第三話 【敵(ライバル)】
駆け出しの冒険者が夢見た昇級試験の当日。
特にあれから話し合いもなく迎えた試験に、ソルシェは不安を膨らませていた。
別段、特別な特訓や実戦経験もないままこの日を迎え、ソルシェは隣で欠伸を噛み殺すアルマーニを一瞥した。
いつもと変わらないアルマーニの様子に安堵と不安が入り混じってしまう。
「あの、準備とか本当に大丈夫なんです?」
「ん? あぁ、心配すんな。ちゃんと必要な物は用意してきてるぜ」
胸に手を当て問い掛けるソルシェに、アルマーニは雑嚢を持ち上げて証明して見せる。
だが、どう見ても他の冒険者たちが持つ荷物の量が違いすぎるのだ。
花々が咲き誇る協会の裏庭に集まっているのは、ソルシェたちの他に駆け出し二人とその付き添いと思われる冒険者が二人。
今から引っ越しでもするのかと疑問に思うほどの荷物を各々分担して持ち、準備は万端といった様子で談話している。
一方のアルマーニの荷物は、少々膨らんでいるだけで飛び出した松明の棒切れが目立つのみ。これでは安心しろと言われても難しいだろう。
「集まっているか」
協会の裏庭に現れた黒のスーツを着た受付担当らしき男は、周りを見回して頷くと、庭の中心で止まった。
「試験番号一番、前へ」
羊皮紙を手に受付男が読み上げる。
それに答えて前に出たのは、駆け出しらしい革鎧に身を包んだ少年少女であった。
「はい!」
駆け出しの少年は茶髪を揺らし、元気よく手を挙げて前へ出る。
それを恥ずかしそうに見つめて、黒い長髪の駆け出し少女が首を左右に振ってため息をついた。
「後ろの二人が同伴者か……初心者か?」
受付男は駆け出したちの後ろに立つ二人を指差し、眉間にしわを刻んだ。
疑わしい視線を受けながら「ええ」と、答えた初心者の金髪の女性は、小さく微笑んで隣にいる男の腕に抱きついた。
「ワタシたちは初心者よ。ほら」
青黒い短髪の男と共に、金髪の女性は腕を上げて受付男に見せ付ける。
彼女たちの腕輪には赤く輝くルビーがはめ込まれており、それは確かに初心者という証であった。
だが、受付男が疑問に思うのも無理はない。
「鉄の鎧に外套、武器は銅の剣。ここまで揃えた初心者はなかなかいねぇよ。俺でもまだ革だってのによぉ」
皮肉を織り交ぜ感心するアルマーニの言葉に、ソルシェは焦りを見せながらも息を飲んだ。
青黒い短髪の男はムッとした表情で睨み付けてきたが、金髪の女性がそれを止める。
「ワタシたちももうすぐ中級者になるの。その前に軽い運動に付き合うだけよ?」
「なるほど中級者手前の初心者ってか。そんな奴が二人も同伴なんて、駆け出しの二人はよほど弱ぇんだろうなぁ」
「黙れ。侮辱は許さん」
アルマーニに掴み掛かろうとする青黒い短髪の男に、金髪の女性が慌てて止めに入る。
「そんなに挑発しちゃ駄目ですよ……!」
こちらも、ソルシェの止めによりアルマーニは仕方なく引き下がり、大人組は睨みを利かせたまま離れていく。
それを見ていた受付男は大きく胸を撫で下ろし、羊皮紙に視線を落とした。
「試験番号二番、前へ」
「あ、はい」
受付男に呼ばれ、ソルシェはアルマーニを促した。
前へ出ると、受付男が持つ地下洞窟へ下りるための記入シートと羽ペンが、ソルシェに手渡された。
「名前と位を記入してくれ。あと、指紋のため指を切って血で印を押してくれ」
「わ、分かりました……」
受付男に指定された場所にソルシェはゆっくり記入していく。
文字を書き慣れていないのか、所々文字がおかしいが、それでもしっかりと書き終えたソルシェは、用意されている棘に親指を置いた。
アルマーニも慣れた様子で棘に親指を置くと、小さく微かに浮き上がる血を広げて名前の横に印を押す。
「よし、確認するか」
ワイワイと楽しげな一番のパーティーを一瞥したアルマーニは、しゃがみ込んで雑嚢を整理し始める。
ソルシェもそばにしゃがみ込み、雑嚢の中身を確認しながら親指を布で押さえた。
「これ持ってるか?」
そう言ってアルマーニが取り出したのは、よく商店で見掛ける小瓶だ。
それも様々な色の小瓶が一つずつ。
赤、青、黄、白。それぞれの小瓶を受け取ったソルシェは、小首を傾げて説明を待った。
「赤が活力剤。青が毒消し。黄がアルコールで、白が臭い消しだ。赤黒いやつもあるんだがぁ、まぁいらねぇだろ」
ラベルらしきものに文字が書かれているが、ソルシェには読めない。代わりにアルマーニの説明を聞き覚え、自分の道具袋にしっかりとしまう。
「一本が高いもんだからなぁ、大事に使えよ?」
「はい! ありがとうございます」
丸い小瓶から細長い小瓶まで、一種類ずつ受け取り、ソルシェは深く安堵した。
「やっぱりアルさんは、しっかりとした冒険者ですね」
「んぁ? なんだそりゃ、俺ぁいつだってしっかりしてるぜ?」
「ふふ、そうですね」
先程の不安気な表情から一変。
なにやら楽しげなソルシェに、アルマーニは雑嚢を背負いつつ首を傾げた。
同時に、向こうの準備も整ったようで、二つのパーティーは受付男に向き直った。
「改めて試験内容を伝える」
一度咳払いをしてから、受付男は後ろに見える地下洞窟へ続くかんぬきが施された鉄扉を指差す。
「この地下洞窟の何処かに置かれた証を持ち帰った者が試験合格となる。証は一つ。道中協力しようと、邪魔をしようと君たちの勝手だが、殺害だけは許されない」
受付男は証らしき物を取り出し掲げると、冒険者たちの注意を引いた。
それは先端にルビーが飾られた一本の杖だった。
「初心者が身に着ける宝石が証ってことね」
駆け出しの少女が頷き、小さな羽ペンで自らの腕に何かを書き始める。
その様子を駆け出しの少年が見守り、受付男の話を待つ。
「時間制限は?」
「日が暮れるまでだ。それまでに帰還出来なければ、救出するための部隊が走るため失格とする」
青黒い短髪の男の問いに、受付男は空を見上げて掲げた杖を下ろした。
「お宝探しにしちゃあしっかりとした試験じゃねぇか」
頭を掻いたアルマーニは、額の暗視ゴーグルを装備して鼻を鳴らす。
「よっしゃ! 絶対負けねえ!」
腰の剣を確認してから、駆け出しの少年は拳を強く握り締めた。
「突っ走って迷子にならないでよ?」
「大丈夫だって! 俺らには心強い先輩がいるんだ。心配いらねーよ!」
駆け出しの少年少女は緊張感など皆無の様子で、後ろの初心者二人に信頼を寄せているようだ。
それが初々しくもあり、馬鹿っぽくもあり、アルマーニは肩を竦めて再び突っかかりにいく。
「おぅおぅ、若いねぇ。精々頑張れよガキんちょ」
笑うアルマーニに溜め息をつくソルシェ。
対して金髪の女性は眉をひそめると、何かを思いついたのか駆け出しの少年に耳打ちをし始める。
と、駆け出しの少年はアルマーニに身体ごと向けると、満面の笑みを見せた。
「おっさんには負けねえからな!!」
「お……っ!? 誰がおっさんだガキんちょ!」
思わぬ駆け出しの少年からの反撃に、子供のように怒るアルマーニ。
だが、それをソルシェが止めている間に、駆け出しの少年は地下洞窟の前まで走っていく。
「全く、緊張感も何も無いな。雑談なら帰還してからにしろ。開けるぞ」
呆れる受付男は既に疲れを見せながらも、かんぬきと鍵を外し頑丈な鉄扉を開き始めた。
重々しい音と地面を擦る音が響き渡り、完全に開ききったところで、生暖かい風が一気に冒険者たちの頬を撫でる。
地下洞窟の独特な生臭さと、湿った風がより恐怖を増幅させ、皆の表情を強張らせていく。
先程まではしゃいでいた駆け出しの少年も、重苦しい空気に生唾を飲み込み、拳を胸の前で強く握り締める。
「お遊びはお終い。ここからは真剣勝負よ」
「はい。私も、負けませんから」
駆け出しの少女が力強く言って手を差し出すと、答えるようにソルシェは握手を交わした。
だが、初心者二人とアルマーニは違う。
真剣勝負より、どう蹴落とそうかと考えを巡らせるばかりだ。
「ワタシはリーナ。こっちがゼスよ。貴方は?」
不意に声を掛けられたアルマーニは、一瞬躊躇って肩を竦め「アルマーニだ」と、だけ答えて歩き始めた。
「中級冒険者の実力、この目で見させてもらうわね」
「あぁ、見せる前に終わっちまったらすまねぇけどな」
「貴方、本当に嫌味ね。そんなんじゃモテないわよ」
金髪の女性──リーナは、青黒い短髪の男ゼスの腕を取って地下洞窟へと入って行く。
その後ろから追い掛けるように駆け出し二人が走って行き、アルマーニとソルシェは顔を見合わせた。
「……数は不利だが、経験でどうにかなるだろ。戦う時も逃げる時も慎重になれよ?」
「わ、私が決めるんですか!?」
「当たりめぇだろ。俺は同伴者だ。助けてはやるが、戦うか逃げるかは自分で決めろ。俺はあくまで最後の切り札だ」
驚愕するソルシェに、アルマーニは笑って親指を地下洞窟へと向けた。
あくまでも同伴者であり、試験を楽に終わらせようなどとは考えない。
これはソルシェの戦いだ。首を突っ込むにも限度がある。それでも相手方に突っ掛かっていったのは、何かしらの理由があるのだろうか。
「……頑張ります」
「おう、死なねぇ程度に頑張れ」
覚悟を決め、アルマーニから松明を受け取ったソルシェは、入り口を灯す炎に火を移して中へと入っていく。
受付男もようやく肩の力を抜き、持参した椅子に座ろうとしたところを見届け、アルマーニも中へと踏み込む。
「ひゃっ!?」
「! おい、どうし──!」
たった数歩進んだだけで悲鳴をあげたソルシェに、アルマーニはすぐさま走り寄ろうとして顔を歪めた。
目の前が真っ白に覆われており、鼻や口から侵入する煙に二人は咳き込んですぐに地下洞窟から出てしまった。
「んだよこれ、煙か!?」
「悪いわね。真剣勝負とは言ったけど、正々堂々とは言ってないから」
アルマーニの疑問に答えたのは、洞窟の奥から微かに反響するリーナの声であった。
ついでに駆け出し二人の笑い声も響いたと思えば、今度は走る音が遠く聞こえてくる。
「げほ、ごほ……アルさん……っ!?」
咽せるソルシェは煙を手で払いながらパートナーの名を呼んだが、返ってきたのは凄まじいアルマーニの殺気だけであった。
ソルシェは心の中で大きく溜め息をつくと、重い足を前に進めた──。