2 蜻蛉
甘太郎の住む辺りは、それほど雪の降るところではありません。
沢を潤していた雪解け水は直ぐに干上がってしまい、大サンショウウオの言った、川の水が減る季節になりました。
甘太郎は、かろうじて残った水溜りのような場所の岩陰でじっとして、雨が降りだすのを待っています。
幸い、甘太郎を食べようとする敵は、そこにはいないものの、食べるものもありません。
お腹空いたなぁ〜
水面にヒラヒラと落ちて来るものがあったので、甘太郎は餌だと思って水面に顔を出しました。
でも、それは桜の花びらでした。
ちぇっ、食べ物じゃなかったのか。
ポツリポツリと、待望の雨が降り始めました。
小さな沢は、山に降った雨をかき集めて、直ぐに川に変わります。
もう水溜りは、ウンザリだ。
川下の水の多いところに行ってみよう。
甘太郎は、大サンショウウオに聞いた海に少しでも近い方へ行ってみたかったのです。
甘太郎は、下流の川幅の広いところに来ました。
餌は沢山ありますが、他の魚も沢山いて、気をつけていないと直ぐに食べられてしまいそうです。
毎日、ウグイやオイカワに追われて逃げ惑いながらも、なんとか餌にありついています。
甘太郎は、特にウグイはしつこいので嫌いでした。
ある日の事、それは美味しそうな小魚を見つけました。
キラキラ光りながら、ふらふらと泳いでいます。
食べようとした瞬間!
「どけ、どけ、どけ〜」
っと、オイカワに横取りされてしまいました。
でも餌を食べたオイカワの様子が変です。
右に左に走り回り、最後に助けてくれぇ〜っと声を残して、目の前からいなくなってしまいました。
どこへ行ったんだろう?
甘太郎は不思議でなりませんでしたが、あのキラキラ光る小魚だと思ったものは、どうやら、餌ではなかったようです。
それは、釣り人が使った、スプーンというルアーでした。
大雨が降り続きました。
川は、ゴウゴウと音を立てて、近くも見えないほどの濁りで流れています。
甘太郎は、流されないように、大きな岩の陰に隠れてじっと、流れがおさまるのを待っていました。
まもなく、川には梅雨が過ぎて夏が来ます。
それは、梅雨も明けたある日の夕暮れのことでした。
甘太郎は自分の目を疑いました。
カゲロウが一斉に羽化を始めたのです。
何千、いや何万ものカゲロウが水面から空に一斉に飛び立とうとしているではありませんか。
夕焼けに映える、おびただしい羽化したてのカゲロウの美しいこと。
甘太郎は、我を忘れてしばらく見入ってしまいました。
そうでした、カゲロウは甘太郎の大好物でした。
他の魚たちも一緒になって、水の中はお祭り騒ぎです。
好物の餌達が、無防備にも次から次へと水面に浮かび上がってくるのですから!
それをかいくぐって、水面に出たカゲロウだけが、空に飛び立っていきます。
そして、数時間のちには、このカゲロウ全てが、生き絶えてしまいます。
生きて行くということは、それだけでもすごいことなのです。
「わっしょい、わっしょい!
ホイ来た餌だ!
わっしょい、わっしょい!」
甘太郎は生まれて初めて、お腹いっぱい食べることが出来たのでした。
甘太郎の川は、厳しく決して甘いものではありませんが、こんな豊かな側面も持っているのでした。
カゲロウの羽化は、何日間か続き、連日、甘太郎はお腹いっぱい食べることが出来ました。
甘太郎は、今朝もまた、美味しそうなカゲロウを見つけ、なんのためらいもなく、食べたのです。
その瞬間、抗うことの出来ない力で、口を引っ張られ始めました。
鋭い釣り針が、甘太郎の口には刺さっています。
カゲロウは、釣り人の作ったフライでした。
潜って外そうとしますが、外れません。
水上にジャンプして、頭を振ってみますが外れません。
万事休す!
とうとう、甘太郎は、釣り人のネットに掬われてしまったのです。
激しく抵抗したため、身も心も疲れ果てていました。
いつも泳ぎまわっている、水にも溺れてしまいそうです。
ところが、どういうわけなのか、釣り人は、甘太郎を針から外すと、濡れた手で、甘太郎をそーっと掬い、上流の流れに向けて、甘太郎が自分で泳ぎ始めるようになるまで、そーっと支えてくれたのでした。
甘太郎は、なんとか呼吸も整い、元の川に戻ることができました。
甘太郎が、まだ小さかったからか、理由はなんだかわかりません。
とにかく、甘太郎は、普段の川の中に戻ることができたのです。
甘太郎は、先のオイカワのことも思い出して、全部が本物の食べ物だとは限らないのだ。
よく見てから食べるようにしないといけないと思ったのです。
基本的には、キャッチ&イート派なのですが、もちろん小さい魚や、時々、気が向いた時はリリースします。
出来るだけ魚に優しいリリースを心がけたいものです。






