第四章 『そういうもの』の願い(7)
ノーラに案内されてたどり着いたのは、大きな鍵穴のある、仰々しい仕掛け鍵が施された扉だった。エレが鍵穴に鍵とは思えない物体を差し込み、ノーラが手早く仕掛けを解除する。扉はきしみもなく開き、僕たちはその先に進んだ。背後でひとりでに扉が閉まり、仕掛け鍵がかかる音が聞こえた。
長い下り階段が続く。なんとなく僕はこの先が王家しか立ち入れない、ノーラの体を隠していたという地下室に間違いないだろうと思った。
「ちょうどいいから、私の部屋にしたの」
ノーラは聞かれてもいないことを答えた。
けれど、それで僕の想像が間違っていないことが分かった。
「うん。だからそこに銀盤もあるんだね」
「そう。銀盤の周りには結界があるから、その外部にポータルを開くとは思えないわ。だから、銀盤の前で待ち伏せるの」
なるほど。デルデラが侵入してくるとしたら、結界の内側ということか。僕は無言でうなずいた。
階段を降り切り、僕たちは地下室に辿り着いた。地下室は大聖堂の礼拝室並みの広さがあり、部屋の真ん中に台座が置かれていて、その上に、銀製の大きな鏡のようなものが置かれている。カーニムの銀盤だ。けれど、ノーラの言った通り、その周りに目に見えない壁があって、近づくことができなかった。
「結界があるのは確かめた?」
ノーラに聞かれたので、
「うん、あるね」
僕は素直に答えた。ノーラはそれを確認すると、無造作に手を振った。
僕たちは目に見えない壁に遮られることなく、銀盤のそばまで歩いていけるようになった。
「ムイム」
僕らが銀盤のそばに辿り着くと、ノーラが同行しているスケープ・シフターの名前を急に呼んだ。
「はい、主様」
いままで始終無言でいたムイムが口を開く。どこにいたのかと思ったら僕の背負い袋から出てきた。いつの間に入ったのだろう。ノーラは彼の返答に満足したように続けた。
「デルデラの出現はあなたが一番感知しやすいはず。頼みましたよ」
「かしこまりました」
ムイムは初めからそのつもりができていたようで、僕の肩に乗って言った。
「気配はあります。まもなく壁を破ってくるでしょう」
僕たちはそれを聞いてうなずきあった。身を守る術のないエレと、万が一彼女が狙われた場合に備えるノーラは結界の外に出て、僕とムイムだけが結界内に残った。結界内の範囲だけでも大聖堂の訓練室より広い。戦闘に差し支えはないだろう。
「そろそろ警戒を」
ムイムが耳元で告げた。
僕は剣を抜き、その刃の色に一瞬息を詰まらせた。うっすらと青白く光る輝きを放つ刃には、魔法の力が感じられた。記憶が正しければこれは。
しかし、ノーラに確かめる時間はなかった。台座の横に、セレサルで見たポータルと同じような黒いもやが現れたからだ。
僕は本で読んだ記憶通りなら、と、試しに剣を靄に向けて振るった。
実体がないはずの靄は真っ二つに裂けて消えた。やはりこれは。
「聖神鋼だ」
僕はつぶやいた。善神の天啓を得たとも言われる希少な金属。聖青鋼とも呼ばれるもの。実際にはいわゆる鋼とは別物で、青みが強ければ強いほどその魔力は強く、はっきりと青いものは空間をも引き裂くらしい。ポータルを切り裂けたことで、僕の想像は確信に変わった。これは大変なものを預かった。
「お見事です。しかし」
ムイムが言う。
「壁は破れました。デルデラは自力で転移してくるはずです」
それだけ告げると、邪魔になると思ったのだろう、ムイムは結界の外に出て行った。
僕は剣を構えなおし、様子を伺った。何も起こらないまま、しばらく時間だけが流れた。
そして、不意に背中側からどす黒い塊が降って来た。突然のことに反応しきれず、それが肩に当たる。
次の瞬間、吹っ飛んだのはどす黒い塊のほうだった。十数発の光の弾が、首から下げた護符から放たれ、どす黒い塊を跳ね返したのだ。竜の彫刻の目がぎらぎらと光っている。
「これってひょっとして」
僕がやっと竜の護符の意味に気が付くと、
「気づいていなかったの。彼女の贈り物よ」
結界の外でノーラがあきれていた。
「ぐう」
という声が塊から聞こえてきて我に返る。見ると、頭上に鎚のような形の闇の塊が浮いていた。
「デルデラか」
僕が聞くと、
「あいつに聞いたのか。ああ、そうだとも」
人のような形に変わりながらムイムを見てから、デルデラは降りてきた。ムイムと比べて明らかに大きい。人間の大人くらいの大きさはあった。
「この銀盤はもともと君の主人のものだと言ったら手を引くかい?」
念のため聞いてみた。
「ふむ」
デルデラは顎に手を当てる人間じみたしぐさをしてから、答えた。
「いいや、引かないな。そもそもそんなことは知っているさ。気づかずに私に手を貸したあいつが愚かなだけだ。もともとネヴァゼアに献上するつもりなどない」
「それは残念だな」
僕は吐き捨てた。何故か見た瞬間、そんなことだろうという気がしていた。こいつは、完全なる悪だ。
「そういうもの。ネヴァゼア。エレオノーラ。なんでもいい。ただ管理するだけで、これほどの力を遊ばせておく管理者など何の意味があるものか。私は」
デルデラが闇の両腕を振って力説を始めるのを、
「すでに議論で解決はしない。演説は省略してくれ」
僕は遮って剣を突き付けた。それから、聞いておくことがありそうだと考えなおした。僕の想像が合っているとするならば、彼らはもう。
「ああ、ただ一つだけ教えてくれ。君にはほかにも仲間がいたはずだ。どこでどうしている?」
「ふん、敢えて分かっていることを聞くのか。そうだ、食った」
こともなげにデルデラが言ったのを聞いて、僕の答えは決まった。こいつに懲らしめるだけで分かるような良心はない。
「ありがとう。じゃあ改めて」
踏み込んで剣を薙ぐ。
闇に食い込んだそれは、デルデラをただ通り抜けるだけで、斬り裂くには至らなかった。デルデラは分かっていたから避けなかったと言いたげにただ立っていた。
背中側から闇の塊が鉤爪を持った腕のように襲ってくる。僕がそれを避けている間に、デルデラの姿は空間に溶けるように消えた。
闇の腕は数を増やしながら変則的に四方八方から襲ってくる。闇の腕はなんとか剣で斬れるようだった。けれど、闇の腕を斬ってもデルデラにダメージが蓄積しているとは思えなかった。
埒が明かない状況が続く。
そんな時、何かが僕の精神を触った。分かりにくい表現だけれど、そう形容するしかない感覚があった。
何度かそんなことがあって、僕は闇の腕を捌きながら、その感触にあらがわないようにした。
すると、いきなり闇の腕の出現がまばらになり、声が頭の中に聞こえてきた。
《繋がった!》
覚えがある。ロッタの声だ。続いて、セラフィーナの声が届いた。
《よかった。ラルフ、聞こえてる?》
《ああ、大丈夫だ、セラフィーナ。ロッタは見つかったんだね》
闇の腕はほとんど襲ってこない。余裕ができた僕が頭の中でそう考えると、
《今この時のためにロッタがわざとつかまって私を誘導してくれたからね。それはいいわ。戦ってる最中だろうから要件だけ伝える》
セラフィーナはぶっきらぼうに話を切った。
《その剣で斬れなかったのは本人がアストラル界から一部だけをそっちに入り込ませてるから。五秒後にデルデラをこっち、つまり、アストラル界から追い出す。それまで耐えなさい。追い出された後のデルデラは普通に斬れるから、思う存分叩きのめすといいわ。ああ、あと一応言ってなかったから》
ちょっとだけ間をおいて、
《初めて会ったときは、言いがかりをつけて悪かったわ。山賊からロッタを助けてくれてありがとう》
一方的に言いたいことだけを告げると、セラフィーナの声はもう届いてこなかった。やっぱりあの子は、苦手だ。
《お姉ちゃんが最後まで素直じゃなくてごめんね。私たちはこれから別のところでやることがあるから戻らないから、こんな時だけど、バイバイ。元気でいてね。いろいろありがとう、ラルフさん》
ロッタの声も、そう告げたきり、聞こえてこなくなった。同時に、一気に闇の腕がまとめて襲ってきた。
「うっ」
さばききれなかったものが殺到してくる。けれど、その分は護符の光がいくらか押し返してくれた。それでも全部はじくとまではいかなかった。闇の腕が振り下ろされる。左腕で体をかばいながら、僕は負傷を最小限にとどめようと身を沈めた。
「お待たせ、しました!」
覚悟を決めた僕に、頭上から声がかかる。
岩だか金属だかガラスだか分からない奇妙な塊が、闇の腕を殴り返していた。
「あ、ムイムか。ありがとう」
すぐに気が付かなかったけれど、ムイムが部屋にあるものでボディを急作りして参戦してくれたのだ。
「あいつをぶん殴ってやる、と、言ったはずです、ボス」
ムイムがフルスイングで闇の腕をまとめて叩きのめした。
「そうだったね。もうすぐデルデラがアストラル界からたたき出されてくる。最初の一発は譲るから、思いっきり殴り飛ばしてやれ」
僕が笑うと、
「了解、ボス」
ムイムは最後の闇の腕を踏みつぶしながら答えた。
そして、戦闘の結末はあっけなかった。
すぐに空間の亀裂ができ、そこから捨てられるように闇の塊が押し出されてくる。
それを、ムイムは宣言通りフルスイングで殴り飛ばした。闇の塊は結界まで飛んでいき、跳ね返ってくる。
僕はただ無心で、跳ね返ってくる闇の塊を、横一文字に斬り裂いた。今度は、刃が薙いだ闇は、真っ二つに裂けた。
デルデラに命乞いどころか、言葉を発する暇も与えず、僕とムイムは、デルデラを消滅させたのだった。そして、デルデラだった闇の塊が消える瞬間、淡い光の塊が闇の中から浮かび上がった。
それで気が付いたエレが結界の中に小走りで来て、光に触れた。それは、エレの手に溶けるように消えて行った。
捕らわれていたエレの一部を、彼女は取り戻したのだ。その様子を見ていたら、今回の事件は収束したのだと、実感が湧いた。
「お疲れ様」
と、ノーラが笑ってくれて。
「ありがとう」
僕は、鞘に剣を戻した。