第一章 聖騎士見習いとして(1)
この手記の内容は、美しい石造りの大聖堂の一室で始まる。季節はちょうど春で、庭には色とりどりの花が咲いていた。
献身と自己犠牲の精神を教義とする神、カレヴォスという神を祭る大聖堂の、応接室だ。
そこに、老年の人間の男性が一人、妙齢の人間の女性がひとり、テーブルをはさんで、人間ではない生物が一匹。応接室のひとつしかない扉のそばに、大槌を掲げ、全身鎧と円盾で武装した二人の人物もたっているけれど、彼らはまるで置物のように動かず、話に加わる気配はない。
室内の調度品は、上質なオーク素材の家具で統一され、純白のカーテンが窓には閉められていた。
「さて、君はどこまで世界のことを学んでいるのか、まずは、聞かせてくれるかね」
老年の男性が言った。背は高くなく、きれいな青色の目と真っ白い髪をした人物で、司祭服を着ている。当然、この聖堂の司祭だからだ。老年の男性の名は、カルダン・エル・コーレンという。
テーブルの上には、世界地図が広げられていて、コーレン司教の目は、向かいの生物と、地図を交互に見ていた。
「ええと」
向かいにいる人間でない生き物が口を開く。
何を隠そう、その生き物こそが、この手記を記している僕自身だ。
僕は、体格は人間の半分くらいの、トカゲ型の人型生物だった。尻尾も生えているし、全身は赤銅色の鱗で覆われている。人間たちがコボルドと呼ぶ生き物、それが僕だった。
コボルドというのは、通常は献身やら自己犠牲とはもっとも縁の遠い種族だ。村や旅人を襲い、道具や食糧、家畜を奪っていく害獣のような生物で、紛うことなきモンスターだ。人間たちからは相容れない、すべての個体が悪の生物という認識で広く知られている。常に集団で行動し、夜をこのみ、昼を嫌う。好戦的にして臆病、分が悪いと見るや蜘蛛の子を散らすように逃げだす弱いモンスターではあるけれど。協力とか、統制とか、そんな言葉なども存在しない。ただ、手先は割と器用で、罠を用いるくらいの悪知恵はある。僕も小さいことから多少の仕掛けくらいはいじり倒してきた。
けれど、僕には普通のコボルドとは違うところがあった。人間に拾われて、一年ほど人間の倫理観というものを学んだので、今では自分の種族の性質とは全く違う価値観を持っている。僕は人間の言葉が話せるし、読めた(何故覚えたかということについては、人間たちには面白くない話だろうけれど、人間の言葉が分かったほうが、人間の集落や旅人を襲う際に身の危険を察知しやすいと思ったからだ。僕が生まれた群れのねぐらは人間の屋敷の廃屋だったから、資料には不自由しなかった)から、人間のことを学ぶのに言葉の苦労はなかった。
僕は、僕を拾った人間から、ラルフ、という人間と同じような名前ももらった。そして、誰かのために何かができるならうれしいと思える心を教えてもらった。そういうコボルドだった。
話を戻そう。僕はテーブルの上の地図を指さしながら口を開いた。
「まず、僕たちがいる国は、西の大陸、カレドアース大陸の北西地域にある、レウダール王国という国です。レウダール王国は、北東にケルダム、南にエルサーンという兄弟国があり、それぞれ同じ王国を祖に持っています。この三つの国は初代国王たち三兄弟が親族内の醜い王位継承争いを嫌い、貴族、国民との合議の上、国を三分割し、それぞれが治める王国としたことに端を発していることから、兄弟国として長く親交を続けていて、今も元来の国の名を用いて、エレステレス三同盟国を名乗っています」
僕が国の説明をすると、コーレン司祭は満足そうにうなずいた。
「よく勉強されていますね」
隣の女性も、穏やかに微笑んだ。
「この街についてはどうですか?」
「はい。この街は、レウダール王国の西地方にある都市で、名前はセレサル。商業都市ですが、神学の研究も盛んにおこなわれています。街のシンボルはカレヴォス神の大聖堂、つまり、この、サール・クレイ大聖堂です。カレヴォス神の信徒が最も多い都市ですが、商業都市だけに商売の神レグサンドも広く信仰されています。この二つの神はその善きを道とするか、中立を道とするか、価値観こそ異なるものの、互いを尊重しあい、よい関係が続いているといわれています。セレサルの人口は約一万五千人といわれ、大半が人間で、人口の約二割がドワーフ、さらに約一割の人数のピクシーが暮らしています。エルフをみることはまれで、もしいたとしてもたいていは冒険者などの旅人です。街はサール・クレイ大聖堂を中心に、遠心状に大きく分けて四区画に分かれていて、いちばん外側が多くの農家が暮らす田園地区、その内側に旅人向けの宿屋、酒場、商店などが集まる交易地区、さらに内側に町の住民向けの商店が軒を連ねる市場地区、いちばん内側が住宅地区になっていて、それぞれの地区の間には高い壁があり、東西南北の大通りにある門を通じてのみ往来が可能という構造になっています。とはいえ、基本的には開放的な風土のため、往来には特に手続きなども必要なく、地区間の通行は自由に可能と聞いています」
僕は本で読んだ解説を、そのままそらんじた。それ以上の知識は持っていなかったし、そもそも、都市というものを訪れたこと自体、初めての経験だったので、実体験に伴う知識というものはないのだから。自分の足で歩いた都市も、自分の目でつぶさに見た都市も、ひとつもなかった。人間たちに僕が友好的なんてことはわかるはずもなく、人は常にコボルドに敵対的だから、僕が通りを歩こうものなら、即座にコボルドが都市に入り込んだと駆除されてしまう。
「よくできました。素晴らしい知識です」
女性がまた笑う。彼女の名前は、マリー・レンス。美しくまっすぐに伸びた金髪を長く垂らした、うすいグレーの目の女性で、コーレン司祭よりすこしだけ背が高い。女性用の白い神官服がよく似合っているように見えるけれど、もしかすると僕の感性は人間とは違うかもしれないから、だれが見てもそう見えるのかは自信がない。悪に対する勇猛さは大聖堂一の聖騎士だと話には聞いていた。
「では、ラルフ。今度はあなたのことを教えてください。コーレン司祭からだいたいのいきさつは聞いていますが、あなたの口から、きちんと聞きたいわ」
「はい。レンス様」
僕がここにいる理由。それはちょっと複雑ないきさつがあった。ちょうどいい機会だから、それも記しておこうと思う。