第一章 聖騎士見習いとして(2)
先述したとおり、僕は人間に育てられた。
もともとはごくふつうのコボルドの群れに生まれた、ごく普通のコボルドの子供だったけれど、僕が生まれた群れは、冒険者に討伐され、僕を残して全滅してしまった。
そして寄る辺をなくした僕は荒野をさまよい、なんとか生き延びていたところを、エルナスという名の、人間の男性に拾われたのだ。おそらく変わり者の人間と言っていいのだと思う。
彼は僕に住む場所を与えてくれただけでなく、真剣に僕らコボルドという種が、何故人を襲うのか、何故敵対するのかを、なじるのでも、憎むのでもなく、真正面から向き合ってくれた。僕は彼を尊敬した。だから、僕は彼のことを、父さんと呼んでいる。
父さんとの暮らしの中で僕は人間たちが『協力』と『調和』と呼ぶ共存の価値観を学んだ。
それは、生き抜くうえで、自分たち種族以外を信用せず、自分の種族さえも信頼しない、いわゆるコボルドらしい生活では決して得られない、とても大きな力を生むものだと知った。
けれど、僕はコボルドで、人間のような頭脳も、ドワーフのような頑強さも、エルフのような魔力も、ピクシーのような俊敏さもない、弱い生き物だ。僕が彼らから受ける恩恵は大きいとしても、僕が彼らに与えられる恩恵などないに等しく、彼等の社会で僕が受け入れられることはないだろうと、ずっと思っていた。
それに、彼らは昼の世界を謳歌する生き物で、僕らコボルドは、夜目が利く代わりに昼は目がくらんでしまう生き物で、同じ世界に生きている仲間になれるとは思えなかった。はっきり言うと、僕は、昼の世界が怖かった。明るい時間というものが、僕を拒絶していると思っていた。
ところが、僕の価値観は、ある日に見た夢ですべてが変わった。その夢は、とても不思議な夢だった。
その夢の中で、僕はどこかわからない森の中にいて、だれかわからない老人に会った。そして、老人から、三つのことを聞いた。
ひとつは、僕はまだ弱いのは当たり前の子供で、誰かを助けたいという心があれば、無限に成長し、誰かのために貸せる力はかならず持てるのだということ。
もうひとつは、昼と夜、光と闇、それらは全く別の存在ではなく、もともと一綴りのもので、兄弟であり、姉妹であり、同じ『世界』に在る仲間なのだということ。
最後に、昼の世界は僕と友達になりたがっているのだということ。
老人は僕に説いた。拒絶しているのは、昼の光でなく、僕自身だということを。
その夢のあと、僕はなぜだかわからないけれど、昼の世界に立てるようなった。やっぱり光はとてもまぶしかったけれど、昼の世界は色鮮やかでとてもきれいに見えた。
僕は、父さんに、はじめて守りたいという心が理解できたことを、見た夢のことも全部含めて、たくさん話した。
その日を境に、僕の生活は大きく変わった。父さんに練習用の木剣や短弓、僕でも扱えるような盾を買ってきてもらい、家ではダミー相手に体力づくりや練習を繰り返し、森に出てはその成果を試し、獣相手に実戦経験を重ねた。
そして、そんなある日、僕はモンスターに襲われている人間の男の子を森で見つけた。僕は無我夢中で男の子を逃がし、大けがを負った体で家にはなんとか帰り着いたものの、そのまま何日も寝込んだ。
父さんは心配してくれて、何があったのかをしつこく聞いてきたけれど、人助けなんて初めてのことで恥ずかしかったし、男の子が無事だったか最後まで見届けられなかったのが悔しかったし、なにより嘘をついていると思われるのが怖かったから、僕は何も話さなかった。けれど、何日かして、男の子とその父親がお礼に来たことで、僕の行いは父さんの知るところとなった。
父さんには、嘘をついていると思うわけがないだろうということを、ものすごく叱られた。けれど、僕の行いと、自分から自分の行いを武勇伝のように自慢げに語らなかったことを、うんとほめてもくれた。前者はとてもいけないことだけれど、後者はとても大切なことなのだと教えてくれた。
それから何日かして、父さんはコーレン司祭を連れてきた。僕が夢の話をコーレン司祭にも伝えると、司祭様は、僕がもう少し人間の世界を学んだら、聖騎士見習いとして、修業を積まないかと、言ってくれた。僕が見た夢は、とてもすごい夢なのだと、父さんも、コーレン司祭も言っていた。そして僕が男の子を助け、大けがを負うような相手に挑んだということも、とてもすごいことなのだと言っていた。その行いをする思いがあれば、きっとその夢の通りに、僕はかならずなれるはずだからと。
でも僕は、まだ聖騎士というものがどういうものか知らなかったから、それはたくさんのものを守れる人なのかと聞いた。コーレン司祭も、父さんも、聖騎士というのは、まさにそのためのひとなのだと教えてくれた。それで、僕はその修行をすることに決めた。そして、それから今日までたくさん勉強をしてきた。野外で生き抜くための訓練もたくさんした。それが無限の成長のはじまりなのだと信じた。
そして、今日、聖騎士見習いの修行に入るために、大聖堂に、僕はやってきた。