4 鯉
仲良くなった鮎君も、産卵のために川下にまた降ってしまい、また甘太郎は一人になりました。
いや、他にも仲間や兄弟たちはいますが、甘太郎のように海を目指すもの、そのままここに残ろうとするもので、グループも住む場所も夏が来る前には分かれていました。
甘太郎は、本流域に残り、同じ志を持つ他の仲間たちと、未だ見ぬ海の事を語りあっています。
やがて、秋が来て、寒い冬になりました。
寒いと言っても、元々、甘太郎は寒い方が得意で、夏の暑さの方が苦手です。
かと言って、冬場は食べるものも不足しがちで、お腹が減ると、いい食べ物が豊富だという、海への憧れが強くなるのでした。
そして待望の春がやってきました。
甘太郎は、いつの間にか、身体の側面についていた、パーマークという、子供の模様がほとんど消えて、銀色の身体に変わっていました。
身体もかなり大きくなりました。
海に憧れていたからか、元々、甘太郎にそういう遺伝子があったのか、スモルト化といわれる、海水に対する適応能力が出来た証です。
一年かかって、さぁ、いよいよ、甘太郎が海に降るときがやってきました。
ポツリポツリと雨が降り始めました。
次第に雨脚は強まっていき、幾筋もの支流の谷川から本流に、新緑の香りの山の養分と、新鮮な酸素を含んだ少し冷たい水が流れ混んできます。
川は増水して、良い感じに笹色に濁ってきました。
新月の真っ暗な夜が明けた朝のことでした。
「さぁ、海に向かえ」
甘太郎は、誰かにそう言われたような気がしました。
他のアマゴ達にも、同じ声が聞こえたようです。
みんな、いつもは上流に向けている頭を、ゆっくりと下流に反転しています。
さぁ!
この流れに乗って
海に行くぞ!
ご馳走が待ってるぞ!
遅れるな!
アマゴ達は、一斉に海に向かって泳ぎ始めました。
アマゴ達の川下りが始まったのです。
甘太郎の川は、それほど長い川ではありません。
海までは、せいぜい80km
本気で泳ぐと、一日もかからない距離ですが、そんな長距離を泳ぐことは、甘太郎にとっても、他のアマゴにとっても初めてのことです。
いざと言うときは、全力で動けるように、体力を温存しながら流れに身をまかせるように降ることにしました。
初めての、中流、下流、そして海です。
サンショウウオや鮎に教えてもらったものの、どんな危険が潜んでいるかもわからないのですから。
今夜は、ここで休んで行こう
甘太郎達は、大きな岩の陰に身を隠しました。
その時です!甘太郎はギョッとしました。
大岩が動いたのです!
「コリャ、また、今年はめんこいのが来たでねぇか」
岩だと思っていたのは、1m近くもありそうな、大きな鯉でした。
甘太郎は、こんな大きな魚を見るのは初めてでした。
でも、危害が無さそうな事を悟ると、負けずに言い返します。
「僕はもう一歳半だから、立派な大人ですよ!」
カカカカ!
鯉は笑って言います。
「お前の頭は、ワシの鱗一枚ほどの大きさではないか」
「ワシはここでもう何十年も生きておる。
海に行くのじゃろ?
お前の、親父や母、爺さん婆さん、そのまた、爺さん婆さんも、毎年お前らと同じように、川を下ってきた。」
「帰って来れたものもおれば、戻れなかったものもおる。
お前らの生涯は、とても短いが、お前らは、ワシより広い範囲を行き来する。
ワシはお前らの生き方は好きじゃ。」
鯉の言う通り、アマゴは何万年も前から、川と海を行き来して、瀬戸内海がまだ湖だった頃に、親戚のヤマメと別れたと言われています。
甘太郎達の海との往来は、ずーっと祖先から代々脈々と受け継がれて来た生き方なのです。
甘太郎は、自分の知らない父母や、お爺さんお婆さんを見てきたと言う、鯉のことが好きになりました。
「夜になるとナマズがお前たちを狙うからの。
今夜は、ワシのそばで眠って行け。ワシのそばにおれば安全じゃろうて。」
カカカカ!
やっと海に向かって出発です。