表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖騎士レイダークの手記  作者: 奥雪 一寸
善色の悪業
267/419

第二章 沼に落ちた竜(2)

 旅は滞りなく、アラテアの国境は目前に迫っていた。僕は、夜ごとにドネからアラスネスカの灰について様々な話を聞くことができ、だいたいの事のあらましを知ることができた。

 だいいちに、アラスネスカはアースウィルに、古代からいるという体裁でアリスに創作された女竜であること。彼女自身はそれを自覚するほどの知恵と知能を有していたと同時に、その高い知見に基づき、その立場に異論を挟むことなく、アリスに協力し、アースウィルを守ったこと。

 次に、レダジオスグルムがアースウィルを訪れ、誇りなき竜とアラスネスカを評し、彼女の境遇に同情したことを、僕はドネから聞かされた。

 彼はアラスネスカのことを、翼をもがれた直系の竜と言い、彼女はアースウィルを捨て自由になるべきなのだと語ったという。彼女が竜として創られたのであれば、竜として己の為に生きるべきなのだと、レダジオスグルムは説いたのだと。

 しかし、アラスネスカはそれを善しとしなかったらしい。自分は他のものと同じアースウィルの民であり、それ以外になるつもりはないのだと、レダジオスグルムに答えたのだ。彼女は、だが、レダジオスグルムが、自身を作り物の生命でなく、同じ竜と認めてくれたことに何度も感謝したのだという。それが、レダジオスグルムと、アラスネスカの交流の始まりだった。

 レダジオスグルムは、アラスネスカと番うつもりだったのかもしれないと、ドネは語った。しかし、レダジオスグルムとアラスネスカの交流は、一〇〇年という、竜にとっては短い時間だけであっけなく終わりを迎えた。アラスネスカは完全な竜ではなく、やはり造られた命であり、数百年の寿命は持ち合わせなかったのだ。アラスネスカはレダジオスグルムに、自分の死体を、彼の炎で焼き尽くしてもらうことを望んだ。そしてレダジオスグルムはその願いを聞き入れ、彼女の望み通り死体を焼いたのだという。残ったのはほんの僅かな灰だった。それを壺に納め、レダジオスグルムは持ち帰った。それが、秘宝と噂されているアラスネスカの灰の正体だった。

 しかしそれから四〇〇年が過ぎ、アラスネスカの遺灰を納めた壺は現在、ひどく劣化してしまっていて、いずれアラスネスカの遺灰は零れてなくなってしまうかもしれない状況にあるのだという。レダジオスグルムは僕達の次元宇宙にある青銅での壺の修復を試みたが、それはうまくいかなかった。もともとアースウィルの青銅で作られた壺には、僅かながらにアリスの力の残滓が籠っていて、通常の青銅では適合しなかったのだ。

 それで、レダジオスグルムはアースウィルでの修復を試みる為、潜伏した。アラスネスカの故郷である為、混乱させたくないとでも考えたのか、レダジオスグルムはアースウィルで表立って行動することを避けた。修復を自らの手でするのではなく、部下に託したのだ。

 しかし、その行動は、裏目に出た。他ならぬアースウィルの人間と、己の部下によって、彼の僅かばかりの配慮は、裏切られたのだった。アラスネスカの灰は盗まれ、部下はその失態を隠し通そうとした。ジエッドはティフェリを攫い、紛い物のアラスネスカの灰を製作させようとした。そのうえで、レダジオスグルムにはティフェリが壺の修復を行っていると報告し、その結果、レダジオスグルムが、灰が盗まれたことに気付いた時には状況は手遅れだった。

『しかし、レダジオスグルムも、ようやく灰が盗まれたことには気付いた訳です』

 僕達がアラテアに到着する前夜、幾夜にも渡るドネの話もまた、ついに現在の状況の話に辿りついた。ドネは粛々と世界を巡る水の循環を通し、すべてを見ていたのだという。

『今、レダジオスグルムは、アースウィルの人間すべてに対し、激怒しているのです。彼は破滅よりもより深い苦しみを与えたいと考えています。真綿で首を絞めるように、じわじわと苦痛を与え、アースウィルの社会が崩壊することを望んでいる為、部下たちを各地に飛ばし、好きに現地を荒らせと命じています。それが現状の混沌とした惨状を生んでいるのです』

「成程。アースウィル内でのアラスネスカの評価は、どんな感じなんだろう。僕も、今後どう出るかを考えなければ」

 今、水の精霊石は、まだティフェリの手元にある。僕が尋ねたのは、ドネに対してだけでなく、ティフェリに対しての質問でもあった。

「無益な殺生や争いを好まない、穏やかな性格だったそうよ。それでいて、常にアースウィルの未来をより良くする為に出来ることがあれば、臆せずに行動する芯の強さも持ち合わせていた、と評価されてる。文献に残された内容は、経歴なんかの仔細に多少の差異は見られるけど、その点の評価については共通してる」

 答えてくれたのはティフェリだった。おそらくアースウィルの人間の生の声で答えてもらった方が良いと判断したのだろう。ドネは口を挟まなかった。

「なんだろう。すごく違和感があるな」

 僕は首を捻った。

 レダジオスグルムが嫌悪しそうな性格に思える。レダジオスグルムとアラスネスカの会話を想像してみて思うのは、意見は平行線で、折り合うことはないのではないかという疑いだけだった。五〇〇年前といえば、既にレダジオスグルムがルーサと敵対関係にあった筈だということを考えれば猶更だ。アラスネスカは、むしろ考え方としてはルーサに近いのではないだろうか。

「ん……まさか」

 ふと浮かんだ一つの仮説。

 自分でも馬鹿馬鹿しいとしか思えない、もしかして、の話。

「レダジオスグルムが、本来は、別の関係をルーサとの間に望んでいたのだとしたら。そして、それが破綻し、その末に互いを嫌悪する敵対関係にまで行き着いたのだとしたら。アラスネスカに対しては、別のアプローチを試し、本来ルーサとそうでありたかった関係性を、アラスネスカとの間で改めて模索したのだとしたら……というのは考えすぎだろうか」

『そのまさかだったのかもしれません。真相はレダジオスグルム本人にしか分からないでしょう』

 ドネは語り、その可能性は捨てきれないという見解を示した。けれど、そう考えるのが、今の無秩序で目的のない荒らし方に納得が行くのだ。荒らすこと自体が目的で、手段ではないことになるから。どんな理由であれ、自らの元から最愛の存在の形見が盗まれれば激怒もしよう。独占欲が強そうなレダジオスグルムであればなおさらだ。

「しかし、むしろ、レダジオスグルムを激怒させる結果は予想出来たろうに。オラテノアが遺灰を盗んだのは、何故だろう。国としての保身なのか?」

 おそらく、レダジオスグルムの本来のやり方であれば、もっと暴力的なやり方で、修復できる人間を特定し、言うことを聞かせた筈だ。それをしなかったのは、ひとえに、今は亡きアラスネスカに免じたのだろう。

 それが現地人によって裏切られたから、レダジオスグルムが二重の意味で激怒したのだ。自分の手からアラスネスカの灰が盗まれたという物理的な理由と、アラスネスカの顔に泥を塗ったという、精神的な理由で。そうなることは、どう考えても当然の結果だ。

「聖国オラテノアは、そんな国じゃないよ」

 と、答えたのは、ティフェリだった。

「私が錬金術を教わったのはオラテノアの国立研究所だった。皆親切で、アースウィルの平和を本気で願ってた。どのような力も、技術も、知識も、知恵も、使い手次第で、善にも悪にも傾くという信念で統治されてて、保身や野心に走れば信仰であっても悪になると、統治組織と神殿組織は切り離されてる。たぶんだけど。こう考えたんだと思う。アースウィルが五〇〇年前にマザー・アリスによって創造された世界で、それ以前の私達の歴史が完全にマザー・アリスの手による創作だと、アースウィルの皆が知ったら、動揺し、マザー・アリスへの信仰の幾らかは憎悪に取って代わられ、世は乱れるだろうと。真実を知ることがいつも幸福だとは限らない。真実を秘匿することも、必ずしも悪ではないと」

「確かにね」

 同意はする。やり方は良くなかったと思う。

「それならレダジオスグルムに協力して、さっさと出て行ってもらうべきだったのではないかな」

「レダジオスグルムという名は、私は知らない。多分聖国の何割かは周知なんでしょうけど。君の話を聞く限り、とんでもない悪党なんでしょうね。だから、アラスネスカの灰を、持ち続けさせることが不安だったのかも。私には分からないけど、そんなところだって気がする」

 と、ティフェリは言った。気持ちは分かる。けれど、それは結局は保身と大差のない決断だと、僕は思った。

「だとしても」

 僕は、ため息をついて、答えた。

「盗んだ時点で悪事だ。善意であれ、悪意が無かろうと。それは許されてはならないものだ。如何なる怒りの理由があろうと、レダジオスグルムが無関係な人々の暮らしを脅かすことが、許されないのと同じだ」

 どちらも、救われるべきものではなく。もし救われるべきものがあるとすれば、そんな悪事の間に巻き込まれた、無関係な人々だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ