第二章 沼に落ちた竜(3)
いずれにせよ、当面僕がやるべきことは変わらない。僕の使命は、シーヌがアリスから受け継いだ力をもって、アースウィルにデブリスが侵入しないように防ぐことができるよう、レダジオスグルムの影響を排除することだ。それはレダジオスグルムの事情がどうであれ、絶対に揺らぐことはない。当面は、ラズレンシアへ一刻も早く向かうだけだ。
僕達は結局、ムベイロンではどの都市にも寄らず、近付きすぎないようにすべて素通りした。ムベイロンはその土地の九割以上が密林で、都市は蔦の這う遺跡のような景観のものばかりだと、ティフェリやグロフィンは教えてくれたが、結局、それらを僕が実際に目にする機会はなかった。
ムベイロンを西へ抜けるのには、ゴラウを倒した夜から数えて、一〇日が掛かった。アラテアとの国境は開かれていて、アラテアにモンスターの僕が入っても、誰も見とがめたり、呼び止めたりはしなかった。
すんなりとアラテアの国土に入る。
僕達は一路西の海を目指して進んだ。道は整備された街道で、ただ、石畳ではなく剥き出しの土の道だった。
国境を越え、最初の村に着く。驚いたことに、住民はすべて魔物だった。雑多な種族が入れ混じっていて、僕にはそのすべての種族を把握することはできなかった。当然モンスターの僕を気にする村人もなく、僕は久々に人里と呼べそうな集落に足を踏み入れることができた。
「アラテアはもともと文化的な魔物が多い土地よ。少し前までは、皆、狂暴化してたから逆に物騒だったけど、今は落ち着いてるみたいね。この先の都市も、避けて通らなくても大丈夫じゃないかな」
ティフェリはアラテアのことを、そう言って教えてくれた。僕もその言葉には少しだけ気が楽になる気がするけれど、それ以上に、言ったティフェリ自身が楽しそうだった。グロフィンは野宿生活をずっと続けていたことから、別のことを気にしたようだった。
「それは良いけどさ、オレ達、誰かカネ持ってるのか?」
「所持金の問題は気にしなくて大丈夫。宝石とか金の塊持ち歩いているから、それを換金すればいい」
次元を渡っていく上で、一番の問題になるのが所持金の問題だ。金貨の類はだいたいの場合、その次元でしか通貨としての価値をもたない。勿論あちこちで使わなかった通貨は、そのまま貨幣として無限バッグに放り込んであるけれど、それ以上に、何処へ行っても換金できる品として、金や宝石というものが重宝することを、経験上僕は学んでいた。その為、ブラックブラッドでインプ達から貰った宝物のほとんどは、無理に換金せず(もっと換金の機会もこれまでほとんどなかった訳だが)そのまま無限バッグの中に仕舞い込んであった。
幸い、魔物達の村はさびれてはおらず、都市という程の規模はなかったものの、それなりに施設は揃っているようだった。東西に村を貫くメイン通り沿いには石造りの建物の商店が軒を連ねていて、躍起になって探すまでもなく、宝石商もすぐに見つけることができた。買取もしているようだ。
僕達は宝石商に入り、僕が持っていた宝石の詰まった細工物の小箱を、箱ごと買い取ってもらった。僕にはアースウィルでの相場が分からないので、ティフェリとグロフィンに交渉を任せたが、
「破産してしまうから二箱以上は買い取れないよ!」
と、店主が頭を掻いて笑っていた。店主は灰色の体毛をした、猫科の獣人のような魔物だった。
いずれにせよ、ひと箱については、すんなりと価格がまとまったようだった。十分な路銀を得ることができたので、僕達は店主に礼を言って店を出た。
「あの店主、今週はかなり収支が厳しいことになったのだろうけど、一ヶ月後には結構な儲けを得るわね」
通りを歩きながら、ティフェリはそんな風に複雑そうな顔をした。何か言いたげだったが、結局歩いている最中にはそれ以上何も言わなかった。
日はまだ高い。
本来は先を急ぐべきだ。僕一人であればそうしていただろう。けれど、僕は悪路が多かったムベイロンの旅路で、ティフェリやネーラがだいぶ疲れ気味なのを感じ取っていた。
「まだ早いけど、今日はこの村で宿泊しようか」
地図を見ながら、僕は歩いた。地図上では、村の名前はダートルンとなっている。通りに連なる商店を見ても、酒場の看板に『ダートルンの踊る羊の酒場』などと店名が掲示されているのを見ることができたから、地図の見間違いではないだろう。もっとも、僕は酒を飲んだことがないから、酒場に寄ることもないのだけれど。
結局、グロフィンが宿屋に気付いてくれ、僕達は四人全員が入れる一部屋を借りた。宿屋は古い屋敷を改造したような外見と内装をしていて、危うくそれと気が付かないところだった。
部屋に入ると、僕達は思い思いのベッドに腰を下ろした。ベッドは木製で、部屋の中には他にはクローゼットがあるだけだった。テーブルの類などはなかった。
荷物を降ろし、休んでいると、僕が選んだ、廊下の入口に一番近いベッドの上に、ティフェリがやってきて座り込んだ。
「ねえ」
と、声を掛けられる。
その顔は何かを真剣に考えているようだった。
「ひょっとして、ほかにも、装身具とか、宝石とか持ってるの?」
「それなりにね」
ティフェリも女の子ということだろうか。そういったものに興味があるのかもしれない。そう思いながら、僕は首を傾げ気味に頷いた。欲しいと言われても、簡単にあげるつもりはない。あぶく銭は不幸を呼ぶものだ。お金に困っていて、明日にも死んでしまいそうというのであれば考えるけれど。
「錬金道具に興味はない? 照明石とか、通信鏡とか。水中呼吸の装身具とか。素材に出来そうな宝石ばかりだったから、もし必要だったら、私、作るけど。どう?」
「ああ」
そういうことか、とようやく気付いた。確かに幾らかを魔法道具にしてしまっても、所持金に困ることはない。錬金術師に預けて見るというのは、考えてみていなかった。
「君への報酬が宝石とか、貴金属とか、お金でないものでの支払いでも構わなければ、それも良いかもしれないな」
「そうね。私は全然構わない。ただ、製作にはそれなりに時間が掛かるの。だから、私側としては、その間、旅に同行しても良ければって条件になるけど。簡単なものなら、一日二日で出来上がるけど、それだと使い捨てになっちゃうんだよね」
ティフェリにそう言われて。
僕はしばらく考え込んだ。彼女は、レダジオスグルムの一派に目を付けられるくらい腕の良い錬金術師なのかもしれないけれど、まだ子供だ。過酷な旅に付き合わせるのは躊躇われた。
「だとしたら、難しいか」
結局、僕は一旦諦めることにした。好意は有難いが、やはり、彼女にとって、僕に同行を続けるのは危険すぎる。
「今は気持ちだけもらっておくよ。落ち着いたら、また正式に頼むかもしれない」
「そう」
と答えたティフェリの顔は残念そうだった。それでも彼女は食い下がることはせず、すぐに自分のベッドに戻って行った。
部屋は廊下からの扉と反対側に窓があって、
廊下側に二個、窓際に二個、合計四個のベッドがあった。彼女は僕の隣、入り口からも窓からも隣接していないベッドを使うことにしていた。
窓際側は、僕の隣がネーラ、ティフェリの隣がグロフィン。万が一、レダジオスグルムの一派の、別の者がティフェリを攫いに来ても、対処できるような配置だ。
ティフェリとネーラの疲れを十分癒してもらう為、日没までは時間はあったけれど、外出はしなかった。夕食も宿の中で済ませ、そのあとは、港街までの道筋を、地図を見て確認していた。
そうこうしている間に、久々のベッドに疲労感を思い出したのか、ティフェリは一番最初に舟をこぎ始めて、やがて眠ってしまった。
僕が彼女のベッドに運ぼうとしたところ、道順の確認を続けるように言って、グロフィンが代わりにティフェリを運んでくれた。彼も少年だが、見た目以上に腕力はあるようで、明らかに同年代よりもふくよかなティフェリを、彼は無造作に抱きかかえて運んで行った。
アラテアには港町がいくつかあるけれど、ダートルンから真っすぐ西に街道を進んだ先にある、エルパーグという名の港町が一番近いようだ。僕はそこへ向かうという結論を出し、地図を仕舞った。七日程の道程になる。
夜が更け始めるころ、ネーラが廊下から出て行った。森で手頃な獣の血を頂いて来ると言って。僕は頷いて見送った。
静かに、夜は更けていく。結局襲撃等はなかった。翌朝、まだ薄暗いうちに朝食を終えた(先を急ぐ旅人たちが、何組か僕達と同じように食事をしていた)僕達は、一路、また西を目指した。




