第二章 沼に落ちた竜(1)
ゴラウを倒してからは、ムベイロンの地の旅路は順調そのものだった。僕はムベイロンのどこかの街の側でティフェリと別れるつもりだったけれど、彼女が同行を希望したので、危険であることを十分警告したうえで、結局渋々彼女の意思を尊重することにした。
ティフェリに僕の行先を聞かれたので、僕は渡りに船と、遥か北西の国、ラズレンシアに行きたいということを彼女にも相談してみた。彼女の意見も、やはりシーヌの見解と一緒で、アラテア経由で海路を行くのが最も早いというものだった。
それから、道中のキャンプで、僕はティフェリの身の上を聞いた。この話は非常に複雑で、重大な経緯を含んでいて、一夜で終わらなかったので、キャンプの際に、少しずつ話を聞くことにした。その為、僕達は夕食のあと、焚火を囲んで話をする時間を持つことが日課となっていった。
座る場所はいつも決まっていて、テントの前にティフェリが、その左側にグロフィンが、ティフェリの正面に僕が、そしてティフェリの右側にネーラが座った。
最初の夜の話では、まず、ティフェリの話で、どうやら彼女自身はレダジオスグルムという名前は知らないようだと知ることができた。手下の一人、既にレダジオスグルムの手によって粛清されたネクロマンサーのジエッドという男か女かも定かでない人物によって、ティフェリは幽閉されていたのだと語った。目的は僕がゴラウに聞いた通り、傷んだ灰壺の修復の為だった。最初の夜の会話は、そこまででやめておいた。
次の日の夜は、すこし会話の内容が本題に近づいた。
「でも、話は簡単じゃないの。本当は」
彼女はそう言って、複雑そうに話してくれた。
「壺は真っ赤な偽物だった。壺の中身の灰には何の力もなくて、完全なレプリカだったわ」
壺を直すだけならば、錬金術師ではなく、彫金師の出番だ、と、ティフェリは話した。それでも、ティフェリをネクロマンサーが必要としたのは、中身のただの灰と入れ替える、見せかけだけの魔法を持った灰の製作の為だったという。
「アラスネスカの名は、私も知ってる。アースウィルの人間なら、みんな知ってる」
ティフェリは言った。それはアースウィルにかつて生きていたとされる女竜の名なのだと。グロフィンも、知っている、と言いたげに頷いた。
「本物のアラスネスカの灰は、もうだいぶ前に、ジエッドの元から盗まれてて、今頃もう聖国オラテノアにある筈よ。盗まれた理由は二つあるみたい。一つは、アラスネスカの灰は、強い治癒の効果の奇跡の力を持っていること。もう一つは、マザー・アリスを熱狂的に信奉する、マザー・アリス教団にとって、あってはならない呪物でもあるから」
「どういうこと?」
基本的に、言葉を発するのは、ティフェリと、僕の一対一だ。それでも、グロフィンやネーラが話を聞いていないという訳ではなく、必ず、真剣な顔で、じっと聞いていた。
「君は、たぶんジエッド達と同じ。アースウィルの外のひとよね? だから、こういえば、違和感に分かって貰えるんじゃないかしら。私達の間では、アラスネスカは、七〇〇年前のアースウィルで生まれたことになっている」
「ん?」
僕は確かにその言葉に疑問の声を上げた。
アリスによってアースウィルが作られたのは、五〇〇年前だ。七〇〇年前のアースウィルに生まれることは不可能なのだ。
「そして、アラスネスカが没したのは、四〇〇年前。灰壺に納められたのもその頃。それ自体は問題ない。でも、その灰に残った残留思念が問題なのよ」
「というと」
呪物、とまで言われなければいけないとなれば、マザー・アリス教団にとって、その残留思念が、非常に都合が悪いものである筈だ。
「そうか、アラスネスカの記憶か」
「そ、ビンゴ。彼女は、自分が、五〇〇年前に、二〇〇年分の偽りの記憶を持って、自分が“誰か”に“造られた”ことを認識してたの。これはマザー・アリス教団にとって最も秘匿しなければならない問題よ」
ティフェリはそんな風に言って。
思案する僕に詳細を語った。
「アラテアに行けば分かるけど、驚かないように先に伝えとくね。アラテアには、一二〇〇年前とか、二〇〇〇年前からあるとされてる遺跡が沢山あって、住民達もそれを自慢げに喧伝するわ。つまり、アースウィルには、少なくとも、二〇〇〇年以上の歴史があるというのが、私達、アースウィルの民の常識。でも、アラスネスカは知ってる。アースウィルが、五〇〇年前に、マザー・アリスの手で、偽りの歴史の記憶と一緒に創造された世界だってことを。それは、要するに、アースウィルの古代の歴史が、マザー・アリスの壮大な嘘の塊ってこと。それが、教団にとって、絶対に秘匿しなくてはならない真実。だから、アラスネスカの灰が、教団の手の届かない場所で野放しになってたら、困るって訳」
「君は、何処でそのことを知ったんだ?」
ティフェリの話は、何となくありそうなことのようには聞こえたけれど、分からないのは、彼女が何処でその真実を聞いたのかだった。僕は首を捻った。ティフェリが、誰にその話を教えられ、何故それを信じたのか。普通なら、そんな馬鹿な話がある訳がないと、疑ってかかるような話だ。
「私はこれでも錬金術師の端くれだから。錬金術っていうのは、素材を混ぜ合わせて便利な薬品を作ったり、魔法的な素材を掛けあわせて便利な道具を作ったり、そうやって生計を立ててるけど、それは生業なだけで本分じゃない。錬金術っていうのは、そういった、ちょっと不思議な現象を研究することを通じて、世界の真理を探究する学問よ。ま、早い話、精霊石を精製して、精霊から聞いたってことだけど」
ティフェリは懐から、小さな石を出した。ほんのり水色に光っていて、水の匂いがした。
「なんてね。私も自分がなんで幽閉されたのか訳分かんなくて。精霊に聞いてみようと思ったから、ジエッドの目を盗んで造った。手頃な素材が水と砕けた石壁の破片しかなかったから、これは、水の精霊石。即席だから、飲み水を出してくれるくらいのことしかしてもらえない使い捨てだけど、それだけでも十分便利でしょ? って、そうじゃなかった。精霊石っていうのは普通には声を聞くことができない精霊と交信する為の道具でね。これで精霊さんから、私が何故囚われたのかを、教えてもらったの」
「へえ、すごいなあ。その精霊の声は僕にも聞こえるのかな」
僕が感嘆の声を上げると。
『もちろん。随分懐かしい声が、しっかり聞こえていますよ』
声が聞こえてきた。なんとなく、聞き覚えがあるような。
『わたしですよ。わたしは水の精霊ドネ。お久しぶりです、トカゲ殿』
「ドネ? ドネなのか。うわあ、久しぶり」
流石に驚いた。まさかアースウィルでドネの声を聞くとは思っていなかったし、そもそもドネは祈り子たるセラフィーナとロッタと一緒に、外世からの侵攻を食い止める防護を展開している筈だ。
『アースウィルのことはたいてい知っています。わたしたち精霊には禁忌などありません。疑問に思われている通り、わたしは動くことはできませんが、質問に答えるくらいであれば、今の状態でも問題はありません』
「ちょっと待って。ちょぉっと待って。え、どういうこと? 理解追いつかない。何でしれっと会話始めちゃうの? 久しぶりって何なの?」
混乱したように、僕とドネの会話にティフェリは割って入った。彼女からすると、精霊石の向こうにいる精霊と、僕が知り合いという可能性は想定外のようだった。
「うん、まあ。知り合いだからね。一時期、一緒にいたんだ。懐かしいね」
『本当に。たまに様子を聞いていますが、レレーヌもすっかり元気になったようです。土壌の改善も随分進んでいるそうですよ』
レレーヌ。ミスティーフォレストからレインカースに移り住んだドリアードだ。レインカースでの戦の終結後、腐った土壌を復活させるのに、エンタングラ達と共に、ニューティアン達に協力している筈だ。思わぬところで名前を聞くことになったけれど、元気にしていると知れて、僕もなんとなく嬉しかった。
「それは良かった。一時は死んでしまうところだったしね。持ち直してくれたと聞くと、ほっとするよ」
「うっ」
ティフェリが言葉に詰まった。
「聞きたい。何があったのか、すっごく聞きたい。でも、聞きたくない」
彼女が悶々と悩み始めてしまったので、僕も、ドネも、それ以上昔を語るのは、やめておくことにした。
『さて。アラスネスカの灰の話ですね。とはいえ、今夜はそろそろお休みになっては。明日にしましょう』
ドネに言われて。
「そうだね。そうしよう。いろいろ教えてほしいことがある、明日からよろしく」
僕もドネに同意した。




