最終話 【横取りにて閉幕】
アルマーニはオーガを正面から対峙していた。
ゴブリンや蜥蜴人はグレッダが処理をしてくれている。アルマーニのやりたいことを察した結果だろう。
邪魔はされない。
ヘマをしなければ成功するはずだ。
「おらどうした! お得意の破壊を頼むぜぇ!」
眉をひそめつつも、オーガを挑発しながらゆっくりと後退するアルマーニ。
鼻息を荒くさせ、額に無数の青筋を浮き上がらせるオーガは、湾刀の柄が折れんばかりに力を込め始める。
「一気に来るなよ……俺が死んじまったら元も子もねぇからなぁ」
犬を躾るが如く、手を上下させながら壁へと視線を誘導させるアルマーニだが、相手が悪かった。
「ウオオォォォオオッ!!!」
怒りを通り越し暴走するオーガは、湾刀を力だけで縦に奮った。
その早さは尋常ではなく、咄嗟に右へと飛んだアルマーニを風圧だけで吹き飛ばしたのだ。
「大丈夫かい!?」
凄まじい轟音と舞い上がる土煙で姿が見えないアルマーニに声を掛けるグレッダ。
しかし、アルマーニからの返事はない。
「グオォアッ! ラァァッ!!」
挑発の度が過ぎたようで、オーガの大暴れは止まらない。深紅の瞳を揺らし、湾刀を何度も振り下ろしては、地面の形を変えていく。
アルマーニは……辛うじて生きていた。
だが、あの暴走状態で手を出せる馬鹿はいない。
一旦避難をしようと、土煙に紛れながら後退した時、ピタリと轟音が止まった。
「……なんだ」
オーガの突然の制止に、アルマーニは警戒心を高めたまま息を飲む。
土煙が晴れた先に見えたのは、湾刀を振り上げたまま身体を震わせるオーガの姿であった。
足が震え、ゆっくりと湾刀を持つ手を下ろし、オーガは眉間をヒクつかせてアルマーニを睨み付ける。
「毒が効いてきたのか? あれだけでここまで?」
太い腕や肉厚と筋肉で阻まれた身体に刺さった毒矢は、数はあれど微々たるもののはずだ。
放った本人が困惑しているのだから、アルマーニも疑問に感じるしかない。
だがこれは間違いなくチャンスだ。
「せっかく壁を壊してもらおうと思ってたのによぉ。こうなりゃあ殺るしかねぇ」
手斧を握り締め、ゆっくりと足を擦らせてアルマーニはオーガへ近付く。
今にも膝を付いてしまいそうなオーガの背後に回り、様子を窺う。
そこで、グレッダは何かを叫んだ。
何かを聞き取る前に、アルマーニは横腹に受けた衝撃に驚き、視線を下へと向ける。
「な、んだ……誰が……っ!」
横腹には矢が刺さっていた。
鎖帷子をも貫通した鋭い鏃が、微かに動く度に肉を抉り、シャツに血の円を作り出していく。
魔物共の仕業かと思えば、そこには誰もいない。グレッダが処理した死体しか転がっていなかった。
「くっそ……いってぇ……っ」
眩暈と吐き気が同時に襲い掛かり、手斧を落としたアルマーニは、よろめきながらも横腹に刺さった矢を抜こうとして手を出した。
負傷したアルマーニは、矢や出血のことで他のことを考えてる暇などない。頭上に、オーガの巨大な拳が振り上げられていることも、気付くことはなかった。
「避けろ! アルマーニ!!」
「……っ」
グレッダの声がようやく届いた瞬間、アルマーニは振り下ろされるオーガの拳を見上げる。
広間全体を揺らすほどの拳が叩き付けられ、思わず顔を背けたグレッダは、ゆっくりと顔を上げて歯軋りをした。
「う、そだろう……!」
グレッダが見た景色の中に、アルマーニの姿はどこにもなかった。
オーガの拳と、その拳の下に広がる血溜まり。土煙と、壊された土塊。
それだけ。
「そんな……君まで……これじゃあ、全滅じゃないか」
絶望するグレッダは、辺りを見回し嗚咽を漏らした。
オーガの身体に回る毒がどこまで保つか分からない。魔物共の残党は奥にまだ隠れていることだろう。
出入り口は魔法の壁とやらで塞がれている。逃げ道はどこにもない。
まともに動けるのは、グレッダだけなのだ。勝算など、零に等しい。
「ああ、本当に、絶望だ。やっぱり止めておけば良かったよ」
ボルネードに関わることを止めておけば、こんなことにはならなかったと。
あれほど自分の勘が危険信号を出していたというのに、この様だ。
グレッダは受付嬢を一瞥して、早まる心臓を抑えるように胸を鷲掴んだ。
「まだ、分からない」
オーガへ視線を移し、グレッダは雑嚢を漁った。
取り出したのは、鎮痛剤と活力剤だ。
死体を見た訳ではない。動けないだけでまだ生きているかも知れない。
「すぐ戻る。だから、生きてくれ」
受付嬢を土壁にもたれさせ、グレッダは地を蹴った。
同時に、オーガのそばにいる一人の男に目が行き、グレッダは驚愕した。
「やあグレッダ、といったか? まさかここまで善戦するとは、やるじゃないか」
「おまえ……!!」
オーガのそばに立っていたのは、白銀の鎧を血で汚した金髪の男──ボルネードであった。
素早く槍を構えるグレッダに、ボルネードは呆れた様子で肩を竦め、顎で地面の方を差した。
そこには、血塗れだが確かにアルマーニがいたのだ。
「せっかくお友達を助けてやったんだ。おまえ呼ばわりされる覚えはないな」
オーガの拳に触れ、ボルネードはわざとらしく溜め息をつく。
だが、グレッダはアルマーニが生きていたことに喜びを隠せないようで、深い安堵と感極まる気持ちを押し殺すだけで精一杯だった。
「そんなに大事か。いいねえ、友情ごっこは嫌いじゃない」
「ああ。大事さ。仲間を見殺しにするような奴に分かって貰いたくないね」
「減らず口を叩く暇があるなら、その大事なお友達を早く治療してやったらどうだ。遅かれ早かれ、死ぬぞ」
ボルネードの言葉に、グレッダは鋭く睨み付けながらも再び地を蹴った。
拳を地面に刺したまま動けないオーガの横で、アルマーニの身体を抱き上げ、グレッダは急いでその場を離れる。
どうやら、邪魔をする気はないらしい。
ボルネードの登場により、様子を窺っていた魔物共も受付嬢には近付けないようで、身を縮めて奥から覗くだけだ。
「グググ、ゴルボ……ドルネボ……ッ!」
「もう十分だろう。そろそろご退場願おうか」
オーガの前へと移動したボルネード。
そのボルネードの柔らかい笑みとは対照的に、オーガは鬼の形相で何かを叫び、最後の力を振り絞って湾刀を振り上げた。
刹那、ボルネードの持つ白銀の剣が一瞬だけ光ると、オーガは身体を大きく揺らして後ろへと倒れる。
否。倒れたのではなく、両足を切断されたのだ。
必然的に背中を地面につけたオーガは、大量の涙を流し始め嗚咽を漏らした。
「無様じゃないか。今度は両腕だ。仲間を殺した罪は重いぞオーガ」
「グオロ……ドルネボ……」
ジタバタ暴れようとするオーガの両腕を切断し、ボルネードは愉快に笑う。
冒険者と魔物の死体で溢れかえり、血と汗の臭いで吐き気を催すこの場で、ボルネードは愉しげにオーガを達磨へと変えていく。
狂気に満ちた行動、子供のような純粋無垢の表情。そのどれもが、ボルネードという男をよく表していた。
「化け物じゃないか……」
アルマーニに刺さった矢を無理矢理引き抜き治療を施したグレッダは、息を飲んでその一部始終を見ていた。
「さあ、今度はどこを取られたい? 耳か、目玉か、口でもいいな──あ?」
剣でオーガを弄ぶボルネードは、唐突にガラスが割れたような音に驚き視線を向けた。
この広間を塞ぐ魔法の壁が解けたようで、光の粒子が微かに地面へとこぼれていたのだ。
ボルネードが次にオーガを見た時には、すでに目玉を白くさせ息絶えていた。口元から血が零れ出ていることから、どうやら舌を噛み切ったらしい。
「……興醒めだな」
冷たく吐き捨て、剣に付着した血糊を振り払うと、ボルネードはゆっくり鞘へと戻す。
一度グレッダを一瞥し、ボルネードは迷いなくすぐに歩き始める。
「俺の戦いぶりはどうだ。見ていないから審査は出来ないというのは止めてくれよ?」
気絶している受付嬢を見下し、腹をつま先で小突いたボルネードは、高笑いをして踵を返した。
怒りを露わにするグレッダだが、出掛かった言葉を飲み込み、唇を強く噛み締める。
「う、ぐぁ……」
「アルマーニ?」
痛みで目覚めたのか、アルマーニは荒い呼吸を漏らしグレッダを見上げた。
「はぁ、いってぇ……悪ぃ」
何の謝罪か分からないまま、アルマーニは情けなく笑うと、再び力無く眠ってしまった。
当分動くことは出来ないだろう。
だが、生きていたことに安堵したグレッダは、呆れながらも笑って頷いた。
「ボルネード様! ボルネード様!!」
微かに聞こえてきた若い男の声に、グレッダは顔を上げた。
籠もるような呼び掛けと、幾人もの足音が徐々に近付いてくると、ボルネードは舌を打って受付嬢を抱き上げる。
「ボルネード様! ご無事でしょうか!?」
一番乗りで辿り着いた若い男は王国兵士だったようで、広間の惨状を目の当たりにして息を飲んだ。
そんなことはお構い無しに、ボルネードは受付嬢を兵士に無理矢理押し付けると、踵を返して剣を抜いた。
「負傷者二名。死者は多数。俺は残党を片付ける。処理は頼んだぞ」
「か、かしこまりました」
軽く手を上げて奥へと進んでいくボルネードに、兵士は辺りを見回しながら小さく頷いた。
その顔は当然引きつっているが、兵士は後ろの仲間に声を掛け次々と分散していく。
「これは、帰ったら怒るだろうね」
最後の最後で全てをボルネードに持って行かれてしまい、グレッダは空笑いした。
モンスターハウス討滅作戦の話は、王国で持ち切りになるだろう。そうなれば、アルマーニだって黙っちゃいないはずだ。
心配するグレッダに対して、アルマーニは大口を開けて眠っている。
後で聞かされる散々な愚痴を想像して、グレッダは肩を竦めたのだった──。