ追加でお願いした。
「あと、ひとまず僕にも先に大氷穴の地図をいただけますか? 次元のひずみのだいたいの場所と、効率的な行方不明者の捜索方針を考えておきたいのですが」
「そうですね。持ってこさせます。それまでお待ちください」
そう言ってリーベラは家を出て行った。その後を追って、
「俺もすこし手伝ってくらあ」
と、レグゥも出て行った。
とりあえず待ちの時間ができたので、僕はムイムに相談を始めることにした。
「ムイム。少しいいかな。気になることがあるんだ」
「何なりと、ボス」
ムイムはすぐに答えた。何となく僕が言いたいことが分かっているように見えるのは気のせいだろうか。たぶん彼も気が付いているのだろうと、憶測ながら感じた。
「少し気になることがある。この村を一回り見てきてくれないかな。できれば村の周囲も」
「承知しました。といっても、何を見てくればよろしいので?」
ムイムは疑問を口にした。僕の真意を測りかねているようだ。
「労働力の問題だ。村の場所に反して発展しすぎている。コボルドが奴隷として使われているかもしれない。見てきてくれないか」
「なるほど」
ムイムがうなずく。
僕が気になったのは、そもそも群れのボスごとコボルドたちがねぐらから出てきて白昼に野外を歩き回っていることだった。彼らはねぐらから出てきているのでなくて、帰れない事情があるのではないだろうか。それにボスはオークとは争っていると言ったが、ゴブリンと争っているとは言わなかった。とすればゴブリンとの間には、今は争わなくていい理由があるのではないか、と僕は考えた。もしくは争えない理由が。
「嫌な予感がするんだ」
ムイムに僕が告げると、ムイムはもう一度うなずいて、静かに空気に溶けるようにワープしていった。