【プロローグ】
悲鳴が聞こえる。
遠くで女の甲高い悲鳴がこだまし、それが一人の男の怒りを膨張させていく。
絶叫、絶望……死臭とこべりついた血の臭い。
どれだけ殺せば辿り着ける?
魔物は、敵の本体は何処にいる?
松明の灯りもなく、視界の悪い洞窟内を、湿った土壁だけを頼りにアルマーニは進んでいた。
荒い呼吸で進むその後ろには、今しがた叩き殺したウルフの死体が転がっている。
暗視ゴーグルを潰された時に左目を負傷したのか、まだ新しい血が頬を伝って顎から滴り、レザークロークに染みを作り出していた。
「どこだぁ、どこにいる……」
ぼさついた黒髪は返り血によりぺったりとしており、顔は勿論、身体中が血に染められていた。
乾いて痒くなる首を掻きむしり、滴る血を拭ってはむせ返るような血と汗の臭いに、アルマーニは咳き込んだ。
べっとりと濡れた血のせいか、手斧の柄を握り直してもすぐに滑ってしまう。
「グヘァ」
「グルア゛ア゛……」
どこからともなく聞こえてくる魔物共の呻き声に、アルマーニは何度も足を竦ませた。
醜悪なゴブリンの下品な笑い声。
肉を貪り喰らうウルフの食事音。
害虫の群れが一斉に動き出す不気味な音。
誰かが意図して作り上げなければ、このような魔物の巣窟が出来る訳がない。
魔物といえど種族が違えば、生きる環境も違う筈なのだ。
誰かが意図的に作り上げたとすれば、その“誰か”は、アルマーニには心当たりがあった。
だが、今はソイツを咎める暇はない。
「何で一人で行っちまったんだぁ。パーティだろうが……くそ」
アルマーニは小さく呟き、土壁を強く殴りつけた。
今にも倒れそうな意識を叩き起こすために、雑嚢を漁ったアルマーニは、小さな赤い瓶を取り出し、中身を一気に飲み干した。
火を吹けるのではないかと思うほどの辛さを誇る活力剤は、眠気覚ましにはもってこいの品だ。
「くっそ不味ぃな……っ」
赤い空瓶を雑嚢に放り込み、アルマーニは口元を手の甲で拭い、死角となる隅に身を隠した。
化け物と呼ぶに相応しい、牛か豚が合成したかのような醜悪なゴブリンが二匹──女性らしき人間を嬲っていたのだ。
身ぐるみを剥がされ、白い肌には爪痕や皮膚を剥がされた痕で深紅に染められており、その上から足されるように唾液や白濁とした液体に汚されている。
その傍らに、ウルフが一匹。
ぐちゃ、くちゃ、と汚ならしい咀嚼音を響かせ、夢中で女性の肉に喰らいついていた。
そのおかげか、こちらの存在に気付いていないらしく、アルマーニにとっては隙だらけであった。
「まだいやがんのか……っ!?」
少し休憩をしてゴブリン共に飛び掛かろうと考えたアルマーニは、死角からさらに奥を覗き込み、絶句した。
見てしまったのだ。
人工的に開けられた大穴に密集する、多種多様な魔物共の姿を。
数十で済めば優しいかも知れない。
ゴブリンやウルフ、蜥蜴人まで武器を持ち、防具を身に付け、多種多様な魔物共が“宝の山”に歓喜しているのだ。
その“宝の山”に、彼女はいた。
「ソルシェ……!」
生唾を飲み込み、早まる心臓を押さえ込み、アルマーニは彼女の姿から目を離せずにいた。
先にいる女性と同じように、身ぐるみを剥がされ、強姦され、淡い紫の長髪が地面に散らばっている姿を。
疑心や怒りが膨れ上がり、すぐにでも踏み込んで行こうとしたアルマーニだが、足が動かない。
勝手な危険信号が、アルマーニの足を制止させたのだ。
大穴の中は魔物の巣窟。
単身挑めば、間違いなく死ぬだろう。
もしかすると、彼女はもう死んでいるかも知れない。それでも行くのかと。
「……行くに決まってんだろぉが。行かなきゃ、誰が、あいつを助けてやれんだ……!!」
動かない太ももに手斧の柄で殴りつけ、アルマーニは恐怖を痛みで払拭すると、死角から一気にゴブリン共へ襲い掛かった。
刃こぼれし、血によって錆びかけた手斧を振り上げ、ゴブリンの頭に叩き込むと、傍らにいたウルフの顔面を踏みつけ、土壁に向けて蹴り飛ばす。
「ギャギャ……ァ」
驚き竦む残ったゴブリンは、仲間の死を目の前に逃げ出そうとして、間に合わなかった。
甲高い鳴き声を発される前に、アルマーニは血に濡れた手斧で、逃げ出すゴブリンの背中を切り伏せ、足で顔面を踏み潰す。
ぐちゃり、と粘着質な血と脳髄を地面にぶちまけ絶命したゴブリンを蹴り、アルマーニは手斧に付着した血を振り払う。
「待ってろ……今、助けに行く。約束したからなぁ」
肩で呼吸をしながら、全身に浴びた血を構うことなく、アルマーニは大穴へとゆっくり歩んでいく。
帰ったら、冒険者を辞めて彼女と共に静かに暮らそう。
またあの笑顔を見ながら、バカな話で盛り上がり、彼女を抱き締めよう。
「待ってろよぉ……ソルシェ」