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聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
善色の悪業
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第二章 沼に落ちた竜(6)

 前方を見る。

 何かがいた。巨大な何かだった。

 最初、それは青みがかった結晶の棘が生えた山のように見えた。しかし、それは動いていて、その事実に置いて、山ではあり得なかった。

「藻掻いてる?」

 と、ティフェリが放心したように呟く。奇遇にも、僕にもそう見えた。そして、気が付いた。

「嵌っているんだ。足元が沈みかけている」

「見たことねえ生物ですが、ありゃいけねえ。底なし沼に足を取られてますね」

 迂回するべきか、救助に向かうべきか、判断が付かないといった様子で、距離を取ってネッザは沼牛を停止させた。

 僕はもがいている生物をまじまじと眺めた。どう見ても、特徴的に、デブリスなのは疑いようがなかった。けれど、僕もあんなに大きなデブリスを見たことがない。キースのような例もあるから、デブリスすべてが敵ではないということも知っているけれど、初めて見た存在に、助ける、という決断が即座に下せなかった。助けた結果、アースウィルに多大な被害を出すことになったら目も当てられない。

 僕も困り果てて見ていると、その水晶の塊は、巨大な蜥蜴のような首を擡げて、僕を見た。目が合う。その瞬間、それが、大声を張り上げた。

「助けてくれ! 助けてくれ!」

 鬼気迫る表情で助けを求めながら、無理矢理足を泥の中から引き抜こうとしている。当然のようにその行動は逆効果で、それはずぶずぶと深い沼の底に向かってさらに沈む速度を上げた。

「考えるのは後か」

 僕は考えることを放棄した。現時点では善でも悪でもない一つの命が沼の底に沈んで消えて行こうとしている。それだけが重要なことだ。

「ネッザさん、あの生物に沼牛を横付けできる?」

「できますが、あれほどの大きさだと、沼牛一体じゃ引き上げられません」

 ネッザが首を振る。その回答は、疑いようもなく事実だと思えた。僕は荷物から雑多なものを取り出してみて、何か使えそうなものがないかを確認した。

 くさびは小さすぎる。ロープが役に立つとは思えない。昼間にカンテラ。空の小袋。キースにもらった結晶。

「それだ! それをかざしてくれ!」

 僕が結晶を出した途端、デブリスが僕の手元の結晶を凝視して叫んだ。下級なデブリスであれば従えられるとキースは言っていたけれど。効くかどうかは疑問だった。

 とはいえ、何もやらないよりは良いのだろう。僕は結晶を手に立ち上がろうとした。

「一個じゃ無理だ。持っているだけ全部。全部使ってくれ!」

 そう言われては出し惜しみをしている場合ではない。僕は荷物から、キースから貰った六個の結晶を全部取り出し、沼牛をデブリスの真横に横付けしてもらった。

 デブリスは、全身からまばらに結晶が生えた、青白い竜族のような姿をしていて、本来上空に逃げるのに使えるのだろう翼が生えていたけれど、それもすでに泥沼に使って引き抜けないでいた。体の三分の一が既に沼に没しているというのに、その状態で沼牛の殻の天辺と、デブリスの背中がほぼ同じ高さだ。近づいてみて改めて思う。大きい。

 距離に効果が関係あるのかは分からなかったけれど、なるべく結晶を近づけた方が良いかもしれないと思い、僕は沼牛の殻の上によじ登ると、デブリスの背中に飛び乗った。そして、擡げられた頭部に近づけると半ば押し付けるように結晶6個をかざした。

「おっし、来た。今受け入れる。いいかい。結晶が六個とも光ったら、沼牛の殻に戻って名前を呼んでくれ。名前は、ライベルフィルナ。ライベルで良い。頼んだ!」

 言われたそばから、結晶が一つずつ、激しく光を発して、六個全部にそれが行きわたると、光が弱くなっていった。それでも、光は消えず、クルクルと結晶の中で回転する同じ形の文様のようなものになった。

「何か光の模様が出た。これで良いか?」

 聞くと。

「それでいい。助かる!」

 ライベルは答えて藻掻くのをやめた。その体はゆっくりと沈んでいて、既に沼牛の殻の方が高い。これ以上留まるのは危険だ。空の中にすら戻れなくなる。そう判断した僕はライベルの背中を走り抜けた。その間にも、殻の隙間の方が高くなり始めている。

 跳べるか。迷っている暇はなかった。僕は跳躍しようと体を沈めた。

「待って」

 と、頭上から声がする。陽光が一瞬陰った。見上げると、翼を広げた人影が見えた。ネーラだ。彼女は僕を抱え上げ、そのまま沼牛の殻に向かって飛ぶと、僕を放り込んでくれた。

 怪我をしないように、体を丸めて転がりながら殻の中に飛び込む。壁に激突しないように、グロフィンとティフェリ、それにラザーの三人が受け止めてくれた。その間に、ネーラも殻の中に戻ってくる。

 感謝の言葉を掛けたいけれど、今はそれよりも優先することがあった。振り返る。体の半分以上が沼に沈んだライベルの体が沈んでいく速度はどんどん加速していく。もはや背中まで泥に浸かろうとしていた。

「ライベル」

 言われた通り、名を呼ぶ。それでどうなるものなのかと考えている暇はなかった。そんなものは、やってみてから考えればいい。

 僕がその名を呼ぶと。結晶がまた光った。

 そして、沈みかけていたライベルの体が消えた。沼牛の周囲が暗くなる。見上げると、水晶の色をした竜が、沼牛の上で翼を広げていた。

「イエス、ボス」

 ライベルは、静かに答えた。

「今日からボスの敵はアタシの敵。ボスの味方はアタシの味方だ。よろしく。それと、命を救ってくれて、感謝するよ。危ないとこだった」

「いや……で、君、デ……晶魔だよね?」

 僕はもう一度沼牛の殻の上によじ登った。近くで見上げたライベルの体は泥塗れにはなっていなかった。

「ああ。知ってるんだね。そりゃそうか。結晶を持ってるくらいだ。じゃあ、ひょっとして、奴等が攻めてきそうなのも、既に知ってるのかい?」

 ライベルが僕を見下ろして言う。僕はその言葉に頷いてみせた。

「ああ。それを排除する防護を展開したいんだけど、この世界の中に、その邪魔になる連中がいてね。ここから出て行ってもらう為の旅の途中だ」

「そいつは良かった。渡りに船ってヤツだ、ボス。アタシも防護を固めないと危ないって警告しに来たんだけど……出た場所がちょいとマズかった。何もできないうちに早々に沼に嵌って死にかけるなんて、カッコつかないね」

 ライベルは少し目を丸くしてから、口の端で笑った。瞳は深いサファイアブルーだった。

「いや、そんなことはないよ。戦力不足は否めない。君のような存在が味方に付いてくれるのは、その存在だけで十分有難いよ」

 殻の上に座り込み、六個の結晶を透かすように見てみる。柔らかく光りながら回る文様は、よく見ると水晶柱のようなものを咥えた竜の形をしていた。

「でも、その旅、ちまちま地上を移動してたら非効率じゃないかい?」

 そんな僕を見下ろしながら、ライベルが思案げな声を上げる。僕は結晶から視線を外し、ライベルの指摘を認めた。

「そうなんだよ。でも、長距離移動手段がなくてね」

「ならさ、こういうのはどうだい。アタシが運ぶよ、ボス。どうかな? 土地勘はないけどさ、行先さえ指示してくれりゃ、飛ぶのはあっという間さ」

 ライベルは僕の答えに、まるで待ってましたと言わんばかりに早口で提案した。実際、いても経ってもいられなくてアースウィルに飛び込んできたという雰囲気で、ついてからどうするかなど、細かいプランは思いついていなかったのだろう。だから、手伝えることがあればそれで満足なのだ。そんな風に見えた。

「そうだね。でも、ここではやめておこう。君が沈んでしまっては意味がないからね。僕達は予定通りこのまま西へ向かう。沼地の西の外れに町がある筈だ。メルサッタという町だ。そこで落ち合おう。先に行って待っていてくれるか?」

 申し出は僕にとっても有難い。高速移動手段は今まさにほしいものだ。僕はありがたく提案に乗ることにして、ただ、スメイゴーヴの中で乗りかえるのはやめておいた。ライベルが浮いたままでは、僕達が乗るのは容易ではないし、沼牛を乗り捨てて行くのも気が引けたからだ。

「ああ、分かったよ。着いたら適当に広い場所でまた名前を呼んでくれよ。待ってるよ」

 その辺の事情は、ライベルも汲んでくれたらしい。異論を唱えることはなく、大きく頷いてくれた。

 そして、ライベルは多き翼を広げると、一度だけ羽搏いて天高く飛び去って行った。

 それを見届けると、僕も沼牛の殻の中に戻った。


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