あの場所で出逢った意味
薄暗い部屋の中で、僕は不意にノックされた扉を開き客人を迎えた。
雨が降る外からわざわざ奥まったこの家に来たのは、髪の先を濡らしたソルシェだった。
「珈琲くらいしかないんだ。適当に座っててくれ」
「すみません、ありがとうございます」
社交辞令を交え、僕は簡素なキッチンへと歩いていく。
相変わらずここは汚い。
気付けば綺麗にしているつもりだが、彼はいつも汚してしまう。
虫が這わないだけマシだけれど、水垢が付着したカップを洗うところから始めなければいけないのは面倒だ。
ソルシェを一瞥すれば、乱れたベッドの傍にいた。包帯を身体中に巻き、ミイラ男さながらの姿をして眠るのはアルマーニだ。
「まだ、目を覚まさないんです?」
ポツリと呟き問うてきたソルシェに、僕は生温い水を注いで頷いた。
「あれから三日三晩経つんだけどね」
首を左右に振る僕に、ソルシェは心配そうに俯きアルマーニを見据える。
聞けばどうやら、アルマーニは受付嬢を守るためにソルシェを応援を呼ぶよう頼んだとか。
だが、実際はソルシェを助けるためにわざとそう言って逃がしたのだろう。
非力な女性二人を守りながら戦うなど、上級冒険者でも厳しい条件だ。
結果、受付嬢も重傷を負ったが死んではいない。アルマーニはしっかり仕事を成し遂げたと言えよう。
「君は、毎日様子を見に来ているけれど、そんなに心配かい?」
「当たり前です。私は、この人のおかげで元気に冒険者が続けられているんですから」
僕の問いに、ソルシェはしっかりと答えた。
「でも、思うんです。私とあの時出逢わなければ、こんな目に遭うことはなかったんじゃないかなって」
弱々しい笑みを浮かべ同意を求めてくるソルシェに、僕は首を左右に振った。
「君が居なくても、こいつはボルネードと対立しただろうし、結局別の場所で出逢ったとしてもこいつは君のことを好くだろうさ」
「えっ?」
聞き返すソルシェに、思わず僕は口に指を当てて誤魔化したが、これは失態だ。
まあ当の本人は聞いていないから、怒鳴られる心配はないだろう。
「アルマーニっていう男はそういう単純な奴なのさ。言葉遣いは悪いが、根っからの善人だからね」
「よく知ってるんですね」
「五年の付き合いだから、これくらいは」
出来上がった温い珈琲をソルシェに渡しつつ、僕はテーブル側の椅子に腰掛ける。
生意気なことを言うが、五年も一緒に冒険者として活動しているだけで、友人関係と聞かれればそうではない。
彼とは利害が一致したからこその仲間だ。時に酒を飲み、金の貸し借りや風呂を一緒に入るというだけで、決して友人ではない。
「君が気に病むことは何もない。冒険者の出逢いなんて、偶然と気紛れそのものだ」
「なんだか、グレッダさんって大人ですね」
「そりゃあ勿論。もうすぐ三十路の仲間入りさ」
僕の言葉で笑いを漏らすソルシェに、少しだけ安堵した。
珈琲を啜り、微妙な顔をして微笑む彼女の表情は、先程よりも明るい。
「彼が何かしてきたら僕に相談するといい。キツいお灸を据えてやるからね」
「ふふ、頼りにしてます」
困り顔で笑みを零すソルシェ。
それに対して僕も思わず笑みを漏らし、自分も珈琲が飲みたくなって席を立った。
「君は笑っている方が素敵だ。だから、こいつが目覚めたら笑顔で礼を言ってやってくれ。金より何より、その方が喜ぶはずだ」
彼女の反応はあえて見ないことにした。
アルマーニ程ではないが、僕も彼女の何かに惹かれそうだったから。容姿や性格のそれではない、何かに。
風が強くなり始めたのか、ボロい窓がカタカタと音を鳴らした。
同時に、喉を鳴らす音と共に立ち上がったソルシェに、僕は振り向く。
「珈琲ご馳走さまでした! あと、ありがとうございます」
「こちらこそ。もう行くのかい?」
「はい。今度は、私が美味しい珈琲をご馳走しますね!」
僕の問いにソルシェは笑顔で返し、ボロ屋の扉を開いた。
雨は降っているが、どうやら曇り空に穴が開いたようで。明るい日照りが水溜まりに反射して光り、ソルシェの笑顔をさらに綺麗に見せた。
手を振りながら扉を閉めるソルシェに見とれ、ハッと気付いた頃には再び静かな空間に戻っていた。
薄暗い部屋の中で聞こえるのは、雨音とアルマーニのいびきだけ。
「……やっぱり珈琲は熱々が一番かな」
生温い珈琲を一口飲んで、僕は舌を出してカップを置いた。
不味い珈琲を提供するなど、モテるものもモテなくなる。
僕は仕方なく火打ち石を探して、水を沸騰させるところから始めた。