第三話 【一目惚れ】
悲鳴にも似た少女の懇願に、アルマーニとグレッダの表情が歪めた。
否。少女に対してではない。
彼女を追い掛ける無数の黒光りする大群にだ。
「おい、ありゃあ……!」
「大黒虫の群れ……っ!?」
アルマーニが悲鳴にも似た言葉を漏らしながらも、手斧を強く握り締めた。
黒光りする躯に二本の触覚をうねらせ、六本の足で地面を這い歩く魔物。
家庭で現れる小さな躯とは違い、人間の子供程ある化け物級の躯を持つ大黒虫。
毒や武器を持たぬ代わりに、大群はゴブリンを上回り、見た目や動きも相まって気持ち悪さが凄まじい。
そんな害虫に、グレッダの顔はみるみるうちに青く染まっていき、武器を構える前に背を向けた。
「おいおいおい! 逃げんじゃねぇよ!」
今にも穴に戻りそうなグレッダの外套を掴み、アルマーニは必死に制止させるが、恐怖が勝った彼を止めるには力が弱すぎた。
「嫌だ! 離せ! 僕はあれと戦うなんてまっぴら御免だ!!」
「ふざけんじゃねぇよ! テメェに男気ってもんはねぇのかぁ!?」
ジタバタと足掻き、アルマーニの手から逃れたグレッダは、穴へと顔を突っ込んだ。
そうこうしているうちに、少女の姿はもう目と鼻の先にまで迫っていた。当然、大黒虫の群れと共に。
「助けて! お願い……っ!」
淡い紫の長髪を揺らす少女は、赤黒いアルマーニに構わず正面から抱き付いた。
ろくな装備ではないらしく、柔らかく豊満な胸がアルマーニの身体に押し付けられる。
血生臭い洞窟の中で薫ることのない甘い匂いが、髪からふんわりと鼻腔を突き、アルマーニは無意識に呼吸を止めた。
「……っ! 離れてろ」
今にも手折れてしまいそうな肩を掴み、ゆっくりと背中に誘導した後、アルマーニは引き締めた表情で手斧の柄に力を込める。
カサカサカサと地面を這い迫る大黒虫は、ターゲットを見付けたことで一度制止し、真っ直ぐアルマーニを見据える。
その数、ザッと見て十数匹。
「女一人に随分とお熱じゃねぇかぁ」
「…………!!」
アルマーニの言葉に反応したのか、鳴き声など何も無く突然に二匹の大黒虫が動き出した。
半透明な羽を駆使し、頭上に飛び上がった大黒虫はアルマーニを押し倒そうと襲い掛かる。
「気持ち悪ぃんだよ!」
一匹の大黒虫を横薙ぎに奮った手斧で切り落とし、もう一匹を往復してきた手斧の柄で殴り飛ばす。
土壁に衝突した大黒虫は地面に落ちると足をヒクつかせ、ひっくり返ったまま動けない。そんな仲間を無視して、次々と大黒虫がアルマーニへと飛んでいく。
「くそ、数だけは一人前だなっ!」
覆い被さろうとする大黒虫を切り伏せ、絶命した死体を蹴り飛ばしては足場を確保する。
だが、毒も武器も持たない相手でもこの数は一人で捌き切れない。さらに、切れば切るほど大黒虫の緑黒い液体が撒き散らされ、足場が滑りやすくなる。
「い、いや……っ」
アルマーニをすり抜け、本来のターゲットである少女ににじり寄る大黒虫。
どう足掻いてもアルマーニには助けられない。
他人を助ける暇があれば、一匹でも敵を殺す方が先決だ。
そうなれば、頼れるのは彼しか残っていない。
「グレッダぁっ!!」
「分かってる! 分かってるさ!」
仕方無しに穴から這い出て来たグレッダは、背中の槍を構え少女をさらに後ろへ下げて前に出た。
触覚を動かしグレッダを確認した大黒虫は、勢い良く飛び架かろうと足に力を入れた瞬間、躯が宙に浮いていた。
「うあぁ、気持ち悪い! 腹が立つ!」
顔を歪めたグレッダは槍を突き出し、大黒虫の躯を躊躇いなく貫いていく。宙に浮かされた大黒虫は、振り下ろされると同時に遠くへ投げられ、ベチャりという音と共に絶命する。
「しゃがんで!」
グレッダの唐突な指示にも関わらず、アルマーニは素早く従い頭を下げた。
瞬間、アルマーニの頭上に槍が横薙ぎに奮われ、群がっていた大黒虫の胴体が見事に半分に切断される。
「うぇ、気持ち悪ぃ……」
緑黒い液体と羽や足の一部が一斉にアルマーニに降り注がれ、咄嗟に顔を覆ったが間に合わず。
「止まるなアルマーニ! 右だ!」
グレッダの叫び声が響き渡る。
だが、その叫び声の前にアルマーニは右方向から忍び寄る大黒虫に手斧を振り下ろす。
糸も容易く切断される大黒虫の死骸が積まれていき、残りは数匹となったところで、後方に待機していた大黒虫が徐々に後退していく。
グレッダの加勢から数分もせず、大黒虫の群れは撤退していった。粘着質な緑黒い液体にげんなりしながらも、アルマーニはフラりと立ち上がった。
「あぁ……終わったぁ」
今にも吐いてしまいそうな青白い表情で、愛用の手斧に視線を落としアルマーニはさらに溜め息をつく。
「あ、あの……」
震える声音で声を掛けてきた少女に、アルマーニは素早く萎えた表情を引き締め微笑んだ。
「助けて頂いて、本当にありがとうございます!」
深々と頭を下げた少女に、アルマーニは汚れた手で触れようとして、すぐに手袋を外し地面に捨てた。
「おうよ、お前は? 怪我してねぇか?」
「はい、大丈夫……だと思います」
紳士的に対応するアルマーニだが、グレッダから見れば下心丸出しで、溜め息混じりに肩を竦める始末。
だが、そんなことは気にせず、少女の安堵した微笑みにアルマーニも頬を緩ませる。
「お前、駆け出しじゃねぇか!?」
ふと、少女の腕輪に視線を落としたアルマーニは、驚愕して眉をひそめた。
気になったグレッダも後ろから覗き込み、少女を一瞥して腕を組む。
「君一人かい? パーティーは?」
「その……」
グレッダの問いに、少女は首を左右に振って黙り込んでしまった。
腕輪にはめ込まれた宝石の色で冒険者のクラスが分かるように出来ているのだが、少女の腕輪にはがらくたの透明な石がはめられていたのだ。
透明な石は駆け出しを意味しており、冒険者の中でも最低クラスだ。本来ならば、協会から駆け出しばかりが集められパーティーを組まされるのだが、蹴られてしまったのか。
「危ねぇじゃねぇか。武器は?」
「……この魔物に襲われた時に、落としてしまって……」
アルマーニの言葉に、少女の顔が暗くなっていく。
いくら駆け出しといえども、パーティーも組まず武器を落とすようでは冒険者失格だ。
これが生意気な駆け出し少年ならば、すぐさま見捨てていただろう。
だが、今回は違う。
「しゃあねぇ、グレッダ。帰るぞ」
「はあ。やっぱりそうなるんだね」
悪戯っぽく笑うアルマーニに対し、グレッダは肩を落として再び溜め息をついた。
不安気に少女はアルマーニとグレッダを交互に見つめ、戸惑いを見せている。
「あぁ、俺らは今から地上に戻るところでよぉ。付いて来るなら付いて来てもいいぜぇ」
「ほ、本当ですか?」
「おうよ。なぁグレッダ」
「ノーコメントで」
少女の疑問にアルマーニは笑ってグレッダに同意を求めるが、求めた相手が悪かったらしい。
すると、安堵したのか柔らかい笑顔を見せた少女は、胸の前で手を添えて小さく息をついた。
巻き込まれただけのグレッダは肩を竦めるばかりだが、慣れた様子で帰り支度のために松明を用意していく。
「俺ぁ、アルマーニ。こっちがグレッダだ。お前は?」
「ソルシェです。よろしくお願いします」
淡い紫の長髪を揺らした少女──ソルシェは、駆け出しらしい元気な声音で名乗ると、仄かに頬を赤らめてアルマーニに笑みを見せる。
その表情が堪らなく可愛らしく、アルマーニは思わず緩んだ口元を急いで引き締めた。
そんなアルマーニの表情を横目に、グレッダは少し驚いた面持ちで二人を見ていた。
ああ、今回の彼は本気なのかも知れない、と。