04
次の日、休み時間になるとスタン君は私の席までやってきた。
同じ子爵家だからクラスは一緒。お昼休みのような長い休憩時間はジェニファーと過ごすけど、教室ではお互い同性の友達と過ごすことが多い。
「ごめん、リラに話があるんだけど、ちょっといい?」
いつものように、仲がいい女の子たちが集まりかけていると、スタン君が他の子に謝って、私を廊下に誘った。
そのせいで、私たちが気になるのか、クラスメイト達の視線がすごい。マイク様も同じクラスだから、視線を向けられてしまった。周りの目が気になったので私たちは急いで廊下に出る。
「すごく注目されてたな。うっかりしてたけど、リラの気持ちがはっきりしていないのに、クラス公認の仲になったらまずいのか。やっぱりジェニファーたちの輪の中にいて、二人だけで過ごすのは学院外のほうがいいのかも」
スタン君は私に気を使ってそう言ってくれた。
「それに考えてみたら、婚約もしていない僕たちが付き合っていると思われるのは、あまりよくないのかもしれないし」
どちらも今後、家の事情で政略結婚がないとはいえない。もしそうなったら、傷つくのは私たちだけではなく、決まってしまった結婚相手にも禍根を残すことになる。
「二人きりで話ができないのは残念だけど、人前では気をつけよう」
「そうですね」
そんなわけで、学院内では今まで通り過ごすことにした。その後、いつもと同じように午前中の授業を受け、お昼休みになったので、私はいつものように食堂に向かう。
「ねえねえ、リラってとうとうスタン様に告白されたの?」
歩いている最中にクラスの友達から突然質問されたので驚いた。いつの間に噂になっていたの?
「え? どうして?」
「なんか二人の感じがいつもと違うから」
そう思ったのは、休み時間のことで、昨日のことが噂になっているわけではないらしい。
「でも、やっとって感じですね。二人ともそういうことには疎そうだったので、このまま卒業してしまうのかと思ってましたわ」
「やっと?」
「みんな、二人のことを見守っていたんですのよ」
知らなかった。通りで、スタン君を好きだという子が現れなかったわけだ。もし、誰かに応援してほしいと言われていたら、もっと早く彼のことが気になっていたのかな。
「でも、付き合っているわけではないんです。私たちは婚約をしているわけではないんですもの」
スタン君が婚約まで考えているのかわからないし、変な噂が流れないように、学生のうちは友達に毛が生えた程度の恋人未満でいることが普通だ。周りを見ても、あとあと問題になるような付き合い方をしている人たちはごく一部で、みんな醜聞にならないように気をつけている。
「それはそうね。だから要領のいい人達は研究会を隠れ蓑にしているんですもの」
「でも、相思相愛の恋人同士って憧れるわ」
「私も好きな方から好きだと言われたいわ。学生のうちの一時だったとしても、我を忘れるほどの、燃え上がる恋を経験してみたいもの」
「そうなんですか」
中には、親が決めた相手と、学院内で付き合っている相手との間でもめている話も聞く。それは、面白おかしく噂話が流れているから、そういうのは絶対に困る。私は目立ちたくないし、恋愛とかよりも穏やかに過ごせる方がいいんだけど。
その日はいつも通りに過ごして授業が終わったあと、迎えの馬車の順番が来るまで教室で時間を潰していると、スタン君からこっそり「今度の休みに誘うから」とメモ書きを渡された。
みんなの目を盗んでこんなやりとりをしていることに、いろんな意味でドキドキしながらも、そのメモをなくさないように、私はきちんと鞄にしまった。
「そろそろいいかしら?」
「そうね。帰りましょうか」
子爵家の私たちは、公爵家を筆頭とした上級貴族の子息令嬢が帰るまで、馬車の順番待つことになる。
早く帰りたいと思っても、ずらっと馬車が渋滞している横を歩いて、自分の家の馬車のところまで歩いて行かなければならないし、そうしたところで、結局は馬車を走らせることができない。
格上の家の邪魔をしたらいけないので、下級貴族が道を塞ぐ行為は咎められてしまうから、馬車に乗ってからも道が開く順番を待つ必要があった。
授業が終了してだいたい一時間くらいはたっている。このくらいたてば、待合所にも上流貴族の生徒は少なくなるので、私はクラスの友達と門の方へと移動した。
自分を迎えに来た馬車を見つけた人から「ごきげんよう」「また明日ね」と挨拶をして別れを告げてく。
今日はうちの迎えが遅れているみたいで、みんなが帰った後もひとりでしばらく待っていた。
それにしても遅い。あたりが薄暗くなって、人もまばらになってきたのに、どうしたんだろう。
「困っちゃったな」
気になって、停車している馬車を確認してみれば、かなり離れた停車場にそれらしき馬車を発見。
遠かったことと、うちの馬車の手前に、やけに豪華な馬車が停まっていて、それの陰になっていたからわかりにくかったみたい。
それにしても、なんで、前が空いたのにあそこに停めたままなんだろ?
不思議に思いながらも、私は速足で歩いていく。
「リラ!」
突然、名前を呼ばれたので、驚いて足を止める。
「あっ……」
豪華な馬車はトルネド伯爵家のもので、私の名前を呼んだ人はロドニー様だった。
彼が馬車から降りてきたけど、昨日の今日で、私はどんな顔をしたらいいかわからない。
「ちょっと話を聞いてほしいんだけど、だめかな?」
「あの、話って」
「俺はリラが幸せだったらそれでいいと思っているんだ。だからこそ、スタンのことで忠告があって。俺の経験談だから、これからの二人には役立つと思うよ」
「そうなんですか」
「立ち話は目立つから、とりあえず、うちの馬車に乗ってくれないかな」
「でも、馬車を待たせているので」
「リラの御者には話を通してあるから大丈夫だよ」
「わかりました」
忠告ってなんだろう。昨日私はあんな態度をしてしまったのに、相変わらずロドニー様は優しい。
私は言われた通り伯爵家の馬車に乗り込んだ。
「それで、お話ってなんでしょうか」
「うん。すごく大事なことなんだ」
向かい側の席にいたロドニー様が、私の真横に座り直した。
「あの、ロドニー様、距離が近すぎませんか」
「そうかな?」
私が目を逸らしながら、座っている位置を反対側にずらすと、彼はその隙間をつめてきた。
その態度に困ってしまって、私が馬車のドアに手を掛けると、ロドニー様がいきなり腕を掴んだ。
「ロ、ロドニー様!?」
「大きな声は出さない方がいいんじゃないかな。こんなところで騒いだら目立っちゃうと思うよ」
今日はスタン君とのことで、クラスがざわついたばかりなのに、その上、ロドニー様にこんなことをされたら、よくない噂がたってしまう。
「リラが大声を出さなければ、外からは見えないから大丈夫だよ」
ロドニー様の言うように、窓にはレースのカーテンが掛けられていた。
「その手を放してください」
「そうしたら、逃げちゃうでしょ。それに、放したくないから、そのお願いはきけないよ」
「あっ」
私は両手を掴まれて、動けなくなってしまった。
「困ります。馬車から下ろしてください」
「だから駄目だってば」
「なんでこんなことするんですか」
「だってリラのことが好きだから。昨日、あれからひとりになって、俺はすごく考えたんだよ」
早く解放してほしいから、ロドニー様の話に口を挟まず、反応も質問もせずに黙っていた。
「リラが俺よりスタンのことを気にしているのは、やっぱりそばにいた時間の問題だと思うんだよ。だから、一旦は引こうかなって思ったんだけど、最後のあがきで押してみようかと思って」
「ごめんなさい。私はロドニー様の気持ちに応えることはできません」
スタン君がどうこう言う前に、ロドニー様のことはなんとも思っていない。だからすぐに断りを入れた。
「ほら、やっぱりわかってない。誰が本当に好きなのか、リラはそれをちゃんと考えないとね。それから、言っておくけど、俺はこう見えても一途なんだ」
ロドニー様が掴んでいる手に力を入れる。
「俺は誰にでも優しいと思っているでしょ? 本当は全然そんなことないんだよ。リラに話しかけるには、周りのみんなも平等に扱わないといけなかったから、仕方なかったんだ。今までは君が逃げてしまわないようにいい人のふりをしていたけど、そのせいで、本当に逃げられてしまったら嫌だって思ったんだよね。だから、手が届かなくなる前にこうやって捕まえるしかないかなって」
「痛っ」
腕に痛みが走った。
優しく微笑みかけてはいるけど、身体が震え出すほどロドニー様が怖い。どうしよう。すごくまずい状況に追い込まれてしまった。
「君はスタンのことも優しいと思ってるよね? あいつは、本当にただ隣にいただけなのに」
私はそれだけでよかった。スタン君に何かしてもらおうなんて思っていない。そばにいてくれたらそれだけでいい。
「俺だってリラのそばにいたかったけど、周りに人が集まってきちゃうから仕方ないじゃないか。でも、もういいんだ。誰も近づけないことに決めた。リラ以外は」
そう言いながら掴んでいない方の手で、私の頬に優しくふれた。恐ろしくなって、急いで身体を引く。
「そんなに怯えなくても大丈夫だよ? リラのことは俺が守ってあげるから。だから、リラも俺のことをちゃんと見てよ」
今度は私の顎を掴む。そして無理矢理目を合わせようとする。
誰か助けて。
「助けを呼びたい? でもね、この馬車に乗ったのはリラの意思だし、俺を悪者にするのはお勧めしないよ。家格の差もあることだし、子爵に迷惑を掛けたくないでしょ」
「それは脅しですか」
「やだな。誤解しないでよ。リラを愛しているだけなんだから。でも、騒いでも構わないよ。だって、俺との間に何かあったっていう噂が流れた方が手に入りやすいと思うんだ」
大声を出せば、すぐ近くにいるうちの御者が気がついてくれるかもしれないけど、先に牽制されてしまった。
うちの問題だけではなく、誰に見られるかわからないこんな場所で、人気者のロドニー様相手に騒ぎを起こしてしまったら、そのあと、私の立場は地に落ちる。
彼はきっと、それも計算のうちなんだと思う。
「泣くほど嬉しいんだ?」
歯を食いしばっている私の姿を面白そうに眺めている。
「ずっと俺の腕の中にいればいいよ」
私は背中に手を回され、とうとう、ロドニー様に囚われてしまった。
「お願いします……こんなことはやめてください」
「こんなに震えて、リラは全身で俺のことを感じているんだね。嬉しいよ」
笑いながら、強く抱き締め、よりにもよって私の首すじに顔を埋めてきた。信じられないほど、身体が密着している。
「こうしてると、リラの熱が伝わってくるよ」
「嫌ぁ」
私は抵抗するために、押してみたけど無理だったので、手の届いた彼の首のあたりに爪をたてた。
「痛っ」
ロドニー様が顔をあげる。私が引っかいた首が赤くなっていた。
でも、嫌だって言っているのを聞いてくれないそっちが悪いんだから。
「悪い子だなリラは。でも今は許してあげる。さすがにこんな場所だし、今日はこのくらいにしてあげるけど、こうやって、俺のことを少しづつ心に刻んでいこうね。リラの心を占有するのはスタンじゃなくて俺なんだから」
ロドニー様がやっと手を放してくれたから、ドアを全開にして、私はその場から逃げ出すことが出来た。馬車から落っこちるような状態で降りて、追ってこないことを確認してから、目にたまっていた涙をこぼれる前に急いで袖で拭う。
「私、絶対に好きになんてなりませんから」
彼の嫌がらせが助長したら困るので、ドアを閉める前に躊躇なく拒絶の言葉を口にした。
「絶対に好きだって言わせてみせるよ」
最悪。
自分で煽ってしまったみたい。
また絡まられると困る。私は自分の家の馬車のところまで走っていき、飛び乗った。
なんなのあの人。こんなことなら、あて馬扱いの方が何百倍もまし。
「お嬢様、お話はもうよろしいので? 馬車を出しても構いませんか?」
「お願い、早く出して」
まさか、ロドニー様があんな人だったなんて。恐ろしい。いつまでたっても身体の震えが止まらない。
◇
その日の夕食の席で、私は自分の身に恐るべき災難が降りかかっていることを知る。
「リラにトルネド伯爵家から婚約の申し込みがあった。相手は三男のロドニー君だ」
「うそ? どうして?」
「リラのことを気に入っているそうだ。ロドニー君は爵位を継ぐことはないが、トルネド家の領地で代官の役につくらしい」
「領地暮らしにはなるけれど、相手は伯爵家ですもの。生活はうち以上のものになるでしょうし、これ以上のお相手はなかなか望めないわ。悪い話ではないと思うの」
「ロドニー君自身も評判はいい。どうする」
父と母は乗り気みたい。
「どうするって、その話は断ることもできるのよね?」
「そんなに嫌なのか? 姉上は内気だから、こんないい条件を蹴ったら次はないかもしれないって父上が言っていたぞ」
「もしかして、好きな人でもいたりして?」
年の離れた二人の弟たちも心配している。それはわかるけど、ここで何の約束もしていないスタン君の名前を出すわけにも行かないし。
「とにかくロドニー様は絶対に嫌。私、あの人のことが怖いの。だから結婚相手としては考えられないわ」
「そうなの? そんなにリラが嫌がるなんて、彼と何かあったの?」
「な、何もないけど、あんな綺麗な人の隣に並びたくないのよ。それに女の子たちの嫉妬も怖いし」
「リラがどうしても嫌だと言うのならそれは仕方がないな。うちは格下だから、断り方を考えなければいけないが、トルネド家とは特別な付き合いもしていないし、それでも、もし、あちらが無理を言ってきたら、ルーク伯爵家に間へ入ってもらう手もあるから」
「ルーク家?」
それって、もし本当にコーディお兄様の気持ちが本物で、同じようなことを考えていたら八方塞がりになってしまう。
「我がままを言っているのは承知しているけど、この話は絶対に断って。それから、何かあってもルーク家には迷惑を掛けたくないから頼らないで」
「そうか、わかった。まあ、おまえがそんなに心配しなくても大丈夫だとは思うが。それでも、すぐさま断るのも失礼に当たるから一週間くらいは掛かると思っていてくれ」
「わかりました」
ロドニー様がこんな暴挙にでるなんて思いもしなかったし、そこまで本気だったなんて。恐ろしい人に目をつけられてしまった。
どうしよう、スタン君。