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前編

 ――今代の世話役が明日結婚する。


 神子であるターニャには生まれた時から世話役が付いていた。世話役は村長の一族から選出され、今代で六代目となる。

 五代目までは皆就任する時には既婚者となっていた為、世話役の結婚はターニャにとって初めてのことだった。

 といっても普段の結婚式と行うことは変わりない。神子として彼らの幸福を祈り祝福の舞を踊るだけだ、新たな夫婦を祝えるこの役をターニャは誇りに思っている。だが今回だけはいつも通りに振るまう自信がなかった。


「神子様、こんなところにいたんですか」

「げっ」

「げってなんですか、げって。まったく……探したんですよ」


 当たり前のように隣に座る男をターニャは睨むが彼は気にも止めない。一応年上である事と世話役という立場から表面上こそ敬っているが、彼の自分に対する言動はあまりにも気安い。それもそうだろう、彼にとっては十年来の付き合いのある幼馴染としての認識が強いのだから。このネリオという男はそういう奴だ。

 抜け出してきた時からだいぶ日は暮れてきたが、帰るつもりだった寝静まった頃にはまだまだ程遠い。彼の顔を見たくないから抜け出してきたというのに、高台なんてわかりやすい場所に逃げたのが間違いだった。私が自主的に帰ろうとするまで居座る気らしく無理に連れて帰ろうとはしないが、彼だけで帰る気配もなかった。


「ほら、風邪ひきますからこれ着てください」

「いらない。過保護も大概にしろ」

「鳥肌立てておいて何言ってるんですか、ほら着た着た」


 自分の上着を脱いで着せようとしてくるのに対し、意地でも袖を通さずにいれば体に巻き付けられる。それを可能にする体格差が恨めしい。

 上着を脱いだネリオは特段厚着をしていない。そこを突いてやろうと口を開く前に彼が「自分は鍛えてるんで」と言い捨てた。こいつほざきやがるとは思えど口には出せない。そう軽口を叩けるだけの筋肉が目の前に存在してるものだから。

 年下のくせに生意気だ、一人だけすくすく成長しやがって。舌打ちの一つもしたくなる。私は以前の四回含めて今と同程度にしか伸びなかったものだから余計に腹立たしい。

 文句は言いたいが、ネリオの成長具合は何らおかしいことではないのだ。ここの村人達は男も女も皆体格に恵まれている、彼の両親だってそうなのだから。まだネリオはこの村では細身の方だ、でもコイツ片手で軽々林檎握りつぶせるんだよなあ……。

 風になびいた髪が視界を横切る。この村では私しか持っていない髪色。私だけが明らかに違う。身長もそうだし、目の色だってこの村では珍しい。外の人間である顔も知らぬ父から受け継がれたこの色が、村の人々と重ならない母とよく似たこの姿が私は嫌いだ。

 寒空の下で冷え切った体に、巻き付けられた上着からネリオの残った体温が染みこんでいく。妙に馴染むそれが明日には無くなることを思うと泣きたくなった。寒さのせいにして鼻をすする、ネリオは何を言うでもなく私と一緒に高台からの光景を覗いている。


「……ネリオは明日結婚するんだよな」

「しますね」


 間髪を入れずにネリオが答える。その表情はあまりにも幸せそうだ、状況が状況でなければ私も釣られて笑っていただろう。ネリオにこんな表情をさせる花嫁が羨ましい。

 式を明日に控えながら未だ彼の花嫁について私は聞いていない。他の村人達に尋ねてもはぐらかされてしまって、年上である事ぐらいしか白状させられなかった。

 私が住む村は女が生まれると村中がお祭り騒ぎになるほどに女児の出生率が低い。おかげで呪われた子供である私が生まれた時すらそれはそれは盛り上がったらしい。

 そんな風に女が少ない為、年上という情報だけでも候補は随分絞れる。この地域は一夫一妻制なのでネリオより年上の未婚者といえばこの村には二人しかいない。料理や飾り付けの傾向を見る限り、外の者の可能性は限りなく低そうだった。となれば服職人の彼女か、食堂のあの娘か。

 おそらく前者だとターニャは予想している。最近やたら採寸にくる彼女はここのところずっと上機嫌だったし、やっとあの布が使えるフフフとニヤついていたものだから。


「お前の結婚が戻る前で良かった。戻ったら数年は祝うどころじゃなくなるからな」

「僕としては成人したらすぐにでも挙げたかったんですけどね」


 彼の口ぶりからすると挙式は花嫁の願いで延ばされていたらしい。ネリオが成人を迎えたのは二年も前だ、お前そんな昔から結婚を考えるような相手がいたのか。生まれた時から傍に居た、七年前に彼が世話役になってからだって一緒に居たのに全く気付かなかった、ずっとお前を見ていたのに。


「……運が良ければ戻る前にお前の子供が見れるんだな」

「なるようになりますよ」


 ネリオはそう言っているものの、この地を守る女神の加護のおかげでここらの住民は子供を授かりやすい。健康そのもので子供好きな彼の事だ、よっぽどのことがない限りはすぐに子供の顔を見せてくるに違いない。私には関係のない話だが、彼の一族は歴代子宝に恵まれてきたので彼もおそらく子供達に囲まれることになるだろう。

 そして私はまたその一員に入り込むと、いつまで私はこんな事を続けていくのか。皆の優しさに甘えてずるずる生き恥を晒しながら、その優しさが失せる日を待つ自分の浅ましさにヘドが出る。


「神子様、また何かろくでもないこと考えてません?」


 不甲斐ない自分を密かに責めていればいつものようにネリオが遮ってくる。何故か彼はこういった時すぐ気付くのだ。じっとありふれた焦げ茶の目が見つめてくる。

 そこに私のような神の徴はない。当たり前だ、ネリオは私と違うただの人だ。私のような咎人じゃない。


「止めてくださいよ、僕の大切な人を傷つけるような真似は」


 私はそんな事を言ってもらえる人間じゃない。なのにネリオはぎゅうと手を握りしめてくる。この寒空の中だと言うのに彼の手は熱い。私が抱えた気持ちのせいでそう思うのかもしれない。

 馬鹿だ、大人になれない化け物が人に恋をするなんて。百年近く生きておきながら優しさと愛を勘違いして、未来ある男に焦がれるなんて愚かしいにもほどがある。何も成長していない、それだから我が身の呪いが解けるはずもないのだ。



 ターニャは幼い頃から自身が明らかに人と違う事に気付いていた。だがその事が気にならぬほど周囲の人々はターニャに優しかった。溢れんばかりの愛情を受けて育った彼女は変わったところはあれど、ただの幸せな少女だった。

 彼女が生まれてから三十年余りが過ぎた時、ターニャはそれが間違いであったと思い知る。きっかけは外からやってきた旅人の言葉だ。何故、神の咎人が我が物顔で歩き回っているのだと。その男によって彼女は自分の存在と本来あるべき立場を教えられた。

 神の咎人は神の怒りを買ったが為に神に呪われた者の呼び名であった。彼らは呪われた証拠として体のどこかに神が残した赤い徴が現れる、同色のため見えにくいものの確かにターニャの瞳には彼女が仕える神の徴が刻まれていた。

 この世界の殆どの者は自身が住まう地の守り神を崇める、そんな信心深い性質を持つこの世界の民にとって神の咎人は当然許せぬ存在であった。

 信じがたい事実に呆然としていたターニャを男は身の程を教えてやると物陰に連れ込もうとしたが、鬼の形相ですっ飛んできた当時の世話役を中心とした村人一同により男は締め上げられ、ターニャは事なきを得た。

 わけがわからなかった。だってターニャの徴は生まれつきのものだ。呪われているというなら何故自分は神子の立場にいるのか、混乱しながらターニャが村人達に問いかければ彼らは真実を答えてくれた。


 事はターニャが生まれる前まで遡る。ターニャの母はそれはそれは美しい娘だったらしい。だがその外見に反して性格はたいそう悪辣で淫奔だった。大きな街道が近くにあることから村にはよく旅人がやってくる、その旅人達相手にターニャの母は毎晩のよう派手に遊んでいた。

 ただ村では信仰する女神の影響で愛情深く貞淑な女性が好まれる。またここの村人達は恋愛において凄まじく一途で正直愛が重すぎる傾向にあり、火遊びを楽しむなんて発想はこれっぽっちもない。おかげで類い希な美貌を持ちながらもターニャの母は村の男からは致命的にモテなかった。

 同世代の女性陣が早々に結婚していく中、ターニャの母はたまたま村にやってきていた旅人を引っかけ都会へと出て行った。そして数年後に大きくなった腹を抱えて一人で村へと戻ってきた。

 いきなりやってきて横暴な態度を取る彼女を嫌悪しながらもお人好しな村人達はお産を手伝ったが、難産を極めターニャの母はターニャを産み落とし絶命した。

 子が生まれたならば、その地の神が祝福を授ける事となっている。ターニャの時も例外ではない。この地を守る女神が現れ、ターニャをいつまでも健やかであるようにと祝福した。

 そこで女神はターニャが神から呪いを受けていることに気付いた。何の罪もない無垢な赤子にそんな非道極まりない真似をする馬鹿はどこのどいつだと子供好きの女神は怒り狂ったが、その呪いは以前自分が夫を寝取った女にかけたものだった。


 ターニャの母は子に呪いを移す術をどこかで知ったらしい。故に彼女は呪いの形代としてターニャを身ごもったのだ。そしてその目論見通り、ターニャは母より呪いを押しつけられた。

 母が女神から受けた呪いは不死。どんなに老いて朽ち果てようとも死ねない体となる残酷な呪いだ。ただ皮肉なことにターニャにその呪いを渡したことで母は死んだのだ。ただでさえお産で弱っていたところに呪いの譲渡など体に負担がかかるような術を使ったのが彼女の死因だった。

 夫を奪った憎き女の娘でありながら女神はターニャを哀れんだ。愛を司るために慈悲深く、自分の罪は自分で償え、まあ死んでも許さねえけどな精神を持つ女神からすればターニャは自分に呪われ愛されるべき母に利用された被害者でしかなかった。

 女神は呪いを解こうとしたが一度かけた呪いは最初に決めた条件を満たすことでしか消せず、またターニャの呪いは術と女神の祝福の影響で変質していたのだ。

 ターニャの体は病にかかることはなく怪我もすぐに癒え、常に最も健やかな状態を保つ。そして二十の誕生日を迎えると赤子に戻ってしまう。おかげで真相を知らされた当時のターニャは三十年以上生きていながら十代半ばの少女の姿をしていた。

 呪いを解く条件は「自分を愛してくれる者と共に大人になること」だった。母がこの呪いを受けたのは成人した後だ、それは女神の絶対に許さないという意思表示だったのだろう。

 解呪の条件は変えられず、また手がかりは一つだけしか語れないという制約から暗号と化した条件を出す神がいることを考えればこの条件はまだ易しい。

 ターニャは周囲の人に恵まれていた。女神は慈愛を持って罪人の子供である自分を助けようとしてくれたし、村の大人達は孤児の自分へたくさんの愛情を注いで育ててくれたし、村の子供達だって異物である自分に友愛を向けてくれた。だがそうして成人を迎えてもターニャの呪いは解けなかった。

 女神がターニャを自分に仕える神子にしたのは少しでもターニャの立場を良くするためだ。この信仰が根付く世界において神子の地位は高い、それから彼女の体質も神から愛されたことによる影響だと思わせる為の策であった。幸いターニャの呪いは祝福のようにも見える、実際外から来た者の大半はそのように理解していた。


 ターニャは村人達が大好きだ。だからこそ自分が許せなかった。

 赤子に戻ったターニャは何もできない。記憶を引き継いでいても精神は年齢に引きずられ、未成熟な体は歩くこともままならないからだ。身動きが取れるようになるまでの数年間はせっかく拵えてくれた神子としての役割すら果たせないのだ。

 捨て置かれてもターニャは育つ。飢えても、劣悪な環境に晒されても、苦しいだけで死にはしない。ターニャの呪いはそういうものだ。なのに心優しい村人達はそれを良しとせず、自分の世話を買って出てくれる。

 育ったところでターニャは村に貢献できない。この村では働く女が多いが、それでも女の主な役目といえば子を残すことだろう。だがターニャは子が産めない、彼女には月の物がいつまでも来なかった。おそらく健やかな状態を保つというのが影響しているのだろう。

 自分は手酷く扱われても死なず、女でありながら子を授かることもできない役立たずなのだ。その上、神の咎人を匿っていることでいつか村人達が非難を浴びるかもしれない。

 出て行くことも考えたが、身勝手に神子の役目を放棄するのは心苦しかった。ただどうも旅人の反応を見る限り、自分の容姿は外の者からすると好ましいようだから人買いにでも売り飛ばせば悪くない値で売れるだろう。そうでなくてもせめて追い出すべきだ。

 でもそのように提案してもどの世話役も首を縦に振らない。ネリオに至っては「それどなたが仰っていたか教えてください、悪いようにはしないので。ちょっとお話するだけですよ、ええ」と持ってた林檎を木っ端みじんに握りつぶしていた。怖かった。

 これだけ無能な存在なのだ、いずれ村人達だって嫌気がさすだろう。そう思い続けて百年近く経った、それでもターニャの愛する村人達は代替わりしてもやはり優しいままだ。

 母と二代に渡って迷惑をかけ続ける自分が疎ましい。あれだけの愛を注いでもらいながら解呪できない自分が情けなくて。人々の優しさに報えない自分がターニャはこの世の何よりも嫌いだった。



「いつまで触ってるんだ、暑苦しい」


 感傷に浸るのを終えたところでターニャはネリオの手を振り払った。ぼんやりしていた間にすっかり日は沈んでいる。おそらく赤らんでいるだろう顔を隠してくれる夜闇が今はひどくありがたかった。


「例え相手が神子だろうが、他の女にべたべた触っていたら花嫁はいい気はしないぞ」

「そうですね。僕も旅人に迫られてる姿を見るとつい割り込んでしまいますし」

「自分だって外から来た女に散々言い寄られてるだろうに、棚に上げてよくやるな」

「僕、嫉妬深いんで。それに言い寄られたところで眼中にないですよ」


 ネリオの容姿もターニャと同じく外の人間に受けるらしく度々口説かれている姿を見かける。ただ自分と違って上手く躱しているらしく、いつもすぐに解放されていた。なかなか追い払えず、結局村の誰か(高確率でネリオ)に助けられてる自分とは大違いだ。

 それより彼もやはりこの村の人間なのだとまた思い知らされた。花嫁に関する話題になると表情が変わる、今だって彼女が愛しくてたまらないと、そんな目をしてる。

 今まで多くの村人達が発したこの目をターニャは幾度となく眺めてきた、この村の者はみな愛情深いから。その優しい眼差しは見ていて幸せな気持ちになれた。なのに今は、ネリオが見せたそれだけは見ていられなかった。全身から血の気が引いていく、心が凍えて痛みに思わずターニャは胸の辺りを押さえた。

 ターニャはネリオが好きだ。百年近く生きて初めての恋だった。ネリオの結婚が明日に迫ってもなおまだ諦めきれずにいる。自分もそこだけは村人と似ていたらしい、最初から叶える気もないくせどうしても捨てられない。

 ネリオもターニャが初恋だったのだろう。十年前に言われたのだ、結婚してください神子様と。嬉しかった、その時のターニャもネリオが好きだった。泣きそうなぐらい幸せだった。

 だから、だから、断った。断腸の思いで彼の告白を拒んだ。その時の自分がなんて口にしたかは覚えてない。けれど理由なんて言うまでもない。子も生めない、共に生きていくこともできない、他の娘を選べば当たり前に得られる幸福を自分は与えられない。なのに想いに応えるなどできようものか。

 あの日、彼の気持ちを置きざりにした自分に苦しむ資格なんてない。こうなるのは必然だったのだ。だから明日の私は笑顔で彼を送り出す、そしてネリオと花嫁のためにも今までで一番美しい祝福の舞を捧げてみせよう。


「そういえば次の世話役は誰になるんだ」


 ふと気になって、彼の弟達の名前をあげるがそれにネリオは首を傾げた。なんでそんな反応を見せる、私は何もおかしいことを言っていないだろう。


「私とて新婚の男に世話役を強要するほど落ちぶれていないぞ」


 引き継ぎの関係上もっと早く報告させるべきだったというのについ聞きそびれてしまっていた、聞けばネリオと今までのような関係でいられないことを実感してしまうから。

 ああでも私が知らないところで引き継ぎ終わっているのかもしれない、ネリオは何だかんだ抜かりないから。こう優しげな顔立ちのわりに、いや実際優しいと言えば優しいが……なんというか、いい性格してるんだよなあ。

 まだ決まってないならそれでもかまわない。神子という立場から付けられていたが、慣習に倣っていただけだ。付けてもらわずとも生活に支障は無い。

 そう思って口にしたというのに素知らぬ顔でネリオは予想外の言葉を返してきた。


「結婚しても世話役続けますよ」

「は?」

「別に変わる必要ないじゃないですか。まだまだ僕、健康ですし」


 何言ってるんだコイツ、私の目はそのように語っているに違いない。だがネリオも同じような顔をしている、私よりは柔和だが、なんでそんなこと聞くんですか?と疑問に感じているようだった。なんでって、お前そんなの。


「結婚したばかりの男がつきっきりで女の世話焼くとか許されると思ってるのか、お前馬鹿なのか?」

「神子様だろうと文句は言わせませんよ」

「……お前、とんだ亭主関白だったんだな」


 そんな曇り無き眼でしれっと言い切られてしまえば反論する気も失せる。ネリオが頑固なのはこの短くない付き合いで嫌というほど知っている。彼は一度決めたことは決して曲げない、そのせいで私の方から折れることが殆どだった。一応私が主人のはずなのに。

 コイツの嫁になる娘は大変だなと羨んでばかりだった彼女に初めて同情した。優しげな雰囲気からは想像しがたい強かさを持つ彼の相手は大変だろうが……どうか頑張ってほしい。


「だいたい約束したじゃないですか。僕は命尽きるまで貴方と共にありますって」

「……そんな昔のこと忘れた」

「その顔は覚えてますよね、嘘はだめですよ」


 告白と共に捧げられたその誓いを忘れた日など一度も無い、だからと言ってお前が覚えてるとは思わなかった。忘れられるはずないだろう。忘れるはずがない。例えそれが終わることのない人生の中で瞬きのような時間であろうと、きっと私は彼と過ごした時間を一生忘れられない。ネリオの存在は生涯私の魂に刻み込まれるのだ。


「それよりお前はいいかげんこんなところで道草食ってないでさっさと帰れ」

「神子様が帰るなら帰ります」


 追求から逃れようと話題を吹っかけたが裏目に出てしまったようだ。これは絶対私が連行されるまで帰らないパターンだ。おそらく待っているだろう彼の婚約者がかわいそうなので仕方あるまい、ここは観念するとしよう。


「ほら、帰りましょう」


 先に立ち上がった彼から私の方へ手が差し出される。手を借りる必要なんてどこにもない、けれど私は素直に一回り大きなその掌に自分のそれを重ねる。そして立ち上がっても私は手を乗せたまま。

 本当に悲しいと涙も流せないなんて知りたくなかった。先行く彼に今の私の顔が見られなくて良かった。繋いだままじゃ歩きにくいというのにネリオは私の手を振り払わない。しっかり握り込まれた手は変わらず熱くて、ばれないように緩く握り返す。

 ――明日にはちゃんと離すから。どうか、どうか、今この瞬間だけは許してほしい。

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