05
婚約の件がはっきりするまでは、ロドニー様と会いたくなかった。
ううん、はっきりしても怖いから会いたくない。だから、学院に行きたくなかった。
昨日みたいなことを言われたりされたら本当に困る。だから、朝は早朝に出かけ、馬車から降りると教室まで走った。下校の時間まで教室から極力出ないようにして過ごし、なんとかやり過ごすことにした。
ジェニファーだけには何があったのか連絡をしておいたけど、お昼休みも家から持ってきたパンと果物、そして水筒のお茶だけですごしていたから、そんな私をスタン君だけではなく友人たちが心配する。
「どうしたの、リラ?」
「お食事がパンだけなんて、それで足りるの?」
「ええ、大丈夫ですよ。前回の成績があまりにも酷かったから、今度も悪かったら夏休み中ずっと家庭教師をつけるって父が言ってるの。だから勉強しないと」
そんな言い訳をして、机の上に教科書と問題集を広げている。マイク様も何か言いたそうだったけど、私が目を逸らすと近づいてはこなかった。
帰る時もロドニー様がいないことを確かめながら廊下を進み、正面玄関は避けて、大回りだけど運動場から馬車の停車場まで走った。
「リラ、ちょっと待って。どこに行くつもりなんだよ」
その途中に、後ろから呼び止められて、危うく転びそうになった。
「ごめん、大丈夫だった」
「スタン君」
声でわかっていたけど、彼の姿を見て安心した。追いかけてきた人がロドニー様じゃなくてよかった。
「いったいどうしたんだよ。何かあったのなら僕に相談してくれないか」
ロドニー様から婚約の申し込みがあって、それに昨日のことがあったせいで怖いから逃げ回っているなんて、スタン君を巻き込むわけにはいかないから言えるわけがない。
スタン君は子爵家で、ロドニー様は伯爵家。
万が一スタン君が私のために食って掛かったりしたら、スタン君の立場が危うくなってしまう。
「教えてくれなくても、ジェニファーとジュード様がロドニー様とやり合っているみたいだから、だいたいは想像つくけど」
「ジェニファーたちが?」
「リラの名前は出してないから、はた目にはジェニファーの取り合いをしているみたいに見えているそうだから心配しなくて大丈夫だよ」
「そうだったんですか……」
私がこんなだから、すべてを知っているジェニファーが苦言を呈したのかもしれない。
「それで、何があったんだよ。ロドニー様から何か言われたのか」
「スタン君……私……」
「うん」
婚約の話を断ることが出来なかったら、あの怖い人に囚われてしまう。
「あの……」
「うん」
そんなの絶対に嫌。
「私と、婚約してもらえませんか?」
「え!? 婚約?」
「あ!」
私、勢いでなんてことを。
「婚約って、いきなりどうしたんだよ。リラはまだ自分の気持ちがよくわからないって。だからゆっくり時間をかけて僕のことを受け入れてもらおうと思っていたのに」
私は思いきり首を横に振る。
「私の気持ちははっきりしています」
「そうなの?」
「じゃなかったらこんなことを言い出したりしません」
前の私だったら、こんな自分を求めて、受け入れてくれる人がいて、私自身、相手に嫌悪感がなければ、結婚は速やかに決まると思っていた。
でも今は、スタン君以外の人と結婚するなんて絶対に嫌。
スタン君以外の男の人が恐ろしくて信用できない。
「だったら、リラが今、どんな気持ちか聞いてもいい?」
「はい。私はスタン君以外は無理なんです」
「それってどういう意味」
「あ、ごめんなさい。変なことを言ってしまって」
「違う。そうじゃなくて。嬉しい、すごく嬉しんだけど、不意打ちはちょっと心臓に悪いんだよ」
それは、私も少し前に経験したから、突然の告白に焦るのはわかる。思わず口に出ちゃったけど、あの時のスタン君の気持ちが少しだけわかった気がした。私の一言で彼が動揺していて、初めて見せるその姿がなんだか嬉しい。
「ちょっと、なんで笑ってるの」
照れ笑いしているスタン君が可愛い。
「楽しいから?」
ああ、やっぱりスタン君と一緒にいるとほっとする。他の人じゃだめなんだ。
「それ、なんで疑問形なんだよ」
「なんて言ったらいいのか、伝え方が難しくて」
男の子に可愛いなんて言ったら嫌がるかもしれない。
「僕以外無理ってその言葉をそのまま考えたら、リラは僕のことが……その……好きってことでいいのかな?」
「す……」
私ははっきり伝えようとした。でも声にならなくて、口の中で言葉がとまる。
それを自分の意気地なさと一緒に一度ごくんと飲み込んだ。
いざとなったら、伝えたい大事な言葉が、喉で詰まってしまって口から出てこない。だから、一度深く息を吸った。そんな私をスタン君は何も言わずに待っていてくれた。
「す、好きです。大好きです」
改めて伝えようと思うと、その一言が恥ずかしかった。制服のスカートを握りしめやっとのことでスタン君に自分の気持ちを伝える。
「本当に?」
「本当です」
スタン君といると私は胸の中が暖かくなる。昨日のロドニー様と比べたら雲泥の差だもの。
「すごく嬉しいよ。僕もリラが好きだ。そうと決まれば、今から、僕も一緒にリラの家に行くよ」
「うちに?」
「リラに受け入れてもらえたら、いつでも婚約を申し込んでもいいって、親には言質をとってあるんだ。だからあとはリラのご両親に認めてもらえばいいだけだから」
「ご両親ともうそんな話までしていたんですか」
「もうって言うか、ずっと前からだけど。そのかわり、リラに振られたら、親が決めた相手と結婚するって約束もしてる」
「ずっと前から?」
「そうだよ。プロポーズだって、いろいろ考えていたのに。なのに、リラに先を越されちゃったな」
「それはごめんなさい。私、スタン君以外の人と結婚するなんてどうしても嫌だったので、つい」
「うわあ、めちゃくちゃ嬉しいんだけど、どうしよう」
スタン君は照れながら、自分の頭をがしがしかいている。私の言葉で一喜一憂している彼が愛おしい。こんな気持ちになるなんて、ちょっと前までは思ってもみなかった。
「スタン君が私のことを好きになってくれてよかったです」
「リラが僕のことを好きになってくれてよかった。じゃあ、改めて」
今まで笑っていたスタン君が真顔になった。
「僕と結婚してください。一緒に幸せになろう」
そう言って右手を出した。
「はい。よろしくお願いします」
私はその手を自分の両手でしっかりと包んだ。
◇
善は急げということで、スタン君を家に連れて帰った私に、うちのみんなは驚いていたけど、それ以上に喜んでくれた。
だからほっとする。
父たちも小さな頃から彼のことは知っていたし、性格もわかっているから私のことを任せられると言って、祝福してくれた。
そしてトルネド家からの申し込みは、他に約束している人がいるということで、早速断りの連絡を入れることになった。
その件は、トルネド家も意外とすんなり受け入れたそうだから、ロドニー様以外は私のことなんて望んでいなかったんだと思う。
これでとりあえず安心して過ごせるけど、ロドニー様が諦めてくれたのか、それがはっきりするまでは警戒が必要。二度とあんな目にはあいたくない。
だから、晴れて婚約者になったスタン君に行き帰りは付き添ってもらえることになった。
迷惑を掛けたくなかったけど。
「堂々と恋人宣言ができる」
って喜んでくれたからよかったみたい。
それからロドニー様は『希少な植物の栽培方法を研究をする会』に顔を出すことがなくなったので、会うこともなかったし、あの時のように待ち伏せされることもなかった。
クラスメイトの噂では、私に絡んできた翌々日くらいに左頬を腫らして痛々しい状態だったそうだけど、何があったのかはわからなかった。
ジェニファーに聞いてみたら
「ロドニー様のことは、スタンがすごく怒っていて、それは兄もだったってだけよ」
という返事が返ってきた。
「もちろん私もよ」
どっちにしても、私のことを避けているようだし、話し掛けられても困るから、その方がいい。でも、一度だけ、ロドニー様とすれ違った時に
「酷いことをしてごめんね。もう近づかないから」
という声が聞こえてきたことがあった。
逆にあの後から、私を視界に入れることすら拒んでいる感じだから、私のためにスタン君とコーディお兄様が彼に何をしたのか気になる。
「リラが気にするようなことではないわ」
ロドニー様のことや、恋愛感情で誰かを傷つけたとしても、私が受け入れられない以上、仕方がないことだとジェニファーに言われた。
「時間が過ぎれば、いずれ、みんな新しい恋をみつけるわ。だから、リラは好きな人のことだけ考えていればいいと思うの」
ジェニファーがいう通りだと思う。
私は、ロドニー様と、それから、時々こっちを見ているマイク様のことは、もう考えないようにしている。他の男の人のことで悩んでいたらスタン君にも悪いから。
◇
「リラ、帰ろうか」
「はい」
握られているスタン君と私の手。初めは恥ずかしかったけど、今はスタン君の手のぬくもりを感じることが当たり前になっている。
あの日、ジェニファーが彼らを焦らせなかったらどうなっていたんだろう。
ふとそんなことを思ったりもするけど、私はやっぱりスタン君が求めてくれたのなら、他の誰でもなくその手を取ったと思う。