4
「えっ、美味しい」
この紅茶は何なのだろう。特に何も考えずに一口目を飲んでしまったが、よくよく注意してみると、僕が普段飲む紅茶とは全く違った香りがする。そもそも、普段スーパーで売っている紅茶を家で飲むときに、香りを意識させられることはほとんどなかった。
不意な驚きに紅茶と紋奈さんを繰り返し交互に見て、もう一度、今度は丁寧に香りを確かめた。なんだか甘い、チョコレートのような香り。そしてその奥に香ばしいアーモンドのような香りが隠れている。
ゆっくりと透明のカップを唇に近づけ、一口飲んだ。
味は甘いわけではない。ちゃんと紅茶らしい渋みもある。ただ、口に含んだ途端、更に鮮明に甘い焼き菓子を食べている時のような、ささやかな高揚感を舌の上に感じる。
「お姉ちゃん、これなんですか? 紅茶?」
「そーだよー。クッキーのフレーバードティー」
「フレーバード? 香り付けしてあるってことですか?」
「うん。飲んだことない?」
「全然。スーパーで箱にたくさんティーバッグが入ってるやつくらいしか飲んだことなかったです」
僕の中で紅茶の定義は、それ以外にはなかった。
「えー、もったいない」
「こういうのってたくさんあるものですか?」
「紅茶の種類? めっちゃあるよー」
「めっちゃあるんですか。こんな美味しい紅茶があるなんて知らなかったです」
「気に入った?」
「いやなんか、想像してなかった味過ぎて、ちょっと感動してます」
言葉にしてから「感動してます」なんて、いつぶりに言っただろうかと、不思議な気持ちになった。けれど実際に、つい言葉に出してしまう程度には感動していた。大げさじゃない、ささやかな感動だ。もし紋奈さんが隣に座っていれば、勢い余って握手でもしてしまいそうな気分だが、現在の僕たちの間には1〜2メートルほどの距離がある。
現在、世界的流行を見せている新型コロナウイルス対策で、近くで会話をすると、飛沫からウイルスに感染する可能性があるから、と言うことで距離を取っていた。
そういう配慮ができるところは、やはり年上のお姉さんだなと思う。
僕と慈恩は全く気にせずに近くで会話してしまっていた。
テレビで政治家やコメンテーターが言っている言葉よりも、僕にとっては紋奈さんの言葉や行動の方が影響力があるんだな、と少し客観的にそんなことを思った。
「よかったー。私お茶好きなんだよねー。たくさん種類あるから、今度は違うの入れてあげるね」
「ありがとうございます。めっちゃ飲みたいです」
自分としては珍しく、意気揚々と言った。
「てかユウリさー」
「はい、なんですか?」
「別に敬語じゃなくてもいいよー。私気にしないし」
唐突にそう言われ、一瞬しどろもどろしそうになる。
「わ、わかりました」
と一応返事をするが、すぐにそんな態度を変えられるとは思えず、「ちょっとずつ慣らしていきます」と付け足した。
こういう種類の唐突さは、男同士の会話ではなかなか味合わないと思う。というか、同じことを言われても、恥ずかしさの入り混じった驚きにはならないのだと思う。こういう場面が少しだけ苦手だった。できるだけ平常心でいることを装って、クッキーフレーバーの紅茶を飲んだ。