第六章 レダジオスグルムとの再戦(5)
しばらく歩いてから、僕はふと気になった。
「このペースで追いつけるだろうか?」
火炎竜の気配はまだ感じられない。走って追いかけることはしなかった。洞窟が複雑に入り組んでいて、道を間違える懸念の方が大きいからだ。フォロムが言うには、
「奴が空からレダジオスグルムとやらの巣に向かったのであれば、今頃ウンザー山塊の厳しくもめまぐるしく変わる天候と、上空に吹く気まぐれな突風の洗礼にあっている筈だ。行き着く場所は皆同じだ。ウンザー山塊の下、二度と戻れないとまで表現される程には入り組んだ、ウムの百穴の一番深い場所に落ちる。俺もそこへ向かっている。十分追いつく筈だ」
とのことらしい。土地勘がある者の経験に裏打ちされた知識という奴だ。
「僕達が迷う心配は?」
念の為、プリックに聞いてみる。本気で心配はしていない。
「ん? おいらはそんな場所に先導するつもりないけど」
しかし、プリックはそう言って首を振るばかりだった。
「ウムの百穴だっけ? 行っても無駄だと思うよ、おいら。竜の飛翔能力を過小評価しない方が良いと思うな」
「そうかな?」
プリックの言葉を、現地を知らない者の推論と聞き流すこともできた。けれど、聞いてみる分には損はない。プリックの懸念も考慮したうえで進路を決める方が安全だと僕は感じた。
「かなりの突風が吹いていると、フォロムには聞いたけれど」
「竜の背中に乗ったことないのか?」
逆にプリックに聞かれた。
ライベルの背に乗ったことがある。その時のことを思い出してみて、僕は短く、
「あっ」
と、声を上げた。
そうだ。すっかり忘れていた。竜の周囲には無風の空間が出来ていた。ならばどれ程の強風や突風が吹こうとも関係ない。それを裂いて飛ぶはずだ。火炎竜にとって、山の荒れた風は障害にはなり得ない。
「竜は風を割いて飛ぶ術を知っている。もしくは生体構造がそうなるようにできているのだろう。火炎竜は風に翻弄されたりはしない筈だ」
ようやく思い出した僕は、フォロムにそのことを告げた。つまり僕達が向かうべきは。
「僕達もレダジオスグルムが潜むラサンデル山に直接向かうべきだ」
「それは知らなかった。そうなると、巨人の抜け穴の中でも最も危険ではあるが、溶岩流の洞窟に出る必要があるな。そこまで行ければ俺が先導できる。出る道は分かりそうか?」
フォロムが尋ねてくる。
「大丈夫、そのルートを進んでるから」
と、プリックは大きく頷いた。思ったところで頼りになる。彼は、それから、僕に向かって確認の言葉を口にした。
「その溶岩流の洞窟に出るってことで良いかな?」
僕の答えは決まっていた。
「勿論だ。それで良い」
頷く。元より巨人の抜け道を進もうと考えていたのだ。今更引き返したりはしない。僕の言葉に、フォロムは満足そうに頷いた。
「そうか。我等氷山翔人は冷気や熱気に耐性がある分、お前のコンディションに気付きにくい。溶岩の上を飛ぶのが難しいと思ったら言ってくれ。とは言え、溶岩流の地下道では、地面を歩くよりは飛んだ方がまだ安全だ。溶岩鰐や赤熱亀に食われたくなければな」
「分かった。何とかなるだろう。溶岩面すれすれを飛ぶとかでなければ問題ないと思いたい」
僕は答えると、再びプリックの案内に従って歩いた。フォロムもそれについてくる。プリックの案内は正確で、やがて僕達は、地面のさらに下から赤々とぎらつく光が漏れてきている小部屋のような空間に辿り着いた。地面には穴が開いていて、まるで蒸気のように、蒸し暑い空気がそこから吹き上がってきていた。下を見なくても理解できる。赤い光の正体は溶岩だ。
「ここはまだ外れだ。魔物もほぼいない。だが、この下を抜けるとやがて巨大な横穴に合流する。その近辺からが本番だ」
フォロムは警告すると、両腕と一体化した翼を広げ、地面の穴から滑空して行った。ここからはフォロムの先導に従えば良いということだ。僕も不可視の翼に頼り、後に続いた。
地面の穴はほとんど縦穴らしい高低差もなく、すぐに真下のドーム状の場所に繋がっていた。ドームの底には一面に赤熱した液体がうねっていて、そのすべてが、火山が抱えたマグマだった。小型の魔物の姿がそこかしこに見えたものの、襲っては来なかった。
フォロムはドームから伸びる横穴を飛んで行く。僕も黙ってそれに続いた。横穴は高さ一〇メートル程もあり、ほとんどが岩の地面になっていたけれど、その下にはマグマの流れが隠されているようで、ところどころ赤く地面に染み出していた。
道案内の必要がなくなったとみるや。プリックは僕の荷物の上に戻って行った。そして、すぐに規則正しい寝息をたてはじめた。
「呑気なものだが、何故かその呑気さが心強いな」
フォロムはそんなプリックをやんわりと笑った。
「僕もそう思う。彼には助けられてばかりだ。そういえばまだ紹介していなかったな。彼の名はプリックだ」
僕が告げると。
「覚えておこう」
フォロムはただ頷いた。
そして、僕達はしばらく無言で横穴を飛んで進んだ。少しずつ溶岩の面積が増えてきていて、地面がある場所もかすかに赤く光っているように見え始めた。そんな眼下の様子を僕が眺めていると、
「問題ないか」
フォロムが速度を緩めて聞いてきた。配慮が嬉しい。けれど、思った程、熱気による体力の消耗はなかった。
「直接溶岩の上に降りなければ大丈夫だ」
もともとコボルドに熱気耐性などない。それでも平然と活動できていることに、思い当たる理由はひとつしかなかった。
これもきっとライベルの御蔭なのだ。
彼女は竜だ。このくらいの熱さには耐えられるだろう。その能力が僕も借りられているのだ。
「この辺りは魔物も弱い。襲ってこないから放置しておけば良い。逃げる者を挑発する類ではないよな?」
少しだけ先を行くフォロムが翼を羽搏かせながら振り返った。僕は無言で頷いた。襲ってこない魔物を相手している程、時間に余裕がある訳ではない。
「なら良い」
そう言って、フォロムは飛行速度を上げた。速い。僕はまだそこまで閉所飛行に慣れていない為、壁や天井にぶつからないように彼を追うだけでも一苦労だった。洞窟が曲がりくねっていないから、何とかなっているといったところだ。
それでも、歩くことを考えれば、何十倍も速く移動できていることは間違いなくて、かなりの距離を、その洞窟を飛ぶことで、稼げているのだということは実感できた。気流の乱れが激しいという、上空を飛ぶことを考えれば、ずっと飛びやすいのだろう。
やがて、洞窟の底面が、地面より溶岩面の方が多くなってきた。それに比例するように魔物の気配もよりピリピリと威嚇してくるものに変わっていく。
そして、それが明らかな敵意に変わった頃、僕達はさらに飛行速度を上げた。僕とフォロムは、言葉を交わすこともなく、どちらからともなく自然に、戦うことよりも気配を振り切る方を選んだ。今のところ僕達の速度についてこられるような気配はない。けれど、漫然と飛んでいれば飲まれてしまうだろう程の数の敵意を、ひしひしと感じていた。間違いない。ここから先は、縄張りに入り込んだものを問答無用で排除するような魔物が跋扈する、危険な場所なのだ。
目の前が突然開ける。大河のような流れが一杯に広がる大洞穴に出た。ただしその大河も灼熱のマグマだ。溶岩流の大穴。最初の遭遇戦はそこに飛び込んだ直後にあった。
薄羽を鳴らし、火の粉を散らす大顎を持った、蜻蛉のような姿をした巨大な魔物だった。数は五体。僕やフォロムにとってはあっさりと返り討ちにできる相手だったけれど、いきなり襲われたことで、その大穴が一筋縄ではいかない一本道であることは理解できた。
どこまでも真っ直ぐ、溶岩は流れていた。フォロムはその流れが向かう先に視線を向けて、遥か遠くを見つめていた。
僕も自然と、同じ方向に視線を向けた。遠くは赤く霞んでいて、あまり遠くまでは見通せなかったけれど、大量と一言で表現するにはあまりにも多い魔物の気配を感じることができた。
「向こうだ。流れが向かう方向に従って飛べばいい」
と、フォロムが告げた。
「行こう」
僕は、短く答えて、頷いた。