第三章 次元世界からの襲撃(2)
分解したカンテラを組み立てている暇はない。僕はカンテラをあきらめ、そのほかの装備だけを持って、僕は大聖堂を出た。
不安要素はまだある。昨日の今日で補充できる訳もなく、矢が八本しかない。けれど、買いに行っている暇もなかった。
「何で門の向こうから反応が」
オーブが反応する方向を追って、住宅地区と市場地区の間の門の一つ、東側の門までやってきた僕は、そこでまた反応の方向を確かめると、顔をしかめた。
迷子だとしたら方向音痴すぎる。領主の屋敷はもちろん住宅地区にある。そこから大聖堂に移動するために地区間の門をくぐることはあり得ない。大聖堂という言葉の意味を知らないというのなら話は別だけれど。
住宅地区の通りを抜け、僕は市場地区に入った。もう一度オーブを見る。反応はまだ街の外側方向だ。
市場地区と交易地区の門での反応も、まだ街の外側方向。その先は、冒険者向けの鍛冶屋が多く集まる場所だ。
交易地区に入ると、反応の方向が変わった。街の外に出たわけではないのかもしれない。
反応を確かめながら、武具店や鍛冶屋が軒を連ねている通りを進むと、一軒の鍛冶屋から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「あの、それでは間に合わなくてですね。持ち合わせはあるのです。もう少し早く出来上がりませんか?」
エレオノーラが鍛冶屋と話をしていた。すぐそばに、板金鎧を着て、フルフェイスの兜をかぶった人が控えている。体格からすると女性だろうか。
「おはよう。勝手に歩き回ると危ないから、ひとまずは言われた場所にまず来ようね、みんな心配するよ」
と、僕は背後からぶしつけに声をかけた。
「それはまあ別にして。どうしたの?」
「いや、こちらのお譲さんが今すぐに紋入りの剣を打てっていうんですよ。無理だって説明してもわかってくれなくてですね」
鍛冶屋が教えてくれた。
「そうなんだ。鍛冶屋さんを困らせちゃだめだよ。そんなに無理に急いでもらったって、形だけの粗悪品以下の品質で使い物にならないし、それは無茶だから」
エレオノーラをたしなめると、彼女は驚いた顔をした。
「まあ。ラルフ様。おはようございます」
「どうして剣を注文しようと思ったの? レウザリムに戻ればいくらでも作ってもらう時間がありそうなのに。仮に今必要だとして、改めて作らなくてもあるでしょう?」
僕はエレオノーラが何を考えているのか理解できず、尋ねた。
「いえ、昨日のお礼に、ラルフ様に剣をさしあげたいなと思ったのです。時間がかかるものなのですね」
エレオノーラが残念そうに答えた。
「そういうことか。ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ。でも、人を心配させてまでこんなところに寄り道するのはいけないことだ。みんな待っているから、まずは大聖堂へ行こう」
ひとまず、迷子とか、また攫われたとかでなくてよかった。僕はそう思いながら、手を差し出した。
「しがないコボルドではございますが、よろしければわたくしめがエスコートすることをお許しください、お嬢さま」
「よろしくお願いします」
僕の手を取って、エレオノーラが、にっこり笑った。僕は彼女の手を引き、
「ご迷惑をおかけしました」
鍛冶屋さんに謝ってから、大聖堂に向かって歩き出した。鍛冶屋さんは笑って見送ってくれた。
護衛の女性は何も言わず、少し後ろを歩いついてきた。昨日の人とは別人なのだろうか、表情が見えないため、話しかけるきっかけがつかめなかった。
「ロッタ様は、大聖堂に泊まられたのでしょうか?」
エレオノーラが話しかけてきた。
「うん、たぶんだけど。そうなんじゃないのかな。会っていないから僕にも正確には分からないけれど、セラフィーナとひと晩一緒だったんじゃないかな」
朝もセラフィーナたちとは顔を合わせていなかったから、僕はあいまいな返答をした。あれから宿を手配するのも大変だったろうし、きっと間違ってはいないと思う。
「本当に、昨日のことは、何とお礼を言っていいか分かりません。彼女のお姉様も、彼女の無事をきっととてもお喜びになったのでしょうね」
歩きながら話すエレオノーラには、捕らわれたことに対して、恐怖やトラウマを引きずっている様子は見られない。さすがに王女様となると、子供でもそのくらいの精神的な強さが養われているのだろうか。
「そういえば、君はセレサルにどういった用事があるの?」
僕はまだ分かっていない疑問をぶつけた。
市井の馬車にわざわざ紛れて来るような用事とはいったい何だろう。
「私の用事は、もう半分ほど済んでいるのです。実は、ラルフ様にお会いしたくて参りました」
エレオノーラはそんなことを言った。
なんでまた、という気がしないでもないけれど、初めて会った時も僕のことを知っていると言っていたな、と僕は思い出した。
「それなら今回みたいな訪問の仕方でないほうが良かったんじゃないかな」
僕は本気でそう思った。僕はエレオノーラが王女様でもその辺の女の子でも、会いたいと言われれば会ったのに。
「そのほうが楽しいと思ったのですけれど。軽率だったと反省しています」
エレオノーラが言った。
今日の寄り道もたいがい軽率だけどね、と言おうか少し迷って、僕は言わないことにした。何回言ってもたぶん変わらないのだろう。
交易地区を過ぎ、市場地区に入る。
すると、道端で売られている果物の山に興味をひかれたらしく、くいくい、と手を引っ張られた。
「あの、あそこで売られている、黄色い実は何ですか?」
「え? あれはザボンだね。砂糖漬けにすると美味しいっていうけれど、実は僕もまだ食べたことはないな。甘いものは苦手で。レウザリムにはないの?」
確かにあまり見かけない果実かもしれないな、と思いながら、僕が答える。エレオノーラは、
「初めて見ました。オレンジではないのですね」
と、不思議そうに眺めていた。欲しいと言われたら、そのまま剥いて食べるのにはむかないよと答えようと思っていたけれど、エレオノーラは食べてみたいとは言わなかった。
市場地区を過ぎ、住宅地区に入った。
天気がいいので、人通りが多い。家の前で花壇に水を撒いている人、買い物袋を提げた人、何かの包みを持った人、いろいろな人がいる。
「セレサルは、活気がある街ですね」
楽しそうに、エレオノーラは人々の様子を眺めながら歩いていた。道行く人に僕がたびたび声を掛けられるのを、
「まあ。人気者なのですね」
エレオノーラは目を輝かせて自分のことのように喜んでいた。それとは対照的に、護衛の人は、始終無言で、ただエレオノーラのあとをついて歩くだけだった。