第三章 次元世界からの襲撃(4)
研究者などの間では、世界が数多くの次元の集まりだということは常識らしいけれど、僕はほとんど知らない。異次元というものがあるということと、異次元から来たモンスターについての解説を本で読んで知っているくらいだ。そのままポータルの破壊に乗り出すのは非常に危険なことだと、コーレン司祭に言われ、短時間だけでも基本知識を詰め込むことになった。
大聖堂内では次元宇宙の研究は正式には行っていない。細かい話でなければアルフレッドが分かるというので、彼の部屋で教えてもらうことにした。念のためにエレオノーラにも同席してもらった。
「次元とは何か、次元宇宙とはなにかを語り始めると、それだけで早くても数ケ月かかる。長くても一〇分以上はかけないようにという注文だから、そこは飛ばすよ。まあ、僕たちが暮らしている世界には、構成している要素や、法則が異なる空間がたくさんあって、ぼくたちはそのうちの一つにいる、と思ってくれればそれでいい」
アルフレッドがそう言って、一つの模型を机の上に置いた。真ん中に長い柱でつながった円形の土台と円形の天板があり、その周りに大小異なるたくさんの半透明の球体が取り囲んでいる模型だった。
「これが、次元宇宙の概念を理解するために作られた次元宇宙立体模型だ。そして球体が次元、と言いたいところだけれど、世界を支えている天板や根本、柱も、そのものが一つの次元と言われていて、天板は善き神々が集う苑であり、模型の土台になっている最下層が悪なる神が巣くう奈落、柱はその間のバランスを保っている、中立の神々が暮らす塔だと言われている。塔の周りに浮かぶ球体が、生命体が息づく次元だ。生命が存在する次元は、かならずしもそれぞれが独立しているわけではなく、完全に内包されているものがあったり、一部のみ重なり合っているものがあったりしていて、魂と物質の両方の性質を持つ、ぼくたちのような生命が存在している次元は、必ず、物質界とも呼ばれるマテリアル界と、精神界とも呼ばれるアストラル界が完全に重なってできている。ぼくたちの次元はマテリアル界とアストラル界の両方そろってひとつであり、今回、敵がアストラル界に入り込んでいるということは、正確にはすでにぼくたちの次元が侵略を受けていることになる。ここまではいいかな?」
「イメージはつかめたよ」
僕はうなずいた。僕が生まれ、育ってきたこの世界が、こんなに複雑だとは思ってもみなかった。コボルドのねぐらで生きていたら、きっと僕にとっての世界はそれがすべてで、こんな次元宇宙なんて難解なものではなかったのだと思うと、不思議なものだ。
でも、今は呆けている場合ではない。アルフレッドの説明はまだまだ続くからだ。
「だいたいの状況はぼくも聞いた。今回やらなければいけないことは二つだ。まずひとつめは、マテリアル界で形成されつつあるポータルの破壊。これは絶対に達成しなければいけないことだ。ふたつめは、侵略者の首謀者の排除。これは今すぐに達成しなければいけない話ではないけれど、ポータルを破壊したところで、また新しい方法でマテリアル界への進出を目論んでくるだろうから、放置はできない」
「なるほど」
僕が納得の声を上げると、
「ところが話は君が思っているよりも簡単じゃないんだ」
アルフレッドは思案顔でため息をついた。
「前者は乗り込んでいって物理的に破壊するだけだから問題ないと思う。大変なのは後者だ。ぼくたちはそもそもアストラル界を感知する能力をもたないから、マテリアル界に出てきたところを叩くか、アストラル界に乗り込む能力を持っている人に連れて行ってもらう必要がある」
アルフレッドは僕の顔を見た。
僕が理解できないでいると、彼は、
「理解できなくても無理はないよ、これから説明するから大丈夫」
と笑った。
「まず、実はぼくたちはアストラル界にも存在しているのだけれど、アストラル界に自分の姿を持たないんだ。光とか闇とかで漂うだけで、武器をふるう腕も、敵を蹴る足もない。だからアストラル界で戦う場合、自由に活動可能な能力を持っている人に、自分の姿をアストラル界に投影してもらう必要があるんだ。とはいえ、そういった状態だから、いきなり満足に戦えるとはいいがたい、かなり危険な試みになるんだ」
それは、確かにアルフレッドの言うとおり危険だ。
出向いた先で強力なモンスターやデーモンでもいようものなら、僕らなど羽虫のようにひねりつぶされてしまうだろう。
僕は唸り声をあげて、答えた。
「聖騎士レンスに相談して、そちらの敵の本陣は正規の聖騎士たちに動いてもらうのはどうだろう」
「それは危険かな。マテリアル界での強さは、アストラル界には持ち込めないから、百戦錬磨の兵を送ったところで役に立つとは限らないんだ。もちろん聖騎士たちは、魂や精神は折り紙つきの強さだから、アストラル界でも、そう簡単に倒されはしないと思うけれど、発想力とかの魔法使い的適正において、ちゃんと敵を攻撃できる能力を持てるかが疑問だ」
アルフレッドが困ったように笑う。
けれど、僕はアルフレッドの話が本当ならば、答えがおのずと出る気がした。
「それなら、僧兵を動かしてもらったらどうだろう。彼等なら魔法的神秘にも重点を置いた訓練を積んでいるし、アストラル界適性が高そうな気がする」
僕が案を口にすると、アルフレッドもうなずいた。
「うん、ぼくもそれがいいと思う。もしくはぼくみたいに戦闘訓練も積んでいる神官とかね。そこで提案だ。首謀者の排除については、ぼくのほうで動こうと思うんだけれど、任せてもらえないかな」
けれど、彼の提案に、エレオノーラが不満げに口を挟んできた。
「それは同意できません。私が接触したアストラル生命体の話では、今回の敵は戦力的な脅威としてはそれほどのものでもないため、アストラル界では放置されているとお聞きしました。マテリアル界での強さは推し量ることはできないけれど、すくなくともアストラル界を揺るがすような脅威ではないと。アストラル生命体からは、ラルフ様のような方が協力者として適任だろうとお聞きしています」
「失礼ながら、ぼくはその話は鵜呑みにすべきでないと考えています、殿下。ぼくはそのアストラル生命体を信用できない。タイミングよく殿下に接触してきたことも都合がよすぎるし、ラルフを協力者として勧めたというのも、根拠に乏しいです」
アルフレッドも引かなかった。
「ぼくもラルフが特別なコボルドだということに異論はないです。でも彼は、見習いの聖騎士でしかないのです。だからぼくは、彼はぼくの大切な友達だから、彼を大きすぎる危険に巻き込んでほしくないのです」
「ありがとう、アルフレッド」
僕もアルフレッドの言葉に賛成だった。今回の問題は、セレサルの人々の命すべてがかかっている。失敗が許されないからこそ、アルトラル界を経験したことがない僕が安易に引き受けてはいけない話だ。
「エレオノーラ、ポータルの破壊と敵の首謀者の排除はそれぞれ簡単なことではないし、僕には両方をこなすだけの実力はないと思う。可能なうちに、それぞれに別々の戦力を充てるべきだよ。僕もアルフレッドに賛成だ」
「ですが……」
エレオノーラはそれでも不満げだった。けれど、現実は変え難く、これ以上の論議を続けるのは不毛だろうと僕は思った。
そして、僕たちには全員が納得できるだけの時間も、可能ならと言っている時間も、すでになかったのだと、すぐに思い知ることになった。
アルフレッドの部屋に、コーレン司祭の補佐役の神官が、息を切らして駆け込んできたからだった。
「司祭様がお呼びです。領主様の伝令が来られ、交易地区で突如正体不明のモンスターが大量に出現したとのことです」
その言葉を聞き、僕たちはコーレン司祭の執務室に急いだ。