第一話 【酔っぱらい】
王国バッリスタ。
魔法と機械が共存していた文明が崩壊し、その都市の残骸に再建された王国。
円形の城壁に囲まれ、未開の森や地下に蠢く魔物共に怯えて暮らすのは、様々な事情を抱える民衆たち。
皆、明るく商売に励み、時には井戸端会議に花を咲かせ、時には酒を酌み交わし未来を語り合う。
だが、どこか影が落ちて見えるのは、魔物共の脅威のせいか。はたまた未来が見えない生活からの不安か……。
だからこそ、この王国には冒険者が存在する。魔物を殺し、武功を上げ、地下に眠る文明の遺産を掘り当てる。
認められれば一攫千金。
死ねば終わりの大博打。
それを狙ってこその冒険者であり、ロマンでもある。
そんな夢物語を、当然ながらこの男も抱いていた。
「頭いてぇ……」
ぼやける視界。
割れそうに痛む頭を押さえ、薄ら目を開けて男は後悔した。
微かに開いたカーテンから漏れ出す太陽の光が侵入し、男の視界をさらに潰したのだ。
男は「くそ」と、悪態をつきぼさついた黒髪を乱暴に掻き毟り、ベッドから起き上がろうとして、
「ぬがっ……!」
ベッドの端に頭をぶつけ、盛大に転がり床へと落下した。
汚れた床と口付けを交わし、激痛が走る頭を押さえると、男は子供のようにジタバタ足を荒ぶらせる。
そんな男を見下ろし、金髪の美青年が額に手を当てて肩を竦めていた。
「やあアルマーニ。ようやくお目覚めかい?」
上等なレザークロークに身を包み、白のパンツと黒のブーツがよく似合う長い金髪の美青年に、ぼさついた黒髪の男──アルマーニは顔を歪めた。
「グレッダ……てめぇ何人の家に入って来てんだ……うぇ」
萎えた表情で舌を打とうとしたアルマーニは、胃から込み上げる嘔吐感に口を押さえて防いだ。
グレッダと呼ばれた金髪の美青年は、慣れた様子で彼を見下ろしたまま腕を組む。
「君がいつまで経っても来ないから、こうして迎えに来たんじゃないか」
鍵まで開いてたよ? と、呆れ口調で肩を竦め、グレッダは溜め息をついた。
未だ頭が覚醒していないアルマーニは、辺りを見回して眉間にしわを作り出した。
「今、何時だ?」
「もう昼の二刻を過ぎているよ」
アルマーニの問いに即答するグレッダ。
「全く、いつも飲み過ぎなんだよ」
グレッダの言葉に、ようやく思い出してきたようで、アルマーニは呻き声を漏らした。
どうやら昨夜に安酒を飲み過ぎたらしい。深夜を過ぎた頃まで飲んだところまでは覚えているが、そこからの記憶がすっぽりと抜け落ちているようだ。
「あぁ、悪ぃ。水、水くれ」
ベッドの端を支えに起き上がったアルマーニに、グレッダは面倒臭そうに踵を返した。
散乱した空のボトルやゴミクズを蹴り、汚れたキッチンもどきに近付く。
薄汚い木製のコップを一瞬躊躇い手に取り、テーブルに置いていたボトルから生温い水を注ぐ。
「君は手が掛かるよ。もう慣れたものだけど……って」
溜め息混じりでコップを持ち振り返ったグレッダは、アルマーニの方へ視線を向けたところで眉をひそめた。
気持ち良さそうに舟を漕ぐアルマーニに対し、グレッダは引きつった笑みを漏らす。
「アルマーニ、アルマーニ!」
「うあ……ごはっ!?」
怒鳴り声で呼び起こされたアルマーニは、再び薄ら目を開けたところで、勢いよく水を顔面に浴びた。
目やら鼻やらに水が侵入したことにより咳き込み、顔を拭っては首を左右に振る。
「やあアルマーニ。ようやく、お目覚めかい」
先程と全く同じグレッダの言葉だが、声音は怒りそのものだ。
殺気が混じっていると言っても過言ではない。
「よ、よぉ。元気そうじゃねぇか。悪ぃな、すぐ着替える」
軽く手を上げ仕切り直したアルマーニの言葉に、グレッダはにっこりと笑い息をついた。
無言で微笑むグレッダの横を四つん這いで通り、フラつく足を踏ん張ってテーブルを支えに立ち上がったアルマーニ。
テーブルの上に置かれた水のボトルを見つけると、そのまま手を伸ばす。
「この四年、君とパーティーを組んでいるが、本当に変わらないね」
「そうそう変わるもんじゃねぇよ」
柱にもたれ腕を組むグレッダに、アルマーニは水のボトルを掴み青年を一瞥し鼻を鳴らした。
「変わるのは女の好みくらいだろ?」
ボトルに口を付け、残っていた水を一気に飲み干すと「まっじぃ」と、文句を呟き口を拭う。
「外見だけじゃなくて、中身も大人になってほしいものだね」
「あー愚痴愚痴いうなって。ほら、いい女紹介してやるからよぉ」
「残念ながら僕は誠実だからね。君よりモテるのさ」
ことごとく皮肉や嫌味で返されたアルマーニは、額に青筋を浮き上がらせボトルをテーブルに投げ捨てた。
おかげで酔いも幾分か覚めてきたようで、アルマーニはベッドの横に置かれた小さな棚に視線を移す。
鎖帷子にレザーベストと白いシャツ。
黒の革手袋と汚れたパンツにブーツ。
何度も修繕された雑嚢とナイフホルダー。
「準備は万全さ」
グレッダが自慢気に微笑み、アルマーニは鼻を鳴らした。
「てめぇは俺の母親かって」
「これぐらいしないと、君の準備は遅すぎるからね」
アルマーニの皮肉は、グレッダの嫌味で見事に相殺されてしまった。腹立たしいが、ここで喧嘩をするのは馬鹿らしい。
仕方なく、アルマーニは用意された装備に袖を通しつつ、未だ思い出せない目的について問うことにした。
「で? 結局何するんだっけか?」
「本当に覚えていないのかい?」
今度ばかりは驚きを隠せないグレッダは、小さく息をついて一度頷いた。
「王国直々に出された依頼──地下洞窟に巣食うオーガ退治」
グレッダの言葉に、アルマーニは目を見開き口元を緩める。
「あぁ、そうだったなぁ。すっかり忘れてたぜ」
全ての装備を身に着け、アルマーニは愛用の手斧を腰に下げた。
その姿を見て、グレッダも金髪を揺らし玄関の方へと踵を返す。
「おう、待たせたな。んじゃあ行きますか……金貨を頂きによぉ」